都営バス資料館

×四98

[四98]←[533]←都電33

担当営業所

品川営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
浜松町駅~神谷町駅~狸穴~六本木~青山一丁目駅~四谷3~四谷片町 6.681/ 6.831km
狸穴~六本木~青山一丁目駅~四谷3~四谷片町 平朝のみ

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
533 S44.10.26 [芝浦] 6.681/ 6.831km 都電33(浜松町1~四谷3)の代替で浜松町駅~四谷片町が開通
533折  S44.10.26 [芝浦] 5.251km 浜松町駅~六本木~慶応病院を開設
533 S46.12. 1 品川 6.681/ 6.831km 芝浦分車庫の廃止により品川に移管
四98折  S48.10. 1 品川 ***  浜松町駅~六本木~慶応病院、狸穴~六本木~慶応病院を廃止
四98折  S48.10. 1 品川 4.580/ 4.730km 狸穴~六本木~四谷片町を開設
四98  S49. 7. 1 品川 ***  浜95と統合、浜松町駅~四谷片町を廃止

路線概要

atoza_130  四谷三丁目を出発すると、そのまま外苑東通りを周回するように信濃町・青山一丁目・六本木・飯倉(麻布台)と進み、東京タワー手前で左折し、坂を下って神谷町を右折し、第一京浜に当たる浜松町一丁目が終点となる。城南地区では7系統(泉岳寺~四谷三丁目)・34系統(渋谷駅~金杉橋)とともに最後まで残った都電の系統であった。
 代替に際して、浜松町側は大門経由で浜松町駅まで延長された。今の交通局大門庁舎がある一角、大江戸線大門駅のエレベーターのあるB4出口付近に折り返し所があったようだ。かつてはこの地に戦前までバスの浜松町営業所があった。
四谷側は7系統の代替こと[四97]とは異なり、四谷片町を終点とした。行き先表示も「四谷片町(曙橋)」と副名称がついていた。四谷三丁目を右折して新宿通りに入るとすぐに左折して津の守坂(つのかみざか)に入る。今の[宿75](新宿駅西口~三宅坂)が通る道だが、ここに四谷片町の終点があった。そこから合羽坂下を左折して市ヶ谷自衛隊を右手に見ながら外苑東通りに合流し、荒木町経由で四谷三丁目に戻っていた。

歴史

 都心方向に向かわない環状系統ということもあり地味な存在だった。昭和初期の路線図には13系統(宇田川町~四谷塩町)の名が見える。起終点は町名改正で変わったが区間自体は昔から変わっていない。後に8系統と名を変えるが戦中も区間はそのままで、昭和20年の空襲で休止になる。順次復旧する際に8系統は別系統に名を取られ、優先度が低かったこの区間は昭和22年9月に復旧して33系統を名乗った。当時は三田~浜松町一丁目~四谷三丁目だったが、昭和23年9月には元の区間に戻っている。
 わざわざ曙橋周辺を回って戻ってくる意図が不明だが、地元の要望でもあったのだろうか。都心を通るわけでもなく、乗降客数は下から数えたほうが早く、国電駅との連絡も信濃町程度と地味な系統であったが、代替されて[533]となっても相変わらず地味であった。四谷三丁目を発着していた都電は7系統もあったのだが、こちらの代替バスは四谷三丁目から新宿通りを進んで四谷駅を終点とした。どうせなら両方とも四谷駅に回せば客が増えそうだと思うのだが、この設定は不思議である。
 新番号化されて[四98]を名乗ったが、四谷駅を通っているわけではないので、どちらかと言うと浜松町を冠したほうが適切だったように思う。四谷三丁目~六本木までは[田70](港区スポーツセンター~新宿駅西口)が、青山一丁目~神谷町までは[銀86](渋谷駅~豊海水産埠頭)が並行していたこともあり、さして乗客数も多くなかったため、5年後の昭和49年には廃止されてしまった。
 しかし、朝夕の通勤需要はわずかながら残っていたためか、[浜95](東京タワー~浜松町駅~品川車庫)を朝夕のみ四谷片町まで延長させて、[四98]の代替とした。この結果、[浜95]は四谷片町~東京タワー~品川車庫とかなりの長距離路線となった
 この形態はしばらく続いたが、この区間の乗客数も少なくなり、他の系統で十分代わりになるというためか、昭和57年に再び[浜95]は現在と同じ東京タワーまでに短縮された。四谷片町・津の守坂からはバス路線が消滅したが、ここにバス路線が復活するのは、平成14年の[宿75]の開通まで待たねばならなかった。

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