都営バス資料館

都02乙

[都02乙]←[池67]←[楽67]←[517]←都電17

担当営業所

小滝橋営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
池袋駅東口~大塚2~大塚車庫~春日駅~東京ドームシティ~一ツ橋 6.603km 平土朝
池袋駅東口~大塚2~大塚車庫~春日駅~東京ドームシティ 5.1/5.1km
出入 池袋駅東口←大塚2 2.4km
出入 高田馬場駅~小滝橋車庫(飯64)

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
517 S43.2.25 大塚 9.796km 都電17(池袋駅~数寄屋橋)の代替で池袋駅東口~数寄屋橋が開通
517折 S43.2.25 大塚 6.693km 教育大学~数寄屋橋を開設(朝のみ)
517 S44.6.9. 大塚 *** 池袋駅東口~有楽町駅に変更、折り返し系統も同様
517折 S44.10.26 大塚 *** 教育大学~数寄屋橋を廃止
517折 S44.10.26 大塚 6.943km 池袋駅東口~一ツ橋を開設
517折 S44.10.26 大塚 5.003km 池袋駅東口~文京区役所を開設
517折 S44.10.26 大塚 2.703km 池袋駅東口~大塚2を開設
517 S46.3.18 大塚 10.233/9.686km 神田橋付近の一方通行規制に伴い、一ツ橋~呉服橋の経路変更
楽67 S47.11.12 大塚 *** 系統番号を楽67とする
楽67折 S50.8.1 大塚 *** 池袋駅東口~文京区役所、池袋駅東口~大塚2を廃止
楽67折 S50.8.1 大塚 3.940km 大塚車庫~一ツ橋を開設
楽67折 S50.8.1 大塚 6.683km 有楽町駅~大塚車庫を開設
楽67 S52.3.31 大塚 (9.665km) キロ修正に伴う変更
楽67 S54.9.3 大塚 (10.093km) 池袋駅の乗り場変更に伴う一部経路変更?
楽67 S55.6.2 大塚 9.893/10.293km 一部経路変更
池67 S57.12.26 大塚 6.603km 一ツ橋~有楽町駅を短縮、系統番号を池67とする
池67 S61.12.8 大塚 6.663km 池袋駅東口の乗り場変更に伴うキロ程変更
都02乙 H2.7.21 大塚 6.663km 大部分を池袋駅東口~文京区役所(現春日駅)折り返しとし、都02乙とする
都02乙折 H16.11.1 大塚 *** 池袋駅東口~春日駅を池袋駅東口~東京ドームシティに変更
都02乙 H20.4.1 巣鴨 *** 巣鴨に移管
都02乙 H27.3.30 小滝橋 *** 小滝橋に移管

