都営バス資料館

深川営業所

車庫の概要

 お台場・豊洲・銀座という、お台場を除く中央区・江東区の湾岸部を担当する。所管路線数も車輌数も多く、出入りするターミナルも多岐に渡るが、豊洲駅や晴海埠頭、東京ビックサイトなどが挙げられるであろう。

所管系統

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
木11甲-1 木場駅→東陽町駅→新砂1→新木場駅→(循環)→新木場駅→東陽町駅 13.210km 6 3 1
木11甲-2 東陽町駅~新木場駅(←新木場2、東千石橋→)若洲中央~若洲キャンプ場 8.720/8.870km 26 26 19 22
木11甲-3 新木場駅(←新木場2、東千石橋→)若洲キャンプ場 5.450/5.600km 11 11 10 7
木11甲-4 新木場駅(←新木場2、東千石橋→)若洲中央~若洲キャンプ場 7.620/8.170km 19 20
木11甲折返-1 東陽町駅→新砂1→新木場駅→(循環)→新木場駅→東陽町駅→木場駅 13.210km 2 5 2
木11甲折返-2 東陽町駅→新砂1→新木場駅→(循環)→新木場駅→東陽町駅 11.990km 48 39 11
木11甲折返-3 東陽町駅→新砂1→新木場駅→(循環)→新木場駅 8.720km 5 7 10
木11甲折返-7 新木場駅→(循環)→新木場駅→東陽町駅 8.720km 1 5 14
木11甲折返-4 東陽町駅~新砂1~新木場駅 3.270km 5 6 6 8 20 15
木11甲折返-5 新東京郵便局→新木場駅 1.630km 1 1 1
木11甲折返-6 東陽町駅←新東京郵便局 1.640km 1 1 1
木11甲折返-8 新木場駅→(循環)→新木場駅 5.450km 5 1
木11甲-5 東陽町駅~新木場駅(←新木場2、東千石橋→)若洲キャンプ場 4.350/4.900km 2 1
錦13甲 錦糸町駅~住吉1~東陽3~豊洲駅~IHI~晴海3~晴海埠頭 9.830/9.650km 44 41 48 44 34 31
錦13甲折返-1 錦糸町駅~住吉1~東陽3~豊洲駅 6.350/6.390km 12 13 4 6 2 3
錦13甲折返-3 錦糸町駅←住吉1←東陽3 3.440km 2 2 2
錦13甲折返-4 東陽1→豊洲駅→晴海3→晴海埠頭 6.200km 1 2 1
錦13乙 錦糸町駅~住吉1~東陽3~辰巳駅~東雲駅~深川車庫 8.420/8.460km 44 44 47 47 40 40
錦13乙折返 東陽1→辰巳駅→東雲駅→深川車庫 4.790km 1
錦13出入 深川車庫~東雲都橋~豊洲駅~IHI~晴海埠頭 4.980km 4 3 2
東15甲 深川車庫~豊洲駅~勝どき駅~明石町~東京駅八重洲口 8.034/7.814km 37 40 35 36 31 32
東15乙 深川車庫→辰巳駅→豊洲駅→勝どき駅→明石町→東京駅八重洲口 10.164km 1
都05-1 晴海埠頭~晴海3~勝どき駅~銀座4~東京駅南口 5.570km 92 93 76 76 72 71
都05-1出入-1 深川車庫~東雲都橋~豊洲駅~晴海3~勝どき駅~銀座4~東京駅南口 7.310km 2 2 2 2 1 2
都05-1出入-2 深川車庫~東雲都橋~豊洲駅~晴海3~晴海埠頭 4.980km 5 2
都05-1出入-3 豊洲駅←晴海3←勝どき駅←銀座4←東京駅南口 5.590km 1
業10甲-1 新橋~銀座西6~勝どき駅~豊洲駅~木場駅~菊川駅~とうきょうスカイツリー駅 12.770/12.940km 65 59 57 54 50 49
業10甲-2 新橋~銀座6~勝どき駅~豊洲駅~木場駅~菊川駅~とうきょうスカイツリー駅 12.830/13.110km 4 7 4 6 4 5
