都営バス資料館

業10

[業10]←(廃止←[里12]←[78])←[33]

担当営業所

深川営業所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
業10甲-1 新橋~銀座西6~勝どき駅~豊洲駅~木場駅~菊川駅~とうきょうスカイツリー駅 12.770/12.940km 65 59 57 54 50 49
業10甲-2 新橋~銀座6~勝どき駅~豊洲駅~木場駅~菊川駅~とうきょうスカイツリー駅 12.830/13.110km 4 7 4 6 4 5
業10甲折返-1 新橋←銀座西6←勝どき駅←豊洲駅←木場駅 7.600/7.400km 4 4 1
業10甲折返-3 木場駅~菊川駅~とうきょうスカイツリー駅 5.170/5.540km 1 1 1 1 1 1
業10甲折返-4 新橋←銀座西6←勝どき駅←豊洲駅←木場駅←菊川駅 9.530km 6
業10甲折返-5 勝どき駅→豊洲駅→木場駅→菊川駅→とうきょうスカイツリー駅 9.750km 1 1 1
業10甲出入-1 深川車庫~豊洲駅~木場駅~菊川駅~とうきょうスカイツリー駅 8.830/9.200km 23 28 26 28 19 20
業10甲出入-2 深川車庫~東雲都橋~豊洲駅~勝どき駅~銀座西6~新橋 6.610/6.810km 26 31 20 22 20 20
業10甲出入-3 深川車庫~東雲都橋~豊洲駅~勝どき駅~銀座6~新橋 6.780/6.870km 4 3 2
業10甲出入-4 深川車庫→豊洲駅→勝どき駅→銀座西6→新橋 6.040km 1 1 1


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
33 S26.3.20 洲崎 9.013km 日暮里駅~鶯谷~千束3(現西浅草3?)~業平橋~菊川町(現菊川駅)~木場3が開通
33 S28.12.15 洲崎 16.318km 新橋~月島3~豊洲埠頭(現豊洲駅)~木場3が開通
33 S36.12.20 洲崎 16.318/17.058km 日暮里3(現東日暮里5)→上根岸をショートカット経由から日暮里2(現東日暮里3)経由に変更
33 S38.7.1 洲崎 12.870/12.440km 系統分割、33系統:新橋~業平橋駅と78系統:晴海埠頭前~豊洲埠頭~業平橋駅~日暮里駅とする
33折 S38.7.1 洲崎 5.165km 新橋~豊洲埠頭前を開設
33 S39年度 洲崎 12.760/13.130km 一部経路変更?
33 S43.5.27 深川 12.760/13.130km 洲崎営業所の深川への移転改称により深川に移管
33 S47.10.1 深川 12.760/13.130km 新橋行き方向の一部経路変更
業10折 S51.10.10 新橋~豊洲埠頭前、新橋~枝川2を廃止
業10折 S51.10.10 深川 7.940km 木場3~新橋を開設
業10折 S51.10.10 深川 4.820/5.190km 木場3~業平橋駅を開設
業10 S55.4.1 深川 (13.052km) 豊洲郵便局(現石川島播磨)→勝どき2間の経路を朝潮橋から晴月橋経由に変更
業10乙 S63.6.8 深川 4.132km 東18(東京駅南口~銀座4~門前仲町)の代替で月島駅~銀座4~新橋を開設
業10 H9.6.1 深川 12.760/12.930km 業平橋駅行きの経路を変更
業10乙 H9.6.1 深川 3.819km 同上
業10折 H9.9.2? 深川 業平橋駅~深川車庫~東京ビッグサイトを開設
業10 H11.11.11 深川 12.800/12.970km 枝川1付近の橋の架け替えにより一部経路変更
業10 H14.4.1 深川 12.800/12.970km 枝川1付近の橋の架け替え工事終了により経路変更
業10乙 H15.1.14 深川 *** 月島駅→新橋を廃止
業10 H18.4.1 深川 12.770/13.160km 豊洲駅ターミナルの完成により、新橋方面はターミナルを経由するよう変更
キロ程の修正
業10折 H19.3.26 深川 *** 業平橋駅~深川車庫~東京ビッグサイトを廃止


