都営バス資料館

新小20

[新小20]

担当営業所

臨海支所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
新小20 東新小岩4~新小岩駅北口~鹿本中学校~一之江橋西詰~一之江駅 8.320km 10 11 10 11 12 12


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
新小20甲 S62.1.14 今井 8.060km 東新小岩3~新小岩駅北口~環七~一之江駅が開通、京成と相互乗入
新小20乙 S62.1.14 今井 7.290/7.010km 新小岩駅北口~一之江駅を開設、乙とする
新小20 S62.5.5 臨海 8.060km 今井支所・江戸川営業所を臨海営業所へ新設統合、臨海へ移管
新小20乙 S63.12.1 臨海 7.740/7.010km 新小岩駅北口→環七の経路を東新小岩4・総武陸橋経由から東新小岩3・本一色経由に変更
新小20甲 H8.7.20 臨海 8.320km 都営のみ東新小岩4~東新小岩3を延長
新小20 H16.4.1 臨海 *** はとバスに運行を委託
新小20乙 H23.3.28 臨海 *** 朝のみ運行の新小岩駅北口~一之江駅を廃止、全便[新小20甲]東新小岩四丁目~一之江駅とする
新小20 H31. 4. 1 臨海 8.320km 一之江駅乗り場変更に伴う経路変更

路線概要


 京成と共同運行で新小岩地区から一之江駅を結ぶ。環七を経由しており、同じエリアを結び本数が比較的多い[新小22][新小29]と比べると、1時間に1本程度とかなり本数が少ない。
京成タウンバスと共同運行で、京成では大杉線という路線名が付いている。路線の約2/3が環七を走行し、臨海管内では最も環七の走行距離が長い。その一方で、狭隘区間もあるなどギャップ萌え要素も含まれる路線である。
一之江駅の乗り場は駅ビルの裏の9番となる。駅の出入口からは全く見えない位置にありちょっと分かりにくい。出発するといったん今井街道へ出るがすぐに環状七号線へと右折し、北上していく。
一之江高速入口を過ぎ、京葉道路と交差する一之江橋西詰辺りから新小岩方面を待つ乗客の姿もちらほら見られるようになる。
ロードサイド店舗の駐車場へと入る車をかわしつつバスは環七をさらに北上する。大杉五丁目の先で環七の本線は連続立体交差で鹿骨街道と千葉街道を越えていくが、[新小20]は本線には入らず側道を進んでいく。松本弁天からバス停のポールが都営様式から京成様式へと変わり、鹿本中学前で千葉街道と交差し、左前方に富士急行観光バスの本社営業所が見えてくると鹿本中学校となる。
上一色中学校停留所の先で、環七は総武線を跨ぐ陸橋へと進むが、ここでも[新小20]は側道を進む。上一色コミュニティセンターを出発すると、車内放送が「この先道路が狭く、危険ですから、窓から手や顔を出さないようお願いします」と注意喚起を行う。目の前に総武本線が走る築堤が迫る突き当たりで左折し、バスがすれ違えないくらいの狭隘区間を一瞬走る。さらに左折、右折を続けて上一色に到着する。「かみいっしき」と読む少し面白い地名だ。全国に分布しており、中世の荘園で一種類の年貢のみ納めればよい一色田に由来する地名とされるが、ここの由来は江戸川区の調査では由来不明となっている。
新小岩四丁目を過ぎ、小松川境川親水公園のモニュメントが見えてくる。そのモニュメントには江戸川区と葛飾区が連名で入っているが、親水公園が区界となっているためである。ここからは[新小29](東新小岩四丁目~葛西駅)と合流する。
モニュメントの手前で右折すると右前方に総武線を跨ぐ小松陸橋が見えるが、バスは左手に進路をとる。次の下小松橋からはバス停のポールも都営バスと京成バスの二本が立つようになる。そしてすぐに小松中学校の体育館の前で道は90度に曲がり、センターラインはあるが大型のすれ違いが困難な道幅となってくる。小松中学校停留所の新小岩駅方向はネコの額ほどに狭い歩道に2本のバス停ポールが並ぶ。バス停に隣接して建つマンションのエントランスには「敷地内にタバコ・空き缶等を捨てないでください。守られない場合はバス停を設置出来なりますのでご協力をお願い致します」という立て看板が都営・京成の連名で設置されており、敷地を間借りしてバス停を設置する難しさがうかがえる。
次の停留所は新小岩二丁目。ここで下車した方が新小岩駅へは早いため、降車客の姿も多く見られる。そして平和橋通りへ右折し、アンダーパスで総武線をくぐると新小岩駅北口。たつみ橋交差点を右折し蔵前橋通りへと進む。
 東新小岩三丁目停留所で、近くに操車所のある京成便は終点となるが都営バスはさらに蔵前橋通りを進む。前方右手にマクドナルドが見えてくるとバスは右折して細い路地へ進み、マクドナルド裏手にある細長いバス操車所が終点の東新小岩四丁目である。

