都営バス資料館

草39

[草39]←[69][109]

担当営業所

青戸支所

運行区間

系統 区間 距離 備考
金町駅~青戸車庫~四ツ木橋~言問橋~浅草寿町~上野松坂屋 12.730/12.750km
金町駅~青戸車庫~四ツ木橋~言問橋~浅草寿町 10.648/10.668km
出入 金町駅~青戸車庫
出入 青戸車庫~四ツ木橋~言問橋~浅草寿町

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
109 S22.12. 1 新谷町 13.970km 金町駅~上野広小路が開通、京成と共同運行
109 S27. 7.31 新谷町 12.750km 四ツ木橋の架け替えにより、(新)四ツ木橋経由に変更
69 S31. 6.20 新谷町 15.198km 金町駅~浅草寿町~浅草橋~東京駅北口が開通
69・109 S34.11. 1 青戸 15.198km 青戸支所の開設により移管
69 S37.12.15 青戸 15.998/15.198km 東京駅付近の経路変更?
69折  S38 .8.10 青戸 13.232/13.032km 金町駅~浅草橋~橘町(現東日本橋駅)を開設
69折  S42.10. 1 青戸 10.668km 浅草寿町~橘町を短縮
69 S44. 9. 7 青戸 10.668km 浅草寿町~東京駅北口を短縮、折返を本系統に
109 S46. 1. 1 青戸 *** 金町駅~上野広小路を廃止
草39 S47.11.12 青戸 *** 新系統番号化、草39とする
草39甲  H 8.12. 2 青戸 12.750km 浅草寿町~上野松坂屋を延長、従来の浅草寿町を草39乙とする
草39 H18. 4. 1 青戸 *** はとバスに運行を委託
草39  H22. 4. 1 青戸 12.730/12.750km 金町駅ロータリー完成に伴い終点付近の経路変更

路線概要

atozk_166  浅草寿町から金町駅を水戸街道経由で一直線に結ぶ。平日昼間の一部便は上野松坂屋~金町駅と長距離運転となる。京成バスのエリアに乗り入れるが、昔から都営の単独であり、京成との共同運行として別途[109](上野広小路~金町駅)があったため、合わせて扱う。
東京都の東端のひとつ、千葉県松戸市との境である江戸川にほど近い金町駅から、浅草そして上野へと結ぶ[草39]、始発停留所である金町駅はバス出発前からバスを待つ乗客の列が形成されていることが多い。
乗客を乗せたバスは水戸街道に出て交差点を右折、ここから本所吾妻橋まではひたすら国道6号線水戸街道を走って行く。
右折した直後に京成金町線の踏切を通過、金町二丁目停留所を過ぎると次は「新宿郵便局前」。[出入02]にも同名停留所があるが読み方が違うのである。ちなみに新宿区のようは「しんじゅく」だが、[草39]は「にいじゅく」と読み、都営バスでも同名停留所は数あれど、漢字は同じでも読み方が異なるのは珍しい。
 そして次の亀有警察署前停留所も都営バスファンにも必見のポイント。近くの新宿交通公園には都営バスで活躍していた車両が展示してあるのだ。以前はこの路線を走っていたK-MP107Kが置いてあったが、老朽化のため江東営業所のZ代車が2代目として置かれている(コラム参照)。
 JR新金線の踏切を通過ししばらく進むと中川大橋を渡り、環七の青戸陸橋が見えてくる。渋滞時は、だいたいこの辺りから流れが悪くなってくる。新金線は貨物線のため列車本数は非常に少ないが、貨物列車だけに1回踏切が閉まると数分は閉まりっぱなしになること、青戸陸橋は環七側が立体であるため水戸街道の方は環七方面への右左折車と直進車が交錯し流れが悪くなりがちなこと等、要因がいくつも重なってしまうためである。この先の四ツ木橋や東向島広小路、さらに言問橋も渋滞要注意ポイントであり、運が悪いと金町駅~浅草寿町で90分以上を要することもある。
青戸陸橋をくぐりさらに直進、京成本線の高架の先が青戸車庫前である。金町駅発の入庫便も運行されるが、実はその客扱い方法が2パターン存在する(車庫と停留所の項も参照のこと)。ここでは乗務員交代を行うことも。渋滞によりダイヤが大幅に乱れると特発臨時便が運転されることもある。
土休日の日中ともなると、青戸車庫を過ぎる頃には行楽客や競馬客で満員となることもしばしば。葛飾警察署前を過ぎて四ツ木橋を渡り(この間は[錦37]も参照)、東向島地区を走り抜ける。東武伊勢崎線(スカイツリーライン)の高架橋が前方に見えてくると、向島消防署前停留所の手前で右手に一瞬だけ路面電車の姿が見える。これは東武鉄道の日光軌道線で活躍していた203号電車。東武博物館の屋外展示物として公開されている。
東武線の高架をくぐると東向島広小路の交差点。明治通りとの交点であり、[里22]などとの乗り換え停留所ともなっているが、バス停は300m近く離れておりお世辞にも便利とは言いがたい。この頃には、金町駅を出発したときは遠くに見えていた東京スカイツリーの姿も見上げるほどの大きさになってくる。バスは向島地区をさらにひた走り言問橋東交差点も直進、緩やかに左に曲がり東武線の高架を再びくぐった先の本所吾妻橋交差点でようやくバスは右折、浅草通りに入る。次の五叉路を右斜めに曲がり、吾妻橋を渡ると浅草雷門であり、ようやく大量の降車客を数える停留所となる。雷門一丁目交差点を左折すると浅草寿町終点であるが、平成8年12月から、京成[上34]廃止の代替の意味もあってか、平日昼間に限り一部便が上野松坂屋前まで延長されている。
葛飾区・墨田区の国道6号線沿線から乗り換え無しで浅草・上野へ行くことができるというのがこの路線の存在意義で、常磐線沿線からの乗り換えでも重宝されている側面があるが、その反面、乗客一名あたりの乗車キロが長く、混雑の割に収入が他系統に見劣りする部分があるのは否めない。もっとも、はとバスへの委託を行い、本数もそれなりに確保されているのは、路線を存続させようという交通局の意思なのかもしれない。

