都営バス資料館

上60

[上60]←[茶60]←[60]

担当営業所

巣鴨営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
池袋駅東口~向原~大塚駅~南大塚一丁目~春日駅~根津駅~上野公園 9.163/10.163km
大塚駅~南大塚一丁目~春日駅~根津駅~上野公園 6.750/ 7.200km
池袋駅東口←向原←大塚駅←南大塚一丁目←春日駅←東大農学部 7.593km
池袋駅東口←向原←大塚駅←南大塚一丁目←春日駅 6.393km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
60 S28. 6.15 大塚 13.229km 池袋駅東口~大塚駅~東大農学部~御茶ノ水駅東口~神田司町~水天宮が開通
60 S29. 9.20 大塚 14.311/13.322km 池袋駅東口~水天宮・箱崎町に変更延長
60 S46. 3.18 大塚 14.020/13.594km 神田駅・水天宮付近の一方通行規制により経路変更
60 S46.11. 1 大塚 10.825/ 9.552km 池袋駅東口~御茶ノ水駅(東口)に変更短縮
茶60 S47.11.12 大塚 *** 系統番号を[茶60]とする
茶60  S52.12.16 大塚 (9.349km) 東52の廃止により大塚駅~白山二丁目を大塚車庫経由から千石3経由に変更
茶60  S54.11.23 大塚 10.498/ 9.153km 学04の廃止により池袋駅東口~大塚駅を上池袋3経由からサンシャインシティ経由に変更
茶60  S57.11.26 大塚 10.285/ 8.985km サンシャインシティを経由しない経路(時習小学校経由)に変更
上60  H 2 7.21 大塚 9.713/10.163km 池袋駅東口~上野公園に変更、[上60]とする
上60 H27. 3.30 巣鴨 *** 巣鴨に移管

