都営バス資料館

×東91

[東91]←[80]

担当営業所

品川営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
品川車庫~魚籃坂下~一の橋~六本木5~愛宕山下~日比谷(←大手町)~東京駅北口 9.588/10.476km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
80 S44.10.26 [芝浦] 9.588/10.476km 品川車庫~一の橋~東京駅北口が開通
東91 S46.12. 1 品川 *** 芝浦分車庫の廃止により品川営業所に移管
東91 S54.11.23 品川 *** 品川車庫~一の橋~東京駅北口を廃止

路線概要

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 品川車庫から東京駅を結ぶ系統だが、かなり独自性の強い系統であった。経路は途中まで[反96]と同じく第一京浜に合流して品川駅を過ぎた後、て泉岳寺から古川橋にかけては、伊皿子坂を登って高輪の台地の超え、魚籃坂を下って魚籃坂下のバス停に着き、一ノ橋(麻布十番駅)まで進む。
そこからは他の系統とは異なり、直進して高速道路の下を進み、飯倉片町で右折して東京タワーを正面に、ロシア大使館が右手に過ぎたら麻布台で左折、坂を下って[渋88](渋谷駅~神谷町駅~新橋駅、新宿を参照)をなぞるように神谷町で右折し、またすぐ左折して[東98](東京駅南口~等々力、港南を参照)の経路に入る。後は[東98]と同じように通産省(経済産業省)・内幸町・日比谷を経由して東京駅南口……と行くところだが、なぜか終点ターミナルが東京駅北口となるという非常に面白い路線であった。
 北口への行き方は、日比谷通りを直進して和田倉門で右折、幅広の行幸通りを通り、丸の内中央口の正面から北口へ到着。北口からの出方は、北口から[東43](東京駅北口~荒川土手・江北駅、北の項参照)と同様に丸の内一丁目で左折、永代通り上で大手町停留所、今度は大手町を左折して日比谷通りに入り、和田倉門元のルートに戻っていた。

歴史

 昭和44年開通で、山手線内の路線としては新しいほうの路線である。数字だけの旧系統番号では一般系統の最後の番号となる[80]系統を名乗った。
 泉岳寺から魚籃坂下の区間は初のバス開業となった。都電が主だったことでバスは都心と郊外を結ぶ長距離系統がメインとなっていたためである。
 昭和42年の城南地区の都電代替で[501](品川車庫~上野駅)が開業したが、既に乗客が少なかったため昭和44年10月の再編時に[501]が廃止され、余力で[80]が誕生した。
 品川車庫から都心に向かうという意義は同じだが、より内陸部を経由するようになった。今まで直接つながっていなかった麻布十番地域と品川駅を、またバスで結んでいなかった地域を新しく結ぶことで新たな需要を拾おうとしたのかもしれない。一ノ橋から飯倉片町までは首都高の建設に伴って新しくできた道で、この道を通るバスは[80]が初めてであった。
 しかし、既存の系統と比べるとあまり乗客も多くなかったようだ。特に北側は[東98]と重複していて、複数の系統の走らせる需要もないということか、経営再建の中で昭和54年11月に廃止されてしまった。
 ここまで読んで「あの坂を上り下りする路線といえば、[四92](品川車庫~四谷駅)を忘れているじゃないか」と思った方もいるかもしれない。[四92]は[東91]の廃止と引き換えに魚籃坂下・一ノ橋経由になり、元々は異なっていた。詳しくは[四92]の項参照。
 この廃止で[東91]の泉岳寺~赤羽橋の区間は救済されることになったわけである。月日は経ち、平成12年の大江戸線の改編で[四92]も廃止されたが、この区間は[反96]が引継ぐことになった。この区間の需要が、地下鉄に関係なく根強いことが分かる。初めて結んだ[東91]が新規開拓に成功したとも言え、無駄な存在ではなかったのだろう。

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