都営バス資料館

錦11

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担当営業所

臨海支所

運行区間

系統 区間 距離 備考
亀戸駅~錦糸町駅~森下駅~新大橋~茅場町~築地駅
錦糸町駅~森下駅~新大橋~茅場町~築地駅 6.000/ 6.290km
出入 錦糸町駅~住吉駅~東陽町駅~新田住宅~臨海車庫(錦22)

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
536 S46. 3.18 江東 6.457/ 5.997km 都電36系統(錦糸町駅~築地)の代替で錦糸町駅~築地駅が開通
錦11  S47.11.12 江東 *** 新系統番号化、錦11とする
錦11  S49. 8.15 江東 7.449/ 7.909km 橋27(新橋駅~小岩駅)の短縮代替で?築地~有楽町駅を延長
錦11  S57. 4.17 江東 7.549/ 8.109km 乗り場を錦糸町ガード下から北口ターミナルに変更
錦11  S57.12.26 江東 6.097/ 6.657km 築地駅~錦糸町駅に短縮、折返しを本系統に
錦11 H2ごろ 江東 6.097/ 6.657km 乗り場をターミナル南側に変更
錦11 H17. 4. 1 臨海 *** 臨海に移管、はとバスに運行を委託
錦11 H18. 4. 1 臨海 6.000/ 6.290km キロ程の修正
錦11 H22. 4. 1 臨海 錦糸町駅~亀戸駅を延長、住吉1→錦糸町駅を江東橋経由に変更

路線概要

 亀戸駅・錦糸町駅と築地駅を新大橋通り(平成通り)経由で結ぶ。錦糸町駅発着が元々の本線で、亀戸駅まで足を伸ばすのは半数に限られる。

路線

亀戸駅バスターミナルのはずれにある、亀戸駅前公園の前にある乗り場から[錦11]は発車する。
第一亀戸小学校横交差点を左折して総武線のガードを抜け、国道14号線へと向かう。かつては[亀21]もこの経路で亀戸駅から京葉道路に出ていたが、現在では[錦11]のみである。右手に都営住宅が見えてくると江東車庫の停留所。都営住宅の1階が車庫になっている。錦糸町駅発着の臨海所管系統は、臨海車庫まで戻らずに江東営業所で食事休憩を取る運用が多い。
錦糸町駅では交差点を四ツ目通りに左折した先の離れた乗り場に停車する。錦糸町駅の改札やターミナルからははす向かいの立地で、少しばかり不便だ。
ここからは四ツ目通りを少し南下し、住吉二丁目交差点を右折して住吉駅に到着。新大橋通りを西へと進んでいく。しばらくは都営新宿線の上を走るが、その
割にはこまめに乗降がある。都営新宿線の駅が深い位置にあるのと、錦糸町のターミナル性ゆえだろうか。
森下駅をすぎて新大橋を渡ると中央区へ入る。都営新宿線とは別れ、バスは引き続き新大橋通りを南西方向へと進んでいく。浜町中ノ橋を過ぎると平成28年に社殿が改築されたばかりの真新しい水天宮が見える。
水天宮前を過ぎて新大橋通りから別れて、蛎殻町(かきがらちょう)停留所に到着する。半蔵門線水天宮前駅の工事中の仮称が「蛎殻町」と路線図に書いてあったのを覚えている人もいるだろう。

蛎殻町を出発し右手に見えてくるのは東京証券取引所。金融の中心である兜町エリアを走るため平日はサラリーマンの利用が見られる。茅場町で永代通りと交差し、八丁堀、桜橋と中央区の中心をバスは進む。築地二丁目停留所は中央区役所への最寄り。京橋築地小学校の校舎が見えてくると終点の築地駅前。晴海通りの賑わう築地三丁目の停留所とは微妙に離れており、降車専用のポールがひっそり立っている。ちなみに出発は、新大橋通り上の築地本願寺の向かい側にある停留所からとなる。
みんくるガイドではこの間も乗車できるように実線で書かれているが、降車停留所から乗車専用停留所までは回送となる。