業10甲折返-1 新橋←銀座西6←勝どき駅←豊洲駅←木場駅 7.600/7.400km 4 4 1
業10甲折返-3 木場駅~菊川駅~とうきょうスカイツリー駅 5.170/5.540km 1 1 1 1 1 1
業10甲折返-4 新橋←銀座西6←勝どき駅←豊洲駅←木場駅←菊川駅 9.530km 6
業10甲折返-5 勝どき駅→豊洲駅→木場駅→菊川駅→とうきょうスカイツリー駅 9.750km 1 1 1
業10甲出入-1 深川車庫~豊洲駅~木場駅~菊川駅~とうきょうスカイツリー駅 8.830/9.200km 23 28 26 28 19 20
業10甲出入-2 深川車庫~東雲都橋~豊洲駅~勝どき駅~銀座西6~新橋 6.610/6.810km 26 31 20 22 20 20
業10甲出入-3 深川車庫~東雲都橋~豊洲駅~勝どき駅~銀座6~新橋 6.780/6.870km 4 3 2
業10甲出入-4 深川車庫→豊洲駅→勝どき駅→銀座西6→新橋 6.040km 1 1 1
都05-2 東京ビッグサイト~有明1~勝どき駅~銀座4~東京駅南口 8.530km 75 76 70 68 67 62
都05-2-折返 有明1~勝どき駅~銀座4~東京駅南口 7.100km 13 13 9 11 7 12
都05-2-折返-2 有明ガーデン~勝どき駅~銀座4~東京駅南口 6.470/ 6.290km 4 4 4 4 4 4
門19甲 深川車庫~東雲駅~辰巳駅~豊洲駅~豊洲1~門前仲町 6.500/6.280km 14 15 13 14 12 12
門19乙 深川車庫~東雲駅~辰巳駅~豊洲駅~枝川~門前仲町 6.620km 2 3 2 2 2 2
門19甲-2 東京ビッグサイト~東雲駅~辰巳駅~豊洲駅~豊洲1~門前仲町 9.280/9.060km 17 17 16 16 16 17
東16 東京駅八重洲口~月島駅~豊洲駅~有明1~東京ビッグサイト 8.600/8.820km 66 66 56 57 54 54
東16折返-1 東京駅八重洲口~住友ツインビル 1.650/1.660km 2 2
東16出入 東京駅八重洲口~月島駅~豊洲駅~深川車庫 5.350/5.570km 36 30 8 8 7 7
東16折返-3 東京駅八重洲口~月島駅~豊洲駅~有明1 7.170/7.390km 5 11 7 6 5 5
東16出入-2 東京駅八重洲口~月島駅~月島4~豊洲駅~深川車庫 5.830/6.390km 6 6 6 6 6 6
豊洲01 豊洲駅→第二公園→豊洲駅→キャナルコート3街区→豊洲駅 4.500km 9
豊洲01折返-1 キャナルコート3街区→豊洲駅 1.510km 20
豊洲01折返-2 豊洲駅→第二公園→豊洲駅→キャナルコート4街区 3.500km 6
豊洲01折返-3 豊洲駅→第二公園→豊洲駅→キャナルコート3街区 2.990km 2
豊洲01折返-4 豊洲駅→キャナルコート3街区→豊洲駅 2.500km 10
江東01 潮見駅→木場2→潮見駅→辰巳駅→辰巳中央→潮見駅 9.800km 9 9 9
深夜13★ 有明1~勝どき駅~銀座4~東京駅南口 7.100km 3 4
陽12-1 東陽町駅~豊洲駅~昭和大学江東豊洲病院 3.830/ 4.030km 18 19 14 14 14 14
陽12-2-1 東陽町駅~豊洲駅~市場前駅~豊洲市場 5.190/ 5.250km 12 13 1 2
陽12-2-2 東陽町駅~豊洲駅~市場前駅~水産仲卸棟~豊洲市場 5.590/ 5.650km 9 8 7 7
陽12-2-3 東陽町駅~豊洲駅~市場前駅 4.590/ 4.650km 4 3 1 1
陽12-3 東陽町駅~豊洲駅~市場前駅~フジテレビ~東京テレポート駅 9.682/ 9.742km 12 13 19 21


