都営バス資料館

飯62・橋63

[飯62][橋63]

担当営業所

小滝橋営業所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
飯62 小滝橋車庫~大久保駅~国立国際医療研究センター~都営飯田橋駅 5.889km 6 6 5 5 5 5
橋63 小滝橋車庫~大久保駅~国立国際医療研究センター~市ヶ谷駅~新橋駅 10.329/10.719km 37 37 23 23 21 21
橋63折返 小滝橋車庫~大久保駅~国立国際医療研究センター 2.727km 1 1
橋63折返-2 大久保駅~統計局 1.671km ** ** ** ** ** **


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
31 S25. 2. 1 小滝橋 9.136km 大久保駅~新橋駅が開通
120 S25. 3.10 小滝橋 12.621km 中野駅~宮園1(現東中野2)~大久保駅を延長、京王と相互乗入、120系統とする
120 S37. 2.16 小滝橋 13.301km 新井新道(現新井中野通り?)~中野駅を延長
120 S41.12. 1 小滝橋 14.611km 下田橋(哲学堂)~大下橋~中野駅~新橋駅に変更延長
120 S43. 3. 1 小滝橋 14.711km 一部経路変更
120折  S44. 2. 2 小滝橋 4.991km 中野駅~戸山町を開設(現・統計局急行の始祖?)
橋63 S47.11.12 小滝橋 *** 新系統番号化、橋63とする
橋63折  S50. 8.24 小滝橋 ***  中野駅~戸山町を廃止
橋63  S53. 4. 1 小滝橋 14.563km 内幸町~新橋駅を内幸町1経由から西新橋1交叉点経由に変更
橋63  S54.11.23 小滝橋 9.273km 京王との相互乗入を中止、下田橋~大久保駅を短縮。橋63と中63に分割
橋63 H14. 2.25 小滝橋 10.329km 小滝橋車庫~大久保駅を延長
飯62 H14. 2.25 小滝橋 5.889km 小滝橋車庫~都営飯田橋駅が開通
橋63 H17.11. 1 小滝橋 永田町→平河町二丁目で経路変更