歴史

 都営新宿線の篠崎開業から遅れること4か月、昭和62年1月に京成電鉄(当時)との共同運行路線として開業した。この時期に新たに共同運行路線を立ち上げたのがなかなか興味深いが、都営新宿線の開業で大きく減収となる京成がエリア拡大を目論んだこともあるのだろう。当時は環七の鹿本中学校~一之江橋西詰間にはバスがなく、上一色や大杉付近はちょっと不便なところであった。バス路線を求める地元の声も大きかったようで、歩道橋に開通を記念する垂れ幕が架かった写真が残っている。
 開通当初は京成・都営合わせて平日60往復以上と思い切った本数が設定されたものの、営業係数の順位は下から数えたほうが早い状態だった。乗客数こそ僅かずつ増えて、平成5年度には1,632人/日、営業係数は128と改善されたが、その後は江戸川区統計書によると減少に転じた。
平成11年の[船31](船堀駅~小岩駅)の試験運行開始で路線の一部が重複するからか20往復強にまで減らされ、平成12年に[船31]が試験運行を終了しても本数は元に戻らなかった。江戸川区の統計では平成13年度
の乗客数は600人程度にまで減少した。平成16年にはとバス委託(臨海移管)となる。平成27年度の乗客数は459人/日となっており、ジリ貧状態だろう。相方の京成も平成13年2月から分社化した京成タウンバスに移管されており、都営・京成タウンとも中型系での運行がほとんどとなっている。

ループ状に折り返し

 平成23年3月改正まで、平日・土曜の朝ラッシュ時の[新小20]と[新小29]は、東新小岩四丁目発着ではなく、新小岩駅北口を通常時と逆側から発車し、蔵前橋通り→小松陸橋経由の時計回りループを描くように走っていた。これは、蔵前橋通りの上り線の酷い渋滞のため、東新小岩四丁目から新小岩駅だけで20~30分かかってしまっていたためである。
 このループ状経路を最初に取り入れたのが[新小20]である。昭和62年1月の系統開業時から、他の系統に先駆けて設定された。
 当初のルートは、新小岩駅北口を出た後に東新小岩三丁目からさらに蔵前橋通りを進み、環七へ右折して総武陸橋を渡り合流していた。しかし、上一色地区から一之江駅方面に出るにも新小岩駅を大回りしなければならず評判が悪かったのか、昭和63年12月には東新小岩三丁目を出ると右折して小松陸橋で総武線を渡るようになった(右図細線)。平成2年からは[新小29](東新小岩駅四丁目~葛西駅、春江町終点)も同様の運行形態となった。
 長らく続いたこの取り組みも、たつみ橋交差点の立体化で蔵前橋通りの渋滞が劇的に緩和したため、平成23年3月限りで廃止された。現在は京成タウンバスの担当便に朝に新小岩駅北口発着の設定が残るのみとなっている。この便は新小岩駅北口でそのまま折り返して一之江駅方面へと向かっている模様だ。

東新小岩三丁目の秘密

 
開通当初、京成は操車所の関係で東新小岩三丁目止まりであり、都営もそれに合わせていた。つまり都営は三丁目~四丁目の一区間だけ回送していた。京成は[新小24]の開業後の昭和45年頃に下小松橋近くの蔵前橋通り沿いに操車場を設け、[新小20]の操車のほか新小岩駅発着系統の休憩にも使っていたが、近年は規模も縮小し、通り沿いの敷地は売却したのかすき家になっている。細長い敷地でターンテーブルも備えているのが特徴だ。
都営との共同運行系統は本数も区間も揃えるのが基本だったが、平成8年に都営のみ東新小岩四丁目発着に改められた。都営・京成が交互の運転でもなく、都営の本数が微妙に多い。もはや、全てを揃える必要がなくなったのであろう。
平井大橋を都バスが渡る?
 平成28年4月改正までは、平日土曜の朝ラッシュ時に臨海車庫から一之江駅まで出庫して[新小20]で東新小岩四丁目まで(平成23年までは新小岩駅北口まで)片道のみ運転した後、平井大橋を経由して東大島駅まで回送し、平日は[門21]、土曜は[草24]に流れる運用が存在していた。現在はその設定はなくなったが、[新小20]だけ往復した後に東新小岩四丁目→臨海車庫を回送する運用が残っているのは少しもったいない気もする。

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