路線概要

atozg_054  池袋駅東口から東京ドームシティ・一ツ橋を結ぶ。本線は一ツ橋までだが、そこまで行く便はごく僅かに限られ、ほとんどが東京ドームシティ止まりとなっている。系統番号は都市新バスの一員なのだが、都市新バス系統かどうかというと、後述の通り微妙な立場と言える。
池袋駅東口はグリーン大通り上の停留所からこの系統は出発する。[都02乙]の停留所の前方には[王40][王55](池袋駅東口~西新井駅・新田一丁目)と[草64]が発車するが、これらの系統はすぐに左折して明治通りの方を目指して走って行くため、このまま都心方面へ向かうのは[都02乙]のみとなっている。
サンシャイン60を左手に見ながらバスは走る。都電荒川線との乗り換え点である東池袋四丁目には、平成20年まで[池86](池袋駅東口~渋谷駅東口)が折り返す日ノ出町操車所があったが、現在では再開発に伴い閉鎖されている。昭和時代はこの系統の操車所としても使われていた
ここからバスは坂道を緩やかに下っていく。途中には雑司ヶ谷霊園入口という停留所があり、彼岸時には墓参客が利用する姿も見られる。
坂を下りきると護国寺停留所であるが、護国寺へ参拝する場合は次の護国寺正門前が便利である。護国寺正門前を過ぎるとバスは坂を上り大塚三丁目。交差点を春日通りへ曲がる。大塚三丁目の停留所を出発すると大塚車庫前にかけて、擂り鉢状の坂道を走る。この付近の豊島区と文京区内は武蔵野台地の先端部分に位置するため、道路環境も起伏に富み、坂道を登ったり下りたりが必然的に多くなる。そのため坂道区間だけ利用するという使われ方もされたりする。
この先は[都02]と同じ経路をたどるが、富坂を一気に下ると右折して春日駅前に到着、大半の乗客はここで下車してしまうが、バスはさらに東京ドームに沿って走り、壱岐坂下交差点の交差点を左折したところで終点の東京ドームシティである。
ところでこの[都02乙]には、平日と土曜日の朝方に東京ドームシティ行ではない便が運行されていることをご存じだろうか。その行先は『一ツ橋行』である。
富坂を下るところまでは東京ドームシティ行と同じだが、一ツ橋行は交差点を直進して[都02]と同じ春日駅前に停車し、春日町の交差点を右折して白山通りへ入る。
一ツ橋方向のみ設置となっている春日一丁目停留所に停車すると、次は東京ドームシティ。ここからがこの路線の独自区間である。右手に東京ドームシティを見ながら後楽園、そして中央線のガードを抜けると水道橋駅前である。この付近には日本大学はじめ多くの学校が建ち並んでいるが、この路線で通学しているという学生の光景は過去の物となってしまったようだ。
水道橋を過ぎると神保町となる。このあたりは岩波書店や小学館等の出版社が多く立地することや明治時代に神保町から水道橋にかけて法律学校が創立され、そこへ通う学生たち相手に古書店が相次いで開店していったのが書店街の始まりと言われる。水道橋~神保町の通り沿いは飲食店の数も多い。
また予備校や専門学校も相次いで創立し、法律学校が大学へと進化し、学部も多様化するにつれて専門書店も年々オープンして「古書店と学生の街、神田神保町」は形成されていった。空襲の影響も受けなかったことも要因の一つだろう。西神田一丁目のバス停の少し先には歴史ある予備校として有名な昭和初期建築の研数学館の建物が見える(現在は建物が残存するも居酒屋として再利用)。
神保町の交差点を過ぎ、共立女子大の建物が見えてくると程なく終点の一ツ橋である。今でも固定客がいるという話を聞くが、帰りはどのようにして帰っているのだろうか。一ツ橋から大手町までは指呼の距離、願わくは東京駅まで延長運転というのは夢のまた夢だろうか。