歴史

atozk_174 ▲昭和8年頃現在
 上野・浅草から水戸街道経由でひたすら金町を目指す系統。街道筋を走る長距離系統というのは戦前の設定にはなく、戦後に誕生した系統の特徴とも言える。
 もっとも、水戸街道で向島・寺島方面という系統は古くから存在した。昭和3年春頃に寺島(現向島五丁目付近)~雷門が開通し、昭和5年10月には寺島広小路(現東向島広小路)、昭和8年4月には現四ツ木橋手前で折れて玉ノ井(→吾嬬西九丁目、現八広付近)まで延伸された。一方の浅草方も、昭和6年に上野広小路発着に延伸されたが、昭和7年以降は浅草寿町を出て稲荷町を右折し、入谷鬼子母神・鶯谷駅・谷中・逢初橋(現根津駅)という大回りな経路で上野広小路に至っていた。何とも風変わりな設定である。なお、市電が向島(現向島五丁目)まで開通したのは昭和6年3月であり、
向島では市電よりバスの開通が先行したことになる。
 昭和15年以降は浅草~上野を別系統と組み替えて大塚駅~春日町~上野広小路~雷門~吾嬬西九丁目という系統になり、その後何度かの組み換え・短縮を経て、昭和20年4月以降は浅草寿町~吾嬬西九丁目となった。終戦時にも生き残った数少ない系統の一つで、それだけ重要度が高かったのだろう。昭和21年3月の改編後は[14]を名乗ってそのまま運行を継続したが、昭和22年12月に[109]と名を変え、金町駅まで一気に延伸された。なお、当時は四ツ木橋が現在より下流に架かっており、吾嬬西九丁目・四ツ木駅経由で対岸の水戸街道に出ていた。昭和27年に(現)四ツ木橋が架橋され経路変更が行われた。
 100番台は原則相互乗り入れ系統に対して与えられる番号であり、そもそも四ツ木橋から郊外側は京成のエリアだったので京成との共同運行をしていたはずなのだが、昭和25年8月に認可された運輸省への申請文書を見ると、上野広小路~金町駅は都の単独系統(京成の区間に一方乗り入れ)であったとある。同時に上野広小路~市川駅(→[上34])は京成の単独運行で都の区間に一方乗り入れであったのを、2系統ともに共同運行に改めるという申請内容のため、それまでは都営のみの運行だったのだろう。正確に書けば、[109]の運行区間のうち、雷門~向島二丁目(現向島三丁目交差点)、寺島六丁目(現四ツ木橋南交差点)~(旧)四ツ木橋以遠は京成が既に免許を持っている区間だった。戦前からの由来で京成が浅草をターミナルとしており、独自に向島・金町方面の系統を運行していたためである。
 申請によれば、当初計画でも[109]は都営と京成が15~20回程度ずつ、40~60分間隔での運行とさほど多くない。昭和27年7月の四ツ木橋架け替え時の経路変更の申請文書では都営・京成は僅か7往復ずつとなっている。浅草から金町方面には既に京成が単独系統を走らせていたということもあるのだろう。
 昭和33年にはこれに加え、[69](金町駅~浅草寿町~東京駅北口)が開業した。金町駅~浅草寿町は[109]と同一経路で、浅草寿町からそのまま南下、精華小学校(現蔵前小学校)経由で江戸通りに蔵前で合流、[東42甲]と同じように浅草橋・室町三丁目・日本橋を経由しつつ東京駅北口を終点とするという経路だった。
 この系統はあくまで都営単独系統扱いとされた。京成の免許を活用しつつ単独系統としたのかは不明だが、この時期の路線図では金町駅までが都営の免許区間であるように描かれているものもあり、京成と何らかの交換条件があったのかもしれない。