路線概要

atozg_176  池袋駅東口から大塚駅を経由して上野公園を結ぶ。本数は元から多くないが、池袋駅東口~大塚駅はさらに本数が少ない。春日通りを走る[都02]に対して北側の裏通り(千川通り・言問通り)を走るような存在となっており、大塚駅・春日駅・上野広小路の3箇所で[都02]と接している。
上野公園の停留所は不忍池のほとりにあり、野外音楽堂でのイベントや花見・行楽の時期などは大変な賑わいを見せる。出発したバスは、中央通りに右折し、松坂屋前を再度右折して上野広小路停留所へと到着する。バスの経由地には春日駅や大塚駅が書かれているため、同じ所を最短距離で結ぶ[都02]と誤乗車しないよう、運転手が経由地を念押しで言う光景もちらほら。
しかし、この路線は天神下交差点を右折してさっそく春日通りから外れ、不忍通りへと進む。右手には先ほど出発した上野公園停留所が見えるが、折返所が無く、道路をループ状に回って折返すからである。
不忍池を右手に見ながら、池之端一丁目、池之端二丁目と進んでいく。池之端二丁目は上野動物園最寄りの停留所であり、かつては「水族館前」という停留所名だった。かつてはバス停の近くにホテルソフィテル東京というフランス外資系の高級ホテルが営業しており、建物の高さは112m、意匠はまるで樅の木のような非常に奇抜なデザインで目立っていた。菊竹清訓の設計によるメタボリズム建築ということでも有名だったが、平成19年に取り壊されて跡形もない。
根津駅でバスは言問通りへと左折し、次のバス停は弥生二丁目。この近くには日本最初の弥生式土器が出土した向ヶ岡貝塚があり、弥生二丁目遺跡として史跡指定され、弥生時代の由来となった。バスからも「弥生式土器発掘ゆかりの地」という石碑が見える。
文京区は地形的に武蔵野台地の先端にあたるため、道路もアップダウンが多い。坂を登って東大農学部前の切り通しを抜け、本郷弥生交差点を直進すると、今度は坂を下っていく。下ったところには菊坂下停留所。この付近は樋口一葉など、名だたる昭和の文豪が住んでいたことで知られている。
バスはこのまま直進すると思いきや、白山通りへと左折する。以前はこのまま直進してこんにゃくえんま方面へ向かっていたが、区役所へのアクセス向上や乗り継ぎの利便性のため、春日駅前(旧文京区役所前)を経由するようになった。
春日駅前で再び[都02]と合流するが、誤乗防止とこの先右折するための車線変更のためか、[上60]の大塚方面の乗り場は[都02]の乗り場とは別の後方に設置されている。
春日駅を出発したバスは富坂下交差点を右折して、春日通りの北側を通る千川通り、通称「共同印刷通り」を大塚駅へ向かって走って行く。小石川二丁目停留所付近は、この辺一帯の商業集積地で、こんにゃくえんま様にちなんで「えんま商盛会」という商店会や大手スーパーが建ち並び、夕方ともなると、買い物袋片手に乗車してくる光景が見られる。
[都02]が台地の上を走って行くのに対して、[上60]は台地に挟まれた谷間を走って行く。かつて谷端川という川を埋めた跡に作られた道路である。
小石川植物園最寄りとなるのは白山二丁目停留所だが、この付近にはもう一つ有名なポイントがある。それが植物園前交差点で交わる広い坂道で、道路には桜が植えられ春には一面の桜並木として区民に親しまれている。道路・地形マニア的には、播磨坂と言い、文京区道893号線に指定されているが、東京都市計画道路の環状3号線の一部でもあり、先行して開通したもののいつまでも前後の区間が未整備なままという意味でも有名な道である。この部分は[学04]の項も参
照されたい。
千石三丁目で不忍通りを交差すると、通称「共同印刷通り」は「プラタナス通り」という通称名に変わるが、これは歩道に植えられている樹木もプラタナスの木が植えられていることに由来しているそうだ。
南大塚一丁目を過ぎて「次は巣鴨小学校前」と放送が流れることに違和感を覚えることもあるだろうが、かつての巣鴨の名は、豊島区の東半分、山手線の池袋・大塚~巣鴨・西巣鴨までを指していた。小学校が戦後この地に引っ越してきた際に、当時の地名が巣鴨6丁目であった事からこの名が付けられたという。
巣鴨小学校を出発すると、池袋駅行のバスは直進して大塚駅へと向かうが、大塚駅止の便はすぐの交差点を左折して、桜並木を抜け[都02]が走る道路へ右折して終点となる。これは折返し方法の都合上このような経路をとっているためで、路線図からは無視されている。乗車経路に拘りたい方は是非とも押さえておきたい区間だ。
池袋駅行きのバスは大塚駅を出発すると、今度は春日駅方向へ南下し、新大塚で鋭角に右折して西へと進む。向原で都電荒川線と交差し、池袋六ツ又陸橋を左折、家電量販店や映画館が建ち並ぶ光景が見えてくると終点の池袋駅東口である。[上60]はビッグカメラの前にある停留所で終点となる。

歴史

 池袋駅東口から上野公園を結ぶ現在の姿と、開業時の姿は似ているようでかなり異なる路線だった。時代により姿を変えてきたが、この項ではそれを解きほぐしていこう。
 このバスの開通時から通っている区間は、文京区内の千川通り(小石川植物園~こんにゃくえんま)と、そこに連なる菊坂下~東大農学部の部分である。台地の上を通る春日通りに比べ、谷地を通り比較的勾配も緩やかな千川通りは、かつて谷端川という川が流れ、江戸時代には千川上水が川に流れ込み、この地区の上水の役割も果たしていた。沿線は早くから家が並んでいたが、春日通りに軌道が早くに引かれたのに比べ、こちらに交通機関が通ったのは昭和9年に川が暗渠化された後、昭和11年に[34]大塚駅~大塚仲町(現大塚三丁目)~植物園~春日町~東京駅という系統が開業した。現在とは異なり、大塚駅~千石三丁目の区間は春日通り・不忍通り経由になっているのが特徴である。昭和14年頃に[18]に改番され、昭和17年の交通一元化で[34]、昭和18年6月の改編で[17]と番号は変わったものの区間の設定は変わらなかった。電車並行系統ではなかったものの、燃料不足の状況下で昭和19年5月に廃止された。
 戦後この区間が復活するのは、まず昭和24年9月に[117](上板橋~大塚駅~東京駅北口→[東52])であった。この時点で大塚駅から春日町までの区間にバスが通ったが、さらに2系統目として、[60]が昭和28年6月に開通した。