現在

車庫の歴史

東陽町駅前から少し東京駅寄りの永代通り沿いにある都営東陽三丁目アパートと、その向かいの東陽操車所。ここが、かつての洲崎営業所だった場所である。元々は市営バスではなく、城東乗合自動車の車庫として作られた。城東乗合自動車は、木場~(三ツ目通り)~本所吾妻橋~鶯谷の1路線のみ営業していた事業者で、昭和17年の陸上交通調整による統合時に東京市へ譲渡された。系統別データ集の[業10]の項も参照。
 統合時の資料によれば、城東乗合時代の名称は城東営業所となっていたが、市バスになってからは近隣の地名をとって洲崎営業所と名乗った。住所は東陽町だが、歓楽街としても知名度が高く、市バス創業期から乗り入れていた終点の名を取ったのかもしれない。

 統合時の営業所の住所は城東区東陽町2-4, 15となっており、この時点で既に永代通りの両側に車庫があったことが分かる。
 統合後も元城東の1路線のみ所管したが、戦争の激化により規模が縮小し、昭和19年に廃止された。といっても敷地はそのままであった。昭和11年、19年、22年の航空写真を見比べると、いずれも永代通り南側に広い屋根付き車庫と事務所のような建物が、北側にも土地があるのは変わっていないように見える(左下図の囲み)。戦災による焼失には遭わなかったようだ。
 戦後は、昭和22年8月に江東営業所の分車庫として再建され、昭和24年には営業所に格上げされる。車体にも書かれる営業所記号「S」は洲崎の頭文字を取ったのだろうか。

 当初所管したのは車庫前を走る[27](東京駅乗車口~葛西橋→[東21])、城東乗合の区間を一部復旧した[26](上野駅~洲崎→[秋26])、初の東雲方面の路線[19](東京駅乗車口~東雲→[門19])の3系統である。その後、車庫からやや離れた中央区の路線も受け持っていくようになり、順調に所管路線数が増えていった。
 昭和26年には城東乗合をなぞって復旧した[33](日暮里駅~木場三丁目→[業10])、昭和34年には大門通りを走る[75](錦糸町駅~晴海埠頭→[錦13])が開通し、江東区の都電が通らない通りを南北に結ぶ系統も受け持つようになる。
 なお、戦災復旧後に各方面に設定された郊外方面の共同運行系統については、洲崎は1系統も受け持つことがなかった。湾岸方面が中心で、受け持たせるのに適当な路線がなかったのだろう。昭和36年現在では[19][27][33][47][61][75]の6系統を所管していた。

 昭和40年代に入ると都電・トロリーバスのバス代替が進んだが、洲崎は代替系統とも縁が薄かった。江東区内の代替系統は江東や新設の葛西営業所が引き受け、洲崎は昭和43年に他からの調整で[18](東京駅南口~門前仲町→[東18])、[16](東京駅南口~勝どき五丁目→[東16](旧))を受け入れた程度である。大規模な車庫ではなく、余力の事情もあったのだろう。
 昭和35年には東雲都橋の先、現在の都営東雲一丁目アパートの敷地に東雲操車所を作り、昭和36年には分車庫に格上げした。ある程度配置車輛も分けていたようである。東雲都橋側を発着した[19][47][61]の3系統を担当した。
 そして、老朽化した営業所の抜本的対策として、東雲の埋立地に営業所を移転することとなり、洲崎・東雲を集約して昭和43年に深川営業所が開設された。三菱製鋼の工場に隣接した都有地で、当時の東雲鋼材置場・11号地の高速電車建設本部と隣接した13haの用地である。当時の交通局報によれば、周囲には倉庫街が少々ある程度で、南側には湾岸道路の予定地となる原っぱがあるばかり、夜には羽田空港や東京タワーの灯りが見える別世界であったという。当時の車庫収容面積としては、都電青山営業所の広大な跡地を仮利用していた渋谷(13,185m2)に次ぐ10,570m2であった。

 洲崎営業所は閉所となったが、交通局の年史や事業概要の年表によれば、移転は5月25日、洲崎車庫の出入庫の廃止と深川車庫の出入庫の新設は8月1日、「洲崎操車所」への改称は9月16日とズレているのは謎である。

 開設当初は現在とは異なり、オートバックスのある湾岸道路寄りに営業所の敷地があり、道路に面して営業所の、奥に整備庫などの建物が並んでいた。鋼材置き場を挟んだ北側には空地と東雲倉庫があり、かつては都営バスの廃車体がずらりと並ぶ土地でもあった(コラム参照)。
 洲崎営業所の跡地には都営住宅を建てることとなり、昭和44年に完成。北側の車庫は東陽操車所として存続し今の姿ができあがった。江東の巻も参照のこと。
 移転の際に営業所の名で「深川」を名乗ったのは不思議だ。旧深川区内ではあるが、元々の深川の地名は門前仲町周辺であり、車庫から遠く離れている。東雲営業所が一番順当な気もする。どのような経緯で名前が決まったか、気になるところだ。

 移転後は所属車数が170輛を超える最大級の規模の車庫となる。鉄道未開通のエリアであり、辰巳・東雲などの団地群や、豊洲の石川島播磨工業を代表とする工場への通勤輸送を一手に担った。昭和40・50年代は、都営バス全体としては財政再建による大量の路線廃止・短縮が行われた時期であったが、深川管内ではほとんど影響を受けていない。逆に、昭和49年の[東19丁](門前仲町~海上公園)、昭和51年の[木11](木場三丁目~新木場循環)、昭和60年に[海02](東陽町駅~フェリー埠頭)など、新たな埋立地へのアクセス路線が作られていった。[東19丁](→[門19丁])は昭和57年に[海01](門前仲町~品川駅東口)に進化し、当時のお台場への唯一の公共交通機関として活躍した。ただし、未開発の地を走るので採算は悪く、昭和59年に埋立事業者である港湾局と協定を組み、[海01][木11][海02]の運行経費の負担を受けるようになった(現在は解消)。

