担当営業所
深川営業所
運行区間
系統 | 区間 | 距離 | 備考 |
本 | 東京駅八重洲口→銀座8→京橋→日本橋三越→日本銀行前→東京駅八重洲口 | 6.400km | 平日 |
本 | 東京駅八重洲口→銀座4→勝どき2→晴海埠頭→勝どき2→月島駅→東京駅八重洲口 | 土休 |
年表
系統 | 年月日 | 営業所 | 距離 | 概要 |
銀座01 | H 4. 3.20 | 深川 | 1.620/ 4.220km | 東京駅八重洲口-銀座8が開通 |
銀座01 | H 4. 7.21 | 深川 | 6.440km | 東京駅八重洲口→銀座8循環に変更 |
銀座01 | H 6.10.21 | 深川 | *** | 土曜休日の経路を統合、東京駅八重洲口~晴海埠頭循環に変更 |
銀座01 | H12. 3. 1 | 深川 | *** | 両系統ともに廃止 |
路線概要・歴史
東京駅八重洲口から銀座の中央通りや中央区南部を回る。平日は銀座八丁目や日本橋を、休日は勝どき・晴海埠頭を周遊するルートとなっていた。
中央区内の公共交通の確保と商業・観光の振興を目的に開業したバスで、平成4年3月に中央区より運行を委託され開業した。
有楽町線改編によってバスが廃止された地域があり、その対策に平成元年に中央区はバス運行検討委員会を設置した。しかし月島等の廃止地域を回るのは採算性に難があり、東京駅・銀座・日本橋を循環するルートで観光バスを運行するという結論に変化していった。
開業にあたってはレトロ調の専用車が中央区により3輛導入され、交通局に無償貸与する形を取った。東京特殊車体による特装車で、紺色の外装と、後部の展望台が特徴となっている。屋根はダブルルーフ、車内はマホガニー調で紺色の二人掛けシートが並び、高級感ある雰囲気を醸し出していた。席ごとに液晶が備え付けられており、観光案内のビデオが流されていた。乗務員の制服も薄紫のジャケットにグレーのスラックス、ドゴール帽と専用のものが用意された。1輛あたりの価格は6,700万円と、通常のバスの3倍以上したようだ。運賃は一般系統と同じで、一日乗車券なども全て利用可能だった。
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▲開業記念乗車券に描かれた当初の路線図
当初は東京駅八重洲口から銀座通りを経て京橋や日本橋を回るコースで、銀座八丁目で折り返しとなっていた。当時は土曜・休日で中央通りの歩行者天国の区間が異なっていたため3通りの経路があり、平日は八重洲口から京橋が中央通りに入り、銀座八丁目で終
点、そこから中央通りを北上して日本橋・室町三丁目を経由し、江戸通りから日本銀行・呉服橋を経由した。土曜日は京橋以南が歩行者天国となるため、八重洲口~銀座八丁目は外堀通り上を走る。休日は全区間歩行者天国となるため外堀通り中心の経路となり、日本橋・日本橋三越停留所を移設して銀座八丁目~日本橋三越を往復する経路となっていた。.
外堀通りの停留所は呉服橋・日本銀行など、歩行者天国時のみ残る停留所が多く、停留所を銀ブラバス装飾仕様にお色直しした。始発のヤンマー前にあった東京駅八重洲口もその一つである。
当初は銀座八丁目で一旦終点となっていたが、乗車距離があまりにも短いと不評を買ったためか、数か月後には循環扱いになって乗り通せるようになった。
集客が見込める休日はそもそも銀座を走れず魅力
に欠けると判断され、平成6年に思い切って晴海通り経由で銀座・築地・勝どきを経由し晴海埠頭に出て、復路は月島・八重洲通り経由で東京駅八重洲口に戻るという中央区南部周遊ルートのようになった。
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しかし、平成8年の晴海見本市会場の移転もあって利用客は低迷したようで、平成7年度の年間127,000人をピークに、平成10年度は95,000人まで減少した。採算目標の乗客数は360,000人で、かなりの赤字だったことがうかがえる。
当時の新聞記事によれば年間2000~3000万円を期待していた広告収入もバブル経済崩壊後の不況で1000万円に届かず赤字続きだったという。赤字分は区が負担することになっていたため、平成9年度の支出額は4,500万円にまで膨れ上がり、経費削減ということもあって平成11年に廃止が決まり、平成12年3月で全廃となった。平成12年には大江戸線開通が予定されており、さらに乗客減が見込まれるという理由もあったようだ。廃止日の最終便は2台続行で運行され、廃止を惜しむ乗客で満員になった。
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出入庫は回送で途中止まりはなく、時間調整のためか東京駅北口のロータリーで休憩している姿が見られた。約30分間隔での運転だったが、月曜日だけは検査の都合などで約1時間間隔の間引きダイヤとなっていたのが特徴的だった。
その後の銀ブラバス
銀ブラバスの専用車は経年が浅かったこともあり、各地に売却されていった。
X111は友好都市である山形県東根市に売却した。山形県内の事業者では唯一の元都営バスとなっている。市がバスを保有し、主にイベントの送迎バスや、市の招待客の移動の足として使われていた。しかし車輛にかかるメンテナンスコストがかさんだほか、車庫として使っていた用地に建物が建設されることもあり、残念ながら早期に廃車となってしまった。
X112は交流都市の玉野市に売却され、側面に「TAMANO CITY」の金文字が追加された。自家用でイベント等に使われたが平成19年に解体。X113は当初は瀬戸内国際観光所有で瀬戸内国際マリンホテル(現・ダイヤモンド瀬戸内マリンホテル)送迎に使われた。後に富山湾観光汽船に売却されて氷見駅~道の駅氷見フィッシャーマンズワーフ海鮮館間のシャトルバスに使われた。車体のデザインは昔のまま、ロゴの部分だけ違和感なく差し替えられた。
後にさらに売却され、現在は埼玉県は長瀞の結婚式場で車検切れの状態で留置されている。現在では唯一生き残った銀ブラバスとなっている。