都営バス資料館

×東85

[東85]←[123]

担当営業所

渋谷営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
幡ヶ谷~東大裏~渋谷駅~南青山5~西麻布~六本木~溜池~新橋~東京駅八重洲口 11.855km
出入 幡ヶ谷~東大裏~渋谷駅

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
123 S25. 5. 6 渋谷 12.350km 幡ヶ谷~渋谷駅~東京駅八重洲口が開通、東急と相互乗り入れ
123 S33. 7.22 渋谷 12.350/12.160km 渋谷駅~東大前間を、東京駅行きのみ大向経由に変更
123 S43.12.20 渋谷 11.855km 上り下りの経路を統合、道玄坂上経由に。また幡ヶ谷の折返し所を変更、短縮
123 S47. 2.27 (青山) 11.855km 渋谷営業所の復旧移転により青山分車庫を再開設、青山に移管
東85  S47.11.12 渋谷 *** 新番号化、東85とする
東85  S52. 3. 7 渋谷 11.855km 青山分車庫の廃止により、渋谷に移管
東85  S52.12.16 渋谷 *** 幡ヶ谷~渋谷駅~東京駅八重洲口を廃止

路線概要

atozb_208  東京駅八重洲口と幡ヶ谷を新橋・溜池・渋谷駅経由で結ぶ。東急との共同運行であった。
 東京駅八重洲口を出発すると、虎ノ門までは[東82](東京駅八重洲口~等々力)と同じ、虎ノ門からは[橋89](新橋~六本木~渋谷駅)と同じ経路で渋谷駅に至る(→都01の項も参照)。
 渋谷駅前後の区間は他の相互乗り入れ系統と同じであるが、昭和49年に新玉川線の建設工事で停留所が国道246号に移るまでは、[東85]のみ往復ともにハチ公交差点脇の道玄坂下に渋谷駅の停留所があったのが特徴的だった(他の系統は末期は都心方面のみ)。かつて東急百貨店本店側を経由していた名残もあったのだろう(後述)。
 ここから先は、分断後も東急バスが[渋55](渋谷駅~幡ヶ谷折返所)として運行している区間とほぼ同じである。玉川通りを神泉町交差点で右折して旧山手通りに入り、松見坂の陸橋をくぐって山手通りと合流すると「東大前」、続いて「東大裏」。東大の駒場キャンパスの裏手を走っているのだが、東大前よりも東大裏のほうが裏門に近くてアクセスは便利である。東大前停留所の脇からもキャンパスに入れる道はあるが、一般人は迷いやすく、名前を変えたほうがいいレベルだ。しかし、戦後すぐから今に至るまでこの2停留所の名は変わっていない。
 東大裏を過ぎると山手通りと分かれ、住宅街の中に入っていく。旧前田侯爵邸の庭園や日本近代文学館を過ぎると「代々木上原」停留所。小田急線の駅とはだいぶ離れているのでご注意を。その先は東大航空宇宙研究所(現在の駒場リサーチキャンパス)に停車する。左手には東大駒場の第二キャンパスと門を見ると、その先の三角橋の二股の交差点を右手に入っていく。走る道路が渋谷区・目黒区・世田谷区の境になっており、古くからの道であったことがうかがえる。
 そこを過ぎると小田急の東北沢駅に出る。踏切対策ゆえか、上り下りで踏切を挟んで停留所が離れているのも特徴。ここで長時間の踏切待ちをすることも多かったが、複々線と地下化の工事が進み、道路も拡幅が進むと景色も別物になってしまうだろう。路地を入ると大きな邸宅も多く、高級住宅街であるのは昔ながらの風景だが……。
 大山交差点付近で井の頭通りを跨ぐと、バスは右の小道に折れ、玉川上水の暗渠に沿って進む。消防学校を過ぎるとすぐに終点の幡ヶ谷折返所で、その先にバスの折返所がある。京王線の幡ヶ谷駅までは徒歩数分である。
歴史
 渋谷駅~東北沢~幡ヶ谷自体は戦前からあるバスの経路で、昭和初期に東横乗合(現東急)が開設した路線である。戦前は幡ヶ谷から先、鍋屋横町・中野や杉並区方面に抜ける路線のメインルートとして多くの系統が走った区間であった。戦後も東急は昭和21年4月にいち早く渋谷駅~東北沢の区間を復旧させていることから、この区間の重要性が高かったことがうかがえる。
その後、渋谷駅を貫通する2番目の東急相互乗り入れ路線として、昭和25年5月に幡ヶ谷~東京駅八重洲口と大きく延長して都営バスが参入した。先に開業していた[103](→[東84])との差別化のため、六本木通り・溜池・新橋を経由するようになった。都電6系統と並行しており、開通当初は一部急行運転となり、新橋~渋谷駅の間は田村町一丁目(現西新橋一丁目)・虎ノ門・箪笥町(現六本木一丁目)・六本木・材木町(現六本木六丁目)・霞町(現西麻布)・高樹町(現南青山七丁目)・青山六丁目(現南青山五丁目)のみ停車であった。