 大きな転機となったのは、昭和63年6月の有楽町線の新富町~新木場延伸である。月島・豊洲・辰巳・新木場と都バスの独占地域に駅が開業し、[橋14][東18][東21]は廃止され、[東15][門19]も打撃を受けた。
 ただし、そのまま規模が縮小したわけではなく、晴海通りの路線が都市新バス化され、新たに開通した[都05](東京駅南口~晴海埠頭)を受け持ち、余剰となったリソースを振り向けた。晴海見本市会場へのアクセス強化の狙いもあったのだろう。
 平成3年には研修所や自動車工場が芝浦から移転し、東雲庁舎が完成。営業所の敷地は旧東雲倉庫寄りの北側に移り、今までよりも広大となった。旧用地はスーパーオートバックスに貸し付けている。
 平成に入ってからも新たな需要を求めた路線を担当しており、新たな高層ビル通勤路線の[東15乙](東京駅八重洲口~住友ツインビル)、レジャー路線の[夢01](錦糸町駅~新木場駅)、銀ブラバスなどがある。

 平成2年に京葉線(新木場~東京)が開通、平成7年にはゆりかもめ(新橋~有明)が、平成8年には東京臨海高速鉄道(新木場~東京テレポート)が開業し、急速に鉄軌道の整備が進む。一方で、晴海の見本市会場が有明に移転して東京ビッグサイトが開業するなど、お台場・有明エリアの開発も急速に進んでいった。都営バスも需要の変化に対応すべく、[東15乙]をビッグサイトに延伸するなど改編を行った。[東15乙]は東京駅直結の速達性が支持され[東16]として基幹路線に進化していく。

 平成6年にはCNG(圧縮天然ガス)充てん施設が完成し、低公害のCNGバスも配置されるようになった(平成25年に停止、後に撤去)。
 平成12年の大江戸線改編では、勝どき駅・月島駅が開業し、晴海通りの都市新バス[都03~都05]が大きな影響を受けた。このとき、杉並所管の[都03](新宿駅西口~晴海埠頭)を四谷駅発着に短縮して引き受け、平成15年には江東所管の[都04](東京駅南口~豊海水産埠頭)も担当したが、ダイヤ改正ごとに本数が減っていく状態だった。明るい話題は [夢01]を延伸した[急行05](錦糸町駅~東京テレポート駅、江東の巻参照)がお台場やビッグサイト、東京ディズニーリゾートへの行楽輸送に人気を博した程度で、りんかい線の大崎への延伸の影響もあり、お台場・有明の路線も本数が微減傾向となっていた。

 思わぬ追い風となったのが、都心回帰による人口増である。バブル崩壊後の地価下落、工場や倉庫の移転により、広大な再開発用地が都心至近のこのエリアに出現し、超高層マンションの一般化と相まって、勝どき・豊洲・東雲・有明地域の人口は急激に増加していった。例えば豊洲の人口は平成12年まで7,000人前後だったのが平成16年から急増、平成20年に20,000人を突破、平成30年1月には37,000人と6倍以上になっている。有明は長らく数百人程度だったのが平成21年から増加が始まり、平成30年には9,000人となっている。

 駅から若干離れた場所にもタワーマンションが次々と建つようになり、[海01][都05][東16]を中心に、平成20年頃から毎年のダイヤ改正のたびに増便されるようになる。晴海大橋や木遣り橋の開通など道路網の整備も追い風になり、当初は土休日のみのレジャー系統として開通した[都05丙](東京駅南口~東京ビッグサイト→[都05-2])も、平成25年から平日運転を開始、1~2年に1度は増便改正が行われている。

 このような状況の中で所属車輛数は増え続けているが、湾岸エリアのマンション開発はさらに続くと見込まれている。
 そして、2020東京大会の開催が決定してから発表された交通局の「経営計画2016」では、周辺の開発や豊洲市場などのアクセス、大会後の輸送増加に対応して新たな営業所を有明地区に設置することが明記された。既に建設が始まっており、2020東京大会前には開所する予定となっている。
 今後影響を受ける要素としては、晴海などの大規模な住宅開発による人口増、勢力を伸ばしつつある東京BRT、将来的な計画では都心~湾岸方面の地下鉄計画や有楽町線の延伸(豊洲~住吉)といったものがあるが、どのように棲み分けていくのか注目となりそうだ。

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