 このときの起点は、大塚駅でなく池袋駅東口となり、さらに春日町からは南下せずに菊坂・東大農学部から本郷通りに転じて、御茶ノ水駅(聖橋)から神田駅脇を通過し、南東に進んで箱崎町を終点とした。
 詳しく見ると、池袋駅東口からは、現在と異なり一旦明治通りを北上して上池袋を右折、癌研通りに入り北口側から大塚駅に入り込む。大塚駅からは一旦春日通りを現在の小石川四丁目まで進み、吹上坂を下る。桜並木で有名な播磨坂の隣の坂であり、植物園前から千川通りに入り、こんにゃくえんま前で左折して菊坂を登り、農学部前(本郷弥生交差点)から都電に沿って本郷通り~医科歯科大学の裏手へと進み、湯島聖堂の角を右折し御茶ノ水駅(聖橋口)に到着。
 そこからニコライ堂を横に見ながら駿河台の坂を下り小川町、まっすぐ進めば大手町だが次の美土代町を左折し、中央通りと交差するところに神田駅のバス停があった。現在は一方通行になっている道路である。そこから昭和通りも越えて、次の岩本町三丁目の交差点を右折して現在の日比谷線の真上を進み、小伝馬町・人形町を経由して、水天宮を終点とした。翌年には道路の突き当たりの箱崎町まで延伸された。なお、箱崎町方面は人形町から一旦東側に折れ、久松町・浜町中ノ橋を大回りして箱崎町を終点としていたが、沿道にあった明治座の需要でも狙おうとしたのだろうか。
atozg_188 ▲昭和35年10月現在
 正直ながら、この大回りな経路にどれほどの合理性があったのかはよく分からないが、できるだけバスの通っていない区間を中心に路線を引こうとした形跡が見える。旧癌研病院~大塚駅の区間もそうであるし、大塚駅から春日通りの区間も都電の幹線でこの時点では都営バスの路線はなかった。菊坂には戦前はバスが引かれたことがなく、本郷以南も多くが「バス路線では初となった区間」である。
 開通以後はしばらく大きな変更はない。昭和35年現在では1日85回前後で、箱崎町周辺を除き乗車効率30~40%と、それなりにまんべんなく乗客がいた様子が分かる。
 その後、路線の形が大きく変わったのは昭和46年3月のことである。道路交通の円滑化を目的として、神田近辺の道路を軒並み一方通行化することになり、小川町~神田駅の間は、池袋駅行きのみ靖国通り・須田町を経由するようになった。神田駅から南側は、現在の[秋26](秋葉原駅~葛西駅)と同じ回り方になった。
atozg_187 ▲昭和46年4月現在
 しかし、当時は都電代替系統の開通に併せて既存の不採算路線の大幅な見直しを進めている最中であり、日比谷線などの開通により、神田駅以南の需要が減っていたことは疑いなく、改編約8か月後の同年11月には御茶ノ水駅発着に短縮された。このときの折り返し方法が独特で、 順天堂病院経由で御茶ノ水駅(御茶ノ水橋口)に到着した後、[学07]と異なり坂を下って駿河台下を左折、靖国通りに出て小川町を左折してニコライ堂脇の坂を上がる御茶ノ水駅東口に向かう経路となった。御茶ノ水駅東口が終点とされたが乗り通しは可能な扱いであり、ニコライ堂脇で時間調整する姿も見られた。新系統番号化された際は、[茶60]と名乗った。
 これ以降も、他系統の廃止や改編に応じて、穴埋めで経路変更することが続いた。昭和52年12月には[東52]の廃止により、大塚駅から小石川植物園の間にバスがなくなってしまうため、この区間が春日通りから千川通り経由へと変更された。
