担当営業所
杉並営業所
運行区間
系統 | 区間 | 距離 | 備考 |
本 | 新宿駅西口~四谷見附~日比谷~銀座4~築地中央市場 | 8.625km | 平土朝昼のみ |
出入 | 新宿駅西口~鍋屋横丁~杉並車庫 | 14.590km |
年表
系統 | 年月日 | 営業所 | 距離 | 概要 |
35 | S26. 8.28 | 堀ノ内 | 9.037km | 304系統折返として朝のみ新宿駅西口~半蔵門~中央市場が開通 |
35 | S26. 9.23 | 堀ノ内 | 9.153km | 新宿駅西口~(隼町)~中央市場に変更 |
35 | S41.11.30 | 杉並 | 9.153km | 堀ノ内営業所の杉並営業所への移転改称に伴い、杉並に移管 |
35 | S44頃 | 杉並 | 8.625km | 築地3~築地中央市場の間を、往復とも市場正門経由に変更 |
市02 | S47.11.12 | 杉並 | *** | 新番号化、市02とする |
市02 | S54.11.23 | 杉並 | *** | 新宿駅西口~築地中央市場を廃止 |
臨01 | S54.12.24~S55. 1.18 | 杉並 | 8.625km | 左の期間の間、均一¥200として新宿駅西口~築地中央市場を復活。系統番号はは臨01 |
路線概要
新宿駅西口と築地中央市場を結ぶ。市場輸送ということで、平日土曜の朝から昼にかけての運行で、急行運転を行い、停車停留所は限られているなど独自性の強い系統であった。系統番号も、[市01](新橋駅~築地中央市場)の続番となり、「宿」を冠していない。
新宿駅西口は、末期は現在の[宿74]新宿車庫行きの出ている明治生命本社ビル前の乗り場から発車となっていた。そこを出ると大ガードをくぐり、新宿通りに入って新宿駅東口に停車する。ここからは急行運転となり、明治通りと交差する新宿追分を通過して新宿三丁目に停車していた。こちらが主要停留所という扱いだったのが興味深い。
新宿三丁目から先の停車停留所は、四谷三丁目、四谷見附、日比谷、銀座四丁目、築地三丁目のみであった。四谷から日比谷までノンストップな上に、数寄屋橋すら通過なのは驚きである。お堀端築地三丁目は場外市場の最寄りということもあって停車していたのだろうか。
築地三丁目の先を右折して新大橋通りに入ると、市場の正門までは目と鼻の先である。左折して正門を通り、構内の道路をしばらく走って築地中央市場の終点となる。なお、築地発のみ、市場前の「中央市場正門」停留所にも停車していた。
歴史
昭和26年に新宿駅西口~築地中央市場が開通した。 [304](荻窪駅~新宿駅西口~築地:当時)の折り返し線として開通したのが始まりである。
なお、一般系統の続き番号ではあったが、他の一般系統とは異なり、朝から昼にかけてのみ運転されていた。昭和30年の記録では1日15回と多くなく、運行時間帯は6:30~13:15となっていた。所要時間は30分と、それなりの速度で結んでいたようだ。
民営との共同運行系統に代表される急行系統は、昭和30年代以降停留所の増設が進み、各停と変わらなくなっていったが、この系統は途中停留所が増えることは全くなかった。
ただし、細かなルート変更はあり、昭和44年までは築地三丁目~築地中央市場はループ状に折り返す経路となっており(右図)、新宿駅発については、築地三丁目ではなく築地六丁目を右折して海幸橋を通り、北側から市場構内に入っていた。北側からのルートは、自動車は通り抜け不可である。開場時は多くの人が行き交い、大型バスが通り抜けていたとは信じがたいが、この地で当時を思い返してみるのも面白いかもしれない。
また、開通当初から停車していた築地四丁目停留所は昭和30年代後半には廃止されている。海幸橋経由については[市01](新橋駅~築地中央市場)の項も参照のこと。
昭和47年の新番号化で[市02]と名乗った。運行形態は変わらなかったが、効率はあまりよい系統ではなかったようで、末期の昭和53年度は、1日あたりの乗客数698人、収支係数162と記録されている。路線の性格上長距離乗客が多く、均一運賃制になった時点で収益性が低くなるのは仕方なかったのだろう。古参車がほぼ専用で充当され、最後まで基本的にツーマン運行で車掌が乗務していたのも特徴と言える。
このような状況の中、昭和54年の再編計画で廃止路線として挙げられ、昭和54年11月に他の系統とまとめて廃止された。しかし、12月という市場繁忙期を目の前にしての廃止は固定利用客からの苦情を生む。結局、同年12月24日から同じ区間を期間限定の[臨01]として運行されるという異例の措置がとられた。ただし、運賃は片道200円と設定された。この当時の一般路線は110円均一であり、[銀71](新宿駅西口~晴海埠頭)が頻発して築地まで並行しているにもかかわらず、倍近くの運賃を取るも異例のことであった。本来はこのくらいの運賃でなければ採算が取れなかったということだろうが、思い切った運行である。
翌昭和55年1月18日をもって、この臨時系統の運行は終了し、[市02]は完全に廃止された。現在は新宿駅か築地市場まで大江戸線が開通し、地下鉄に引き継いだ格好になっている。