歴史

 都電17系統の代替系統である。戦前は市電16系統と名乗り、大塚駅~春日町~一ツ橋~新常盤橋と進んだ後、外堀通りを南下して数寄屋橋・新橋駅北口まで達していた。これとは別に、昭和10年代に入ってから大塚仲町(現大塚三丁目)~池袋駅の区間が開業し、昭和15年には大塚仲町の不忍通り~春日通りの渡り線が完成し、21系統(池袋駅~春日町~一ツ橋~新常盤橋~東京駅東口:現八重洲口)となった。この2系統は小石川・春日沿線から都心に出る目的があったが、重複区間が大きく、昭和17年末に16系統は一ツ橋から先、日比谷通りを南下して大手町経由で日比谷までの系統に変更され、昭和20年に入って空襲後の運転休止の際、復旧後は2系統を統合して新:16系統、池袋駅~春日町~神田橋となった。その後、昭和22年に東京駅東口まで、さらに昭和23年5月には数寄屋橋まで路線が復旧し、戦後の路線の形が固まった。なお、[都02]の項でも述べたが、昭和22年秋頃に16・17系統の番号が入れ替わっている。
 池袋駅東口を発着する唯一の都電系統として、非常に多くの本数が設定されていた。昭和29年に丸ノ内線の池袋~御茶ノ水が開業したが、完全並行ではなかったことや地下鉄の駅数が限られていたことから乗客は依然多く、昭和30年代は都電16系統に本数・乗客数とも大きく差をつけていた。今の[都02]との落差を考えると信じられない話であるが、特に池袋駅~大塚仲町では1日に400回以上の運転回数があり、折返し系統も設定されていたたのである(昭和35年現在)。その先は伝通院・神保町・東京駅八重洲口で本数が段落ちする設定となっていたが、数寄屋橋までの通し運転も200回以上運転されていた。
 その都電17系統も昭和40年代に廃止されることになったのだが、他の都電代替系統に見られない特徴としては、2段階に分けてバス代替されたことが挙げられる。まず、昭和43年3月に都電の文京区役所~数寄屋橋が廃止された際には、代替バス[517]池袋駅東口~数寄屋橋が設定された。途中までとはいえ同じ区間を路面電車と代替バスが走るという事態になったのである。
ただし、それも1年半の間だけのことであり、昭和44年10月の都電全廃後は全便がバスでの運行となった。この直前に都心側の終点も有楽町駅に変更され、交通会館前に乗り場が置かれた。数寄屋橋が終点だった時代はどこで折り返していたのか不明であるが、そのまま外堀通りを回送して新橋まで行っていたのであろうか。
 池袋駅では都電はグリーン大通りの真ん中に専用のホームを作り、そこから発車していたが、代替バスもそれを引き継いでホーム跡地にのりばが設けられた。かなり目立っていて、この系統が特別であるということを示しているかのようだった。なお、仮代替時の乗り場は都電ホーム脇、今の[王40](池袋駅東口~西新井駅)乗り場付近にあった。バス代替後も池袋側は非常に利用客が多く、本線の有楽町駅行きのほか、ラッシュ時を中心に一ツ橋止まりや都電を引き継いだ大塚二丁目止まりも走るなど、今の[都01]並の賑わいを見せていたという。
 風向きが変わるのが昭和49年の有楽町線の池袋~銀座一丁目の開業である。東池袋・護国寺等近場の通学客や、都心への客が徐々に流出し、特に東京側の乗客が著しく減少した。なお、昭和54年末には道路中央の乗り場が廃止され、現在と同じ道路脇へと変更になった。
 昭和50年度には17,175人/日いた乗客も急激に減り、53年度には13,030人/日、56年度には9,151人/日と数年で半減してしまった。この状況で路線は維持できないということか、昭和57年12月の改編で一ツ橋以南を切り落とし、系統番号を[池67]に変えて池袋駅東口~一ツ橋となった。
しかし、一ツ橋止まりという状態も中途半端であり、バスの優位性が見出せないまま乗客は減り続けていった。昭和61年に [塚20]が都市新バス化されると、さらに影の薄い存在となった。乗客数は昭和60年度に5,000人/日を割って以降は暫く下げ止まったものの、100円稼ぐためのコストとなる営業係数は120~130で、慢性的な赤字系統となっていた。
 このような状況下で、平成元年度に交通局は[池67]の廃止を計画する。[上58](早稲田~上野公園)がJR駅と接続していないことから、乗客増を目的として分割し、上野側は池袋駅東口~不忍通り~上野公園に変更し、[池67]を全線廃止するという大胆な計画であった。文京区役所(現春日駅)以南は[水59]共々バスを全廃する予定だったが、文京区議会を中心とする計画への反対運動が実を結んだのか、[池67]は廃止を免れた。
平成2年3月に[都02乙]と系統番号を変え、本数を減らしてほぼ全便が池袋駅東口~文京区役所の運転となった。本系統は一ツ橋行きだったが、そこまで行くのは朝の僅かな便だけとなった。系統番号こそ都市新バスであるが、乗客数や収支を[都02]と一括計上するという事情が優先されたという観もある。車輛は都市新バス車が回ってくることもなく、中型車が回ってくる場合すら珍しくなかった。
 これ以降は路線の形こそ安定したものの、本数は少しずつ減って行った。[池67]時代の末期は平日昼で12~15分間隔あったが、[都02乙]になると17~20分間隔に、そして平成12年の大江戸線改編では文京区役所行きが春日駅行きに改称されたと同時に減便され、25分間隔程度にまで広がった。
 これではまるで[都02]の支線扱いであり、お情けで都市新バスに引き上げられたような感じさえ漂っている。都電時代の系統の立場は逆転し、さらに大きな差がついたと言えるだろう。[都02]の並行区間でたまたま来たから乗る乗客以外は、池袋駅東口から茗荷谷・小石川付近への通学・通勤需要で細々と成り立っている路線と言える。
 平成16年11月からは、行き先が「春日駅」から「東京ドームシティ」に変更された(後述)。同時に運用数の削減のためか、出入庫の方法が変更され、従来は池袋駅東口~大塚車庫を営業運転していたのが、大塚車庫~東京ドームシティを回送するように変更され、それなりに走っていた池袋駅東口~大塚車庫の区間運転は始発最終のみと激減した。
 この回送は後の布石だったのか、大塚の規模の縮小とともに平成20年3月には巣鴨に移管された。現在は巣鴨車庫~東京ドームシティを中心に回送しているほか、早朝のみ大塚車庫始発の代替で大塚二丁目始発の池袋駅東口行きを運転している。巣鴨から不忍通り経由で回送し、筑波大附属小入口の道を通って春日通りを鋭角に右折するのだが、この区間はかつて[楽67]時代の池袋駅東口~大塚二丁目の折り返しに使っていた道路である。ある意味、復活と言えるだろう。
 なお、平成27年3月からは大塚支所閉所に伴う所管玉突きで小滝橋に移管された。出入庫は小滝橋車庫~高田馬場駅のみ営業して池袋駅東口まで回送になるパターンと、[上69]を活用して小滝橋車庫~春日駅を営業運転するパターンが設けられた。また、始発時間帯の一便が大塚二丁目始発から護国寺始発へと短縮されている。江戸川橋側から回送してくるのだろう。