春日通りには[塚20]が頻発しており、わざわざ表通りを走ることもないと判断されたのだろう。
atozg_184 ▲昭和49年1月現在
atozg_189 ▲昭和53年1月現在
 さらに、昭和54年11月の改編で[学04]の廃止に伴い、池袋駅東口~大塚駅が向原経由となり、癌研病院付近の経路は廃止された。また、池袋駅東口近辺はサンシャインシティに立ち寄るように変更された。行き先表示にも、「サンシャインシティ経由」の文字が入るようになった。
atozg_190 ▲昭和55年1月現在
 しかし、経路が8の字状で相当に複雑になっており時間がかかってしまうことや、期待したほどの効果が見込めないことから、昭和57年12月にサンシャイン乗り入れは廃止され、六ツ又陸橋から向原まで直進するように単純化された。
 これらの変更後も、乗客数は緩やかに減少を続けていた。昭和54年度に5,121人/日あった乗客数は60年度に4,140人/日に、平成元年には3,741人/日にまで減少していた。営業係数は常に150前後で、都営バスの中ではかなりの不採算系統だった。そもそも「他の系統が走っていない所」の要素をつなぎ合わせたのでは、目当てで乗る乗客の数も限られていたと言うべきだろう。
atozg_191 ▲平成6年1月現在
 平成2年7月に、[東43][茶51]と並行する東大農学部以南を切り捨て、路線のない根津駅方面に抜け、上野公園を終点とするように改めた。さらに、直後には文京区役所(現春日駅)を経由する形としたほか、特に乗客の少ない大塚駅~池袋駅東口の本数を大幅に削減した。系統番号は[上60]に変更された。
 これで現在の形が完成したが、開業時とは似ても似つかない系統になってしまった。乗客数は3,300人/日程度で一旦下げ止まったものの、営業係数は160前後で高止まりしていた。本数が平日昼で12~13分間隔、土曜・休日でも15分間隔程度とある程度確保されていたという事情もあるが、平成7年以降は改正の度に減便が行われ、平成11年改正では20~25分間隔に、平成14年改正では35~40分間隔にまで拡がった。
 平成27年3月には大塚の閉所により巣鴨に移管され、出入庫の運行が整理された。本数は微妙に減らされており、今後が気がかりな系統でもある。

出入庫

 多くの系統が大塚から移管される中、[都02]とともに大塚所管の系統として残る。大塚駅~大塚車庫で[都02]に交じって系統番号なしの行き先だけの表示で走るのが[上60]の出入庫である。
 現在も、ごく僅かに池袋駅東口~大塚駅という短距離運転が存在するが、これは池袋駅東口~[上60]~大塚駅~[出入]~大塚車庫という経路で出入庫を行うためである。営業運転はオマケと言えるだろう。かつては、直接池袋駅東口~新大塚~大塚車庫を運転する便もあったようだが、今は残っていない。
 また、[上60]への変更直後は、始発時間帯のみ池袋方面の始発を早める目的で車庫から文京区役所・千石三丁目まで回送して、そこから池袋駅東口行きとなる便があったが、停留所位置の変更や利便性の向上もあり、現在はそれぞれ東大農学部始発、南大塚一丁目始発となっている。
 現状の巣鴨移管後は池袋駅東口~大塚駅、南大塚一丁目始発が廃止されたが、相変わらず出入庫の名残の大塚駅~大塚二丁目の運転を継続している。大塚二丁目から巣鴨車庫までは回送となる。

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