h63

路線概要

山手線内を貫いて走る[橋63]と枝系統の[飯62]の2系統からなる。[橋63]は小滝橋車庫から大久保駅を経由し、牛込地区・麹町地区を走り、官庁街を抜けて新橋駅を終点とする。東京の様々な側面を一度に見られる系統でもある。[飯62]は牛込地区でほぼ完結しており、本数は少ない。これ以外に、路線図には載らない統計局急行も平日朝夕に運行されている。
バスは小滝橋車庫構内の停留所から発車し小滝橋通りを新宿駅方向へ向かう。
中央線のガードの下を抜け、関東バスの大久保駅停留所を過ぎるとバスは左折して大久保通りへ。程なく都営バスの大久保駅停留所に到着する。 関東バスよりも[橋63]の停留所の方が駅に近いこと、また、山手線新大久保駅を経由することから、区間利用客も割と見かける。大久保駅にて時間調整をすることが多いが、これは小滝橋通りの渋滞対策で若干所要時間を多めに取る便があるためである。
新大久保駅を発車し、山手線のガードを抜けると道の左右に韓流ショップが並ぶ。元々このエリアには在日韓国人街が形成されており、韓国料理店が多かったが、昨今の韓流ブームを経てK-POPアイドルグッズ等を扱う店も増えた。
大久保通り停留所を過ぎ、明治通りとの交差点を直進すると都営戸山ハイツ停留所。都営バスの停留所では都営住宅や団地名が付けられた停留所は数多くあるが、「ハイツ」と命名されているのはここだけである(コラム参照)。
都営戸山ハイツ停留所の向かいには、小滝橋車庫ゆきの大久保通り停留所が設置されている。「みんくるガイド」にも実際の停留所位置に合わせて忠実に表現されている。
都営戸山ハイツと戸山公園を左手側に見ながらバスは坂を登っていく。坂道を登り切ると右手に総務省統計局の庁舎が見えてくる。
総務省統計局前には国立国際医療研究センター前、その先には戸山町停留所が設置されている。平成8年までは、以前はそれぞれの停留所名は逆であった。立地の実情に合わせて停留所名を入れ替えたものと思われる。
戸山町から若松町にかけては商店街が形成されており、買い物客が乗降する光景も見かける。この商店街が加盟する新宿区商店会連合会のウエブサイト内にある若松商店会ページにはこういう記述がある。
「平成12年12月に開通した大江戸線もホームまで行くのに地下3階で歩くところが多くて「若松町に来づらくなった」との声も出て、バスの再開通を望む声も出るなど、いかにしてお客様の来やすい商店会にするかは今後の課題である。」
ここで言うバスというのは、新宿車庫・新宿駅西口から飯田橋・秋葉原駅を結ぶ[秋76]のことで、バスの再開通を望んだ結果が[飯62]なのかもしれない。[秋76]として復活したのではなく、大久保方面への経路を選んだのはこういう声も一つにあったのではないかと思われる。
若松町を過ぎると、牛込柳町に向けて一気に坂を下るが、下り坂の途中に、横断歩道もないのに停止線が引かれ信号機が設けられている地点がある。しかも逆方向(上り坂)には信号機がない。いったい何のための信号なのか。
その理由は、この先の市谷柳町交差点が深い窪地にあるため、自動車の排気ガスがこもりやすい、信号待ちの車を坂道に溜めないよう制御するためである。信号機設置の発端には昭和45年に有鉛ガソリンで周辺住民の鉛中毒にかかっているとされた「牛込柳町鉛中毒事件」があった。健康調査の結果鉛中毒ではなく報道は誤りだったが、乗用車ガソリンの無鉛化が進むきっかけとなった土地でもある。
そんな経緯のある坂道の途中にあるのが牛込柳町駅前停留所。外苑東通りの拡幅工事も進み、マンションも増え、大江戸線が開通した頃と比較しても景色が変わりつつある。
再び坂道を上り、牛込郵便局が見えてくると神楽坂エリアへ。牛込北町交差点で[橋63]は右折し牛込中央通りへ、[飯62]は大久保通りを直進する。
交差点を右折した[橋63]は片側一車線の牛込中央通りを抜けて外堀通りへ。途中の納戸町(なんどちょう)停留所の先には、読者の皆さんが一度ならずお世話になっているであろう、「るるぶ」や「JTBキャンブックス」「JTB時刻表」を制作・発刊している株式会社JTBパブリッシング本社がある。
市谷田町交差点を右折し外堀通りを僅かに走って、市谷見附の交差点を左折し、中央線と外濠をまたぎ番町・麹町エリアへと進んでいく。
市ヶ谷駅停留所は新坂の途中にあり、新坂を登りしばらく進んでいくと番町停留所。日本テレビ前という副名称があるが、汐留に移転する前はここに日本テレビの本社社屋があった。今でも社屋は日本テレビ放送網麹町分室として使われているため、副名称がそのまま残っている。
再びすり鉢状の坂道を上り下りして、新宿通りにある麹町4丁目交差点をクランク状に横断してプリンス通りへ。通りの名前は、かつてグランドプリンスホテル赤坂(赤坂プリンスホテル)が通り沿いに建っていたことに由来する。諸外国からの要人が宿泊すると関係
車以外通行止めとなり、[橋63]も通行が認められていたがプリンス通り上にある平河町二丁目のみ乗降不可(通過扱い)という措置が行われたこともあるとか。
プリンス通りから国道246号線へ左折、平河町交差点を右折し日本の政治の中枢である永田町・霞ヶ関エリアへ入る。なお、小滝橋車庫方面は246をいったん赤坂見附交差点まで下ってからUターンしてプリンス通りへ入るので、厳密に乗りつぶしたい方は要注意。以前は双方とも青山通りを横断していたが、往来の危険もあるのか、小滝橋方面のみ平成17年から今の経路になった。
永田町停留所前には自由民主党党本部と参議院別館が、国会議事堂前停留所は国会議事堂の北側に位置し国会図書館の最寄り停留所である。
バスは国会議事堂の正面を走り抜け、財務省上交差点から潮見坂を下り、国会通りを走ると経済産業省前停留所に到着するが、都営バスの停留所にJRバスが停車している光景を見かける。ここは国鉄東名ハイウェイバスの時代から都営バスと停留所を共用しており、JRグループ側での停留所名は「霞が関」。東名ハイウェイバスの他、新宿駅を経由しないドリーム号などの夜行バスや東海道昼特急が停車する。
日比谷公会堂を左に見て、内幸町交差点を右折して日比谷通りへ。内幸町停留所の新橋駅方向は、昔は[黒10](目黒駅~東京駅南口)とも乗り換えできた。夜になると平成12年の廃止以前の名残がうっすらと浮かび上がり、往年を忍ぶことができる。
西新橋交差点を左折して外堀通りへ、程なく新橋駅北口停留所が見えてくるが[橋63]は停車しないため内側車線を進み、JRのガードを抜ける。ちょうど新大久保駅の上と下ですれ違った山手線とこのガードで再会し、新橋一丁目交差点を右折しそのまま回り込むようにして新橋駅に到着する。

[飯62]は平成12年12月までは[秋76]として運行されていたルートをなぞる。
大江戸線牛込神楽坂駅の出入口を通り過ぎ、早稲田通りとの交差点手前に牛込神楽坂駅停留所が設置されている。[秋76]時代は神楽坂と名乗っていたが、東京メトロの神楽坂駅からは若干距離があった。なお、ガイドブックやテレビの情報番組等で取り上げられる本来の「神楽坂」はこの付近一帯の早稲田通りに沿ったエリアで、神楽坂通りという別名もある。
新宿区最古の鳥居がある筑土八幡神社を過ぎると東京新宿メディカルセンター停留所。以前は東京厚生年金病院停留所だったが、平成26年に病院が公設・公営の病院へと移行し、病院名が変わったため停留所名も改称された。なお[秋76]時代は津久戸町だった。国立国際医療研究センターのように正式名に追従するため、こういった施設名のバス停は長くなりがちである。
そして病院前の坂道を下ると飯田橋停留所。バスはこのまま飯田橋交差点を左折して外堀通りを僅かに走り、ガソリンスタンドが見えてくると路地へと曲がる。警視庁遺失物センターの建物沿いに曲がると、終点の都営飯田橋駅前に到着するが、大江戸線飯田橋駅の出入口はバス停のちょうど反対側の歩道。しかし停留所の近くには横断歩道がないため、駅に向かうには少し離れた横断歩道を渡るしか方法がない。[飯62]として再度路線を引くときに、[秋76]を忠実に再現せずに逆回りにすれば良かったのではと、ここに来るたびに思うのであった。
※バスの直前直後の横断は、非常に危険です。安全のため横断歩道を渡りましょう。

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