 また、終点は現在の東急バスの幡ヶ谷折返所ではなく、甲州街道上の幡ヶ谷となっていた。この当時は京王新線はなく、京王線は新宿~笹塚も地上を走っており、甲州街道に沿って幡ヶ谷駅が地上にあり、その目の前を通って甲州街道脇の折返所を終点としていたようだ。終点訪問の章も参照されたい。
 昭和43年に、幡ヶ谷駅からは後退し、現在の幡ヶ谷折返所を終点とするようになった。首都高の建設により、甲州街道を横断しての折り返しは難しくなったということなのだろう。
atozb_209  また、一時期は現在の東急本店の前、かつての「大向」を片道のみ通っていたのも特徴的だった(上図)。現在は京王バスと共同運行を行う[渋66](渋谷駅~阿佐ヶ谷駅)が通っている。東急本店自体は昭和42年の開業とさほど古いものでもなく、それ以前からバス停は存在しており、バス停の名前はそれぞれ「大向」だった。昭和33~43年の間は、上図のように幡ヶ谷方面だけ大向を経由し、東急本店脇から山手通りに抜ける栄通りを経由していた。距離で言えば大向経由のほうが短いが、文化村通りの道の詰まり具合を考えると、現在の往復ともR246経由のほうが良いのであろう。
 大向(おおむかい)はこの辺りの古い地名で、現在でもセンター街の外れにある大向区民会館にその名を残している。東急百貨店本店も元々は大向小学校(平成9年に神南小学校と合併)の旧敷地を利用して建てたものであった。昭和42年に東急百貨店本店が開業すると、民営バスは早速「東急百貨店本店」に改称したが、都の路線図上の案内では大向のままであったのが面白い。通常であれば、共同運行路線は名前を揃えるのが普通であるが、誤植か意図的なものか、都の発行する路線図では「大向」の名前を貫いていた。平成22年7月に開通したハチ公バスの上原・富ヶ谷ルート(渋谷駅~代々木上原駅)がこの部分を通るようになり、40年以上経ってこの経路が復活したことになる。
 さて、これ以外は基本的に経路の変更はなく走っていた[東85]も、昭和40年代になると長距離路線としての意義が低下し、路線再編成によって一つの通りには一つの系統に集約していく方針となった。
渋谷駅~新橋駅間は、都電代替の[橋89](→[都01])と併走しており、東京駅八重洲口乗り入れも[東82]で代替可能とと判断したのだろう。昭和52年12月に都心側は全線廃止として、渋谷駅より郊外側の部分だけを東急が運行するようになった。 [東82]の飯倉経由に対して、[東85]は溜池経由を強調していたのも昔の話である。
 分割後の[渋55]は、渋谷駅発着の東急バス路線の中ではかなり地味な系統とも言える。分断当初は大型車で15分間隔での運行であったが、減便され、昭和56年には初の冷房車が入って中型車化された。それ以降はほぼ変化がなく、乗り場が変更された程度である。平成15年1月からは東急トランセに運行を委託した。時刻もほとんど変わらず、ほぼ30分ヘッドと覚えやすい時刻だったが、平成23年9月の改正で朝夕を中心に減便され、崩れてしまったのは残念である。

渋谷駅の乗り場

 昭和50年代に渋谷駅を貫通して東京駅へと向かう路線は軒並み分断されたが、分断直後の数年間は、渋谷駅東口において、都営バスと東急バスが乗り場を接するようにすることで乗り換えの便を図っていたようだ。例えば、[東84]分断後の[渋22]と[東84]は東口の53番乗り場(現在の[渋72](五反田駅~渋谷駅)乗り場)であったし、[東85]→[渋55]は昭和57年まで51番乗り場(現在の[都01]乗り場付近)発だった。[東82]分断後の[渋82]も、1年ほどは東口の文化会館脇の56番乗り場から発車し、[東82]と[渋82]の乗り場が並んでいた。
昭和57年7月に[渋55]は西口71番乗り場に移る。西口といっても、そこは、かつて玉電の乗り場として利用されていたもので、東急東横店の2階から直結した井の頭線と銀座線の間の隙間に乗り場があり、バスが回転できるスペースがないため、ターンテーブルが設置されていた。渋谷駅の再開発に伴って平成6年に廃止され、今ではマークシティの中に埋もれ、かつてのバス停への入口を探すことさえ困難である。唯一、山手線の外回りホームに面した玉電方面への改札口が「玉川口」と名乗っているのが当時の名残である。

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