歴史

 都電36系統(錦糸町駅~水天宮~築地)の代替系統である。都電の敷設の歴史的には水天宮を境に分かれており、築地~水天宮(~人形町)は明治37年に東京市街鉄道が開業した区間で、明治45年に伊予橋(現・菊川一丁目付近)、大正2年に菊川橋(現・住吉一丁目手前)、大正11年に猿江裏町(現・住吉駅)まで順次延伸された。
 当初は渋谷・新宿~築地~水天宮方面の系統と水天宮~菊川方面で別の系統だったが、大正10年頃の再編で渋谷駅~築地~水天宮~菊川・猿江と直通した。しかし、関東大震災後に錦糸堀~猿江裏町が延伸された際に渋谷駅~水天宮(~両国駅)と錦糸堀~水天宮~日本橋~市役所(現・東京国際フォーラム)に分割された。戦前はこの形態が長く続いたが、昭和19年5月の再編で錦糸堀~築地に組み替えられ、昭和20年の東京大空襲で運行休止となった。
 戦後、築地~水天宮は他系統の延伸で早くに復旧していたが、水天宮以東の復旧は遅れ、昭和23年10月にようやく36系統・錦糸堀~築地として復旧した。なお、昭和21年5月に蠣殻町~茅場町に架かる鎧橋が老朽化して電車が通れなくなったため、蠣殻町から新大橋通り・永代通り経由に新たに線路が引かれている。その後の変更は昭和33年10月に錦糸町駅まで1区間延長されたのみで、昭和46年3月の廃止まで走り続けた。
 城東を走る都電の中ではどちらかというと地味な系統で、昭和35年度の調査では乗降客35,000人近くを数えていたが、日比谷線・東西線の開業もあって昭和43年の乗客調査では廃止前で18,000人弱と半数近くに減っている。
 バス代替時は都電と同じ区間の錦糸町駅~築地で、築地の折返し方法は現在と変わらなかったが、停留所名は「築地」だった。
 昭和49年に[橋27](新橋駅~小岩駅)の短縮に伴い、有楽町駅まで延長された。 [橋27]の通っていたがんセンター・新橋駅への延伸としなかったのは少しでも乗客の望めそうな銀座方面に向けたということだろうか。このとき築地は元の停留所と晴海通りの2回停車となっていた。
 しかし、昭和57年現在のデータでは有楽町駅が45往復、築地止まりが42往復と半数が折り返しており、有楽町までは毎時3本程度の運転に限られていた。
乗客が定着しなかったためか、昭和57年12月の改編でふたたび築地止まりに短縮された。有楽町駅の停留所は[楽67]と同じく交通会館前にあったが、イトシアの再開発もあり今では名残を見つけることも難しい。唯一、数寄屋橋の交差点の右折禁止が「路線バスを除く」となっているのが名残と言える。
 昭和54年度には8,500人弱/日あった乗車人員も、都営新宿線への移行が進み、昭和62年度には4,500人弱、平成5年度には3,900人弱と減っていった。これに歩調を合わせるように本数が削られ、平成15年3月改正では31回と10年前の半分以下になってしまった。
 中央区を南北に走る系統がほぼ全て消滅した中で残ったのは、地下鉄とうまい具合に路線が重ならなかったためと思われるが、昼間40分間隔は実用には苦しい本数だ。その後本数は下げ止まったが、平成18年度からはとバス委託(臨海移管)となり、平成27年度の乗車人員は1,473人と20年前の半分以下である。中央区内は平成21年からコミュニティバス「江戸バス」北循環が走っており、一方向循環の大回りとはいえ、ローカル需要も吸われている感はある。

 そのような中での積極策として、平成22年4月から半数程度の便が錦糸町駅~亀戸駅に延伸され、同時に住吉一丁目→錦糸町駅の経路を[錦13](錦糸町駅~晴海埠頭)と同じく大門通り・江東橋経由に変えた。本線が錦糸町駅発着のままで、亀戸駅発着の枝系統を作った形にしたのが面白いところだ。
 平成2年の路線再編では、茅場町の先から八重洲通りに曲がって東京駅八重洲口発着にする計画があったが、結局実現しなかった。築地駅という中途半端な終点を考えると、何か改善できるといいのだが。

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