担当営業所
品川営業所
運行区間・運行回数
系統・枝番 | 起点、経由地、終点 | 備考 | キロ程(往/復) | 平日 | 土曜 | 休日 | |||
→ | ← | → | ← | → | ← | ||||
市01 | 新橋駅~国立がん研究センター~勝どき駅~豊洲市場 | 5.180km | 21 | 20 | 16 | 16 | |||
市01-2 | 新橋駅~国立がん研究センター~勝どき駅~水産仲卸棟~豊洲市場 | 5.580km | 20 | 17 | 20 | 16 | |||
市01急行 | 新橋駅→国立がん研究センター→勝どき駅→水産仲卸棟→豊洲市場 | 5.580km | 1 | 1 | |||||
市01-3 | 新橋駅~国立がん研究センター~勝どき駅~市場前駅 | 4.580km | ** | ** | ** | ** | ** | ** |
現在
歴史
系統 | 年月日 | 営業所 | 距離 | 概要 |
14 | S23. 8. 1 | 品川 | 2.500km | 新橋駅~三原橋~中央市場が開業 |
14 | S25. 7. 1 | 品川 | 3.153km | 折返場変更による変更 |
14 | S27. 7.13 | 品川 | 3.173km | 新橋駅(←市場正門、三原橋→)海幸橋~築地中央市場に変更 |
14 | S40頃 | 品川 | *** | 新橋駅~(三原橋→)市場正門~築地中央市場に変更 |
市01 | S51. 2. 1 | 品川 | 1.300/ 1.070km | 全便とも新橋駅~(浜離宮→)市場正門~築地中央市場の短絡に変更 |
市01乙 | S55.10.13 | 品川 | 2.100km | 朝日新聞社移転により新橋駅~朝日新聞循環を開設 |
市01 | H11. 3.20 | 品川 | 1.250/ 1.250km | 新橋駅付近の経路変更 |
市01 | H14.11. 2 | 品川 | 1.250/ 1.250km | 休日運休になる |
市01 | H19. 3.26 | 品川 | 1.250/ 1.250km | 新橋駅→築地中央市場→朝日新聞社→新橋駅と循環状運転に変更 |
市01 | H30.10.11 | 品川 | 新橋駅~豊洲市場に変更・延長 | |
市01急行 | H30.10.11 | 品川 | 朝のみ水産仲卸棟経由、急行(国立がん研究センター~市場前駅の間無停車)を開設 |
路線概要
新橋駅から平成30年に新設された豊洲市場を結ぶ。豊洲市場開場前は新橋駅から1km程度離れた築地中央市場を結ぶ短距離路線であった。市場向けの輸送系統だけあって、5時から運転されており、終バスは17時までの早仕舞いとなる。学バスやアクセスラインよりも短い系統だが、運賃は昔から一般系統と変わりがない。
市場関係車が使うだけあり、車内は魚の匂いがつきやすく濡れることもある。そのため、かつてはビニールシート張りの専用中型車を用いて運行していた。
新橋駅の行きと帰りでは経路が異なり、行きは新大橋通りを経由して浜離宮の脇を通るが、帰りは朝日新聞社の前から昭和通りに戻るルートとなる。
国立がん研究センターからは晴海通り・晴海大橋・市場前駅を経由して豊洲市場まで達する。なお、朝のみ水産仲卸棟を経由するほか、国立がん研究センター~市場前駅の間が無停車となる急行便も設定されている。市場輸送がメインであるが、それ以外にも築地界隈のオフィスへの需要もあるため、市場が休みの平日であっても運転しており、市場前駅で運転を打ち切る設定となる。
(築地市場時代)
市場正門を右折して築地市場の構内に入り、構内でも乗り降りを行う。現在は市場構内で乗り通しができるようになっており、扱いは新橋駅→築地中央市場→新橋駅という循環線になっている。
なお、朝や市場休業日については、市場構内に入らず、市場正門前を左折して本線の帰りのルートに合流する運行となり、こちらも循環線となる。
歴史
築地市場時代は大きく姿を変えずに運転してきた。前身となる有楽町駅~(晴海通り)~魚市場という路線が昭和6年には開通していることからも、歴史の古さがうかがえるだろう。その後、新橋駅まで延伸して有楽町駅~魚市場~新橋駅という路線になったが、戦争中の昭和19年に一旦廃止され、戦後の23年に復活した際には新橋駅発着となった。折り返しのしやすさもあったのだろう。
起点終点はこの時から今に至るまで変わっていないが、経路は大きく変更されている。この時点では昭和通りから三原橋・晴海通りを通って、今は車の通行ができない海幸橋を渡り市場構内に入っていた。かつての有楽町駅発着の分の役割も兼ねて、晴海通りからの都電のアクセスを考えたのであろうか。
ただし、昭和20年代後半の時点では、市場からの帰りは現在と同じ経路でショートカットして戻るようになっている。
▲[14]系統(昭和40年1月現在)
この状態がしばらく続いた後に、昭和40年代に海幸橋を渡らず、三原橋から市場正門に行って構内に入るルートへと変更された。これと前後して、朝以外は帰りの経路と同じように、現在の朝日新聞社の前を通り市場まで直行するように変更されている。大回りするのは昭和44年のデータでは朝7時半まで、昭和50年では朝7時までとなっている。
▲[14]系統(昭和50年12月現在)
地下鉄も開業して都電も廃止され、この経路をとる意味もなくなったのか、昭和51年12月には新橋駅行きの経路を大きく変更し、新大橋通り・浜離宮を経由する現在の経路とした。これで今と同じ経路が完成した。
さらに、昭和55年には朝日新聞が現在地に移転してきたことで、[市01乙]新橋駅~朝日新聞社循環が運行を開始し、従来の系統は[市01甲]と名乗るようになる。乙線は当初はそれなりの本数が確保されたが、後に[市01甲]の走らない夕方~夜間にのみ走るようになった。また、休日は全便[市01乙]として運転された。
本数も多く、安定した系統であったのが変わるのが平成12年12月の大江戸線全通である。築地市場駅の開業により、特にオフィス需要は地下鉄に流出が進む。平成14年の改正では[市01乙]の運転をほぼ取りやめ、夜間と休日の運転を取りやめた。最盛期から本数は半分程度になったが、今でも市場の需要は根強く残っているためか、始発の早さや朝の本数の多さは変わらない。今後は築地市場の移転も考えられており、今後が気になる系統である。
▲[市01]系統(平成12年12月現在)
平成19年に経路が変更された。元々市場の行き・帰りともに朝日新聞社停留所に停車していたため、市場構内に入る場合、バスは二段階右折のような形になり、市場正門前の交差点にはバス専用の車線が設けられていた(右上写真)。この方法が警察の指導で取れないようになり、朝日新聞社(市場正門)に停車しないようになった。このため、築地市場を通しで乗れるようにすることで、朝日新聞社まで通しで一応乗車可能とした。
なお、朝日新聞社は2か所の停留所があったことになるが、平成21年に停留所名が改称され、新大橋通り上は「築地市場正門」に、新聞社前のバス停は「国立がんセンター」に名前が分かれた。後にがんセンターは「国立がん研究センター」へ改称されている。
平成28年11月には市場老朽化で長らくの懸案だった豊洲市場への移転が行われる運びとなっており、豊洲市場への延伸が予定されているが、移転延期により平成28年末現在は築地市場発着のままとなっている。