 [69]は全線で50往復程度が運転され、[109]よりは本数が多めであった。浅草~金町は[69][109]で並行しており、兄弟のような関係だったとも言える。昭和34年の青戸開設時には車庫の目の前を走ることもあり、ともに青戸に移管された。
 しかし、モータリゼーションの進展による渋滞と定時性の低下、交通局の財政再建もあって長距離系統の整理が進むようになる。昭和38年8月には金町駅~橘町(現東日本橋駅)の折り返しが誕生し、浅草橋・馬喰町・東日本橋の交差点を使って都心の手前で折り返す運用が誕生した。昭和40年現在の記録では東京駅北口まで38往復、橘町折り返しが2.5往復、浅草寿町折り返しが15往復程度となっている([109]は全線8往復)。昭和42年には折返便の運行区間が金町駅~浅草寿町に短縮され、昭和44年9月には全便が浅草止まりに短縮となった。そして昭和46年11月に[109]も全線廃止され、今の形が完成した。
 それから40年以上が経つが、基本的な形は変わっていない。変わったところといえば、金町駅の乗り場が屋根つきのロータリーになって出入路が一部変更されたくらいだろうか。都営バスでは11km弱とやや長い部類で乗り通す客も多く、昭和50年代でも150~160と収益は悪かったが、共同運行路線ではないことや、乗客数が多いこと、また途中で短縮できそうな地点もないことが路線の形が保たれた要因だろう。
 平成8年12月には、京成電鉄の単独運行だった[上34]の廃止の影響もあったのか、上野松坂屋まで平日の日中に限り再び延長された。本数も昭和50年代の60往復前後に比べて、'90年代に多少の減少を見せたのもの50往復は確保されていたが、平成17年春のダイヤ改正で一気に39往復に削減されてしまった。もっとも、浅草への需要が高まる土曜・休日はそこまで減らされておらず、近年のスカイツリー効果もあって再び増便され、現在は45往復程度に持ち直している。中型ロングの多い[上23]に比べると、ほぼ運用が大型車で占められているというのも、乗客の多さと着席需要の高さが想像できる。

中川大橋

 都心に向けて直進する系統だけに、朝の渋滞が避けられない。水戸街道には並行する首都高速もないだけに渋滞は激しく、かつては運行ダイヤも相当に渋滞を織り込んで作成見込んでいた。金町駅から荒川を渡った先の四ツ木橋南詰までの所要時分を見ると、平成4年4月のダイヤ改正では、始発便では30分(6:30→7:01)だが、最ピーク時は58分(7:10→8:08)もかけていた。ちなみに渋滞の全くない終バスでは18分(21:18→21:36)と、実に3倍以上の所要時間の開きがあったことになる。四ツ木橋南詰から先の所要時分にはこれほどの差はなく、荒川を渡ると明治通り他各方面に交通が分散して、渋滞が解消することがうかがえる。
 しかし、道路も昔ほど渋滞しなくなってきて、今度は早発防止のために各停留所で時間調整ばかり行うという珍事が毎朝のように繰り返されていた。これでは乗客もストレスがたまるばかりであろう。
 平成14年に入ってから、ダイヤ改正の都度実情に見合った見直しが行われ、ピークの所要時間は、14年2月改正で51分、6月改正で44分、15年3月改正で35分と飛躍的に縮まった。現行ダイヤでもピーク時36分となっている。

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