文京区役所と東京ドームシティ

 元々はダイヤ乱れ時しか現れなかった文京区役所(現春日駅)止まり。区役所周辺に折り返せるスペースがあるわけでもなく、[池67]時代は春日通り上の文京区役所から脇道に入り、区役所脇の専用停留所を降車専用としていた。そこから現在のラクーア脇を抜けて白山通りに出て、春日通りに合流する部分までは回送で、春日通り上の文京区役所停留所から客扱いを行っていた。
 [都02乙]になった直後もこの取り扱いだったが、平成3年頃に利便性を高めるためか回送区間も含めて営業運転するようになり、終点停留所を「後楽園駅前」に改称し、白山通り上の壱岐坂下(現東京ドームシティ)にも停車するようになった。なお、文京区役所では乗り通しできなかったため、これらの後楽園駅前・壱岐坂下は実質的に降車専用のような扱いだった。
 平成12年12月に誕生した[急行02](大塚駅~春日駅)もこの区間を通って折り返しをしたが、こちらは後楽園駅の停留所を「春日駅(終点)」とし、昔の[池67]のように折り返しのループ区間は回送していたのが面白い。
 平成16年に東京ドームシティに終点が変更になった際は、走り方こそ変わらないものの東京ドームシティで全員降車となるように変更された。停留所の前はラクーアを遮る壁があるのみで、遊園地の入口ことアトラクションズゲートは停留所から水道橋寄りに少し歩いたところ。行き先表示に採用することで知名度アップを図る、という目的のほうが大きいのだろう。少しでも乗客が増えればということであろうか。ちなみに、入庫の場合はここから白山通りを北上して巣鴨車庫まで回送する。

青色幕

 [池67]から[都02乙]になった当初は、都市新バスの一員に名義上加わったということか、色つきの方向幕の表示となった。しかし用意された幕は青色地。並行区間が多い[都02]と同じ色とあっては誤乗が多く出たのも当然かもしれない。意見も多く寄せられたのか、さほど経たないうちに灰色地の方向幕に変更された。

一ツ橋

 路線の歴史にも書いた通り、本線の終点である一ツ橋まで来るのはわずか平日3回、土曜2回のみである。平成13年頃までは「みんくるガイド」からも無視される黒子的扱いであった。神保町界隈からは平成12年の改編で[茶81](渋谷駅~順天堂病院)・[水59]が廃止され、残るはついに[都02乙]のみになってしまった。都電が縦横に走っていた神保町の交差点に来る陸上交通も僅かになってしまった。
 かつての名残で停留所は電照式になっているが、朝しか来ないバス停が光ってもあまり意味はない。一ツ橋の降車ポールは、長らく昔ながらのダルマ型ポールであったが、平成22年頃にプラスチックのポールに建て替わった。
 停留所も、後楽園のように広告・屋根つきの新型バス停になっているものもある。1日に3回しか来ることはないが、ここまで来るとバス停というより、都心の広告スペース狙いと言ったほうがいいかもしれない。
 なお、一ツ橋で降車したバスは、先の一ツ橋河岸の交差点を右折し、首都高に沿って右折し、共立女子高の脇を通って左折、白山通りに再合流する。共立女子付近で待機している姿も見ることができる。

一方通行

 都電代替当初は、一ツ橋から南側は都電の跡をなぞって神田橋・鎌倉河岸を経由して日本銀行に達していたが、昭和46年にこの道路が西行の一方通行になったことで、東行(有楽町方面)は一ツ橋から正則学園前を経由して美土代町に、そこから神田橋で往復の経路がクロスして大手町ビルまで南下し、左折して逓信総合博物館(ていぱーく)の前を通過して常盤橋(日本銀行停留所)で元の経路に合流、と大きく姿を変えた。大手町から日本銀行までは距離があったが、途中に停留所がなく間隔が開いていた。
atozg_074 ▲都バスガイドブック(昭和57年)より
 神田橋・神田錦町界隈は、これまた往復で経路が異なる[東43](東京駅北口~荒川土手)と並走していたが、[東43]と並走区間にもかかわらず[楽67]の池袋方面だけ停車する錦橋という停留所が錦町河岸の交差点近くにあった。[東43]はこの交差点で右折することや、神田錦町の停留所が近いこともあって停まらなかったのだろうが、[楽67]の短縮後は代替で停まることもなく、そのまま廃止された。

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