 とうきょうスカイツリー駅から三ツ目通りを南下し、豊洲駅を経由し新橋に至る路線である。都営バスの23区を走る路線ではトップ5に入る路線長となっている。

路線概要

東京の新名所としてすっかり定着した東京スカイツリー。そのたもと、東武の駅改札から道路を挟んで反対側に停留所がある。出発するといったん北上し、言問橋東交差点を左折してからは都道319号線・三ツ目通りをひたすら南下する。都市計画道路上は環状三号線の一部であることは意外と知られていない。
住宅展示場が左側に見えてくると本所吾妻橋。こことスカイツリー駅の間はラケット状のループとなっており往路と復路で経路が異なるが、スカイツリー駅を跨いで乗り通すことはできない。
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JR総武線の高架をくぐり、首都高小松川線の下を流れる竪川にかかる三之橋を渡る。この橋の別名が三ツ目橋といい、三つ目通りの名称の由来になっている。そして立川と書いて「たてかわ」。この付近一帯は元々竪川町1~4丁目という地名であったが、「住居表示に関する法律」が施行され、「竪」の字が当時の当用漢字表にないことから、当て字で「立川」に改称したという。知らないとまず読めない地名だろう。
菊川駅で都営新宿線と連絡し、さらに南下すると東京都現代美術館が見えてくる。美術館構内にもバスベイが作られたが、[東20]のみが使用し、[業10]は立ち寄らない。なお、平成30年現在は美術館が改修工事による休館中のため、構内停留所も休止となっている。
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現代美術館から木場駅の手前まで、左手に木場公園が続く。芝生や樹林がひろがる総面積24.2haの広大な公園だが、その地下には都営大江戸線の車両基地(木場車両検修場)が存在する。検修場の建物は木場駅前の停留所の前にあり、大江戸線の新車の車輛搬入もここから行う。そして右手には、臨海の[東20]でも記したJR東日本の豪華客車「夢空間」の車輛を使ったフランス料理店「アタゴール」がある。
永代通りと交差し太鼓橋を渡ると木場6丁目ギャザリア前。木場駅前とここで多くの客が入れ替わる。
この辺りから上空に首都高速9号深川線が合流する。沿道には倉庫やマンション、都営住宅を多く見かけるようになってくる。
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塩浜二丁目停留所の先、左側に細長い空き地が見える。これは東京都港湾局専用線の廃線跡で、越中島貨物駅から豊洲・晴海方面へ路線網が広がっていた。廃線跡の多くは再開発によって道路へ転用されたりマンションなどが建ったりして痕跡も少なくなったが、枝川付近はまだ廃線跡が残っている。この先、[業10][錦13甲]はこの東京都港湾局専用線から大回りしつつ豊洲へと南下する。
汐見運河にかかる汐枝橋を渡り、デニーズの先を右折し三ツ目通りに別れを告げ、枝川橋を渡り枝川方面へと進んでいく。
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枝川町内をこまめに右左折し、豊洲運河を越えタワーマンションやホームセンターが見えてくると、発展めざましい豊洲エリアに入る。豊洲四丁目停留所の先にあるセブンイレブン豊洲店は、知る人ぞ知るセブンイレブン日本1号店で昭和49年5月にオープンした。直営店ではなくフランチャイズ方式、現在では近隣の数店舗を含め同一オーナーの経営となっている。
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ゆりかもめの高架橋が見えてくると交差点を右折して豊洲駅。深川管内の大半の路線が集結する結節点であり、[業10]にとっても深川車庫への出入庫便が枝分かれする重要な地点である。交通量が多く信号のサイクルも長いため、ここを曲がるのに時間がかかることもしばしば。豊洲駅が目的地ならば、豊洲四丁目で降りて歩いたほうが早いだろう。
ここからは晴海通りを進んでいくが、晴海三丁目まで行かずに月島運動場交差点をおもむろに右折、トリトンスクエアの住宅棟の間の比較的狭い道を走って行く。なおこの付近は一方通行のため、スカイツリー駅方面は朝潮橋を通る。トリトンスクエア裏手の学校
の前には桜が植えられており、春になれば桜舞い散る中を走る都営バスというフォトジェニックな光景を見られる。
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晴月橋(せいげつばし)を渡って、月島エリアへ。月島四丁目のバス停は現在は普通のバス停だが、10年以上前はバスロケ送受信機付の停留所が設置されていた。これは晴海通りに都市新バスシステムを導入するに当たり、同じ晴海通りを運行する一般系統も接近表示に対応させるために設置されていたと思われる。
勝どき駅前の交差点を右折して晴海通りに復帰する。停留所の都合で、勝どき駅は新橋発のみ停車となっているがすぐ脇に両方向停車の勝どき橋南詰の停留所もあるためさほど困らない。
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勝どき橋を渡り、築地の場外市場や歌舞伎座など中央区の観光名所を車窓に見ながら銀座四丁目に到着。買い物客などが大量に降車する。
この先は時間帯によって経路が異なる。始発から20時までは数寄屋橋交差点を左折して外堀通りで新橋へ向かう。数寄屋橋交差点は8時から20時まで右折が禁止されているが、路線バスに限り右折可となっており、新橋発の[業10]が該当する。釣られて右折するクルマもたまにいるが、交差点の角には交番が建っているため、交番からマイクで注意されている。
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オフィスビルと飲み屋が並ぶ外堀通りを走り東京高速の高架下を抜け、新橋駅銀座口前交差点を曲がると新橋に到着する。
20時以降は銀座四丁目交差点を左折し中央通りを走る。銀座六丁目停留所の車内放送は昔から「銀座松坂屋へお越しの方は」、今は「GINZA SIXへお越しの方は」と車内広告が流れるが、この広告がバスに流れる頃には店は閉店している時間帯であるのが残念なところ。もっとも年に数回、外堀通りの交通規制により昼間も中央通りを経由することがあり、その時だけはこの車内広告が役に立つとか。
こちらは高級ブランドのショップが建ち並ぶ中を走り、銀座博品館の先にある交差点を右折し、新橋一丁目交差点を左折して新橋駅前に到着する。

路線の歴史

 この系統は城東乗合自動車をルーツに持つ。言問通り・三ツ目通り経由で鶯谷駅~吾妻橋~洲崎を結んでいた系統で、深川の前身の洲崎営業所も所有していた。都電の一部になった城東電気軌道とは名前は似ているが別会社である。
 大正15年に合資会社として設立し、当初は吾妻橋~木場で営業を開始、昭和6年に浅草乗合自動車を合併し、言問橋、鶯谷駅と順次延伸された。これ以外に手は拡げず1系統のみを運行しており、昭和17年の陸上交通調整による統合で東京市に引き継がれた。経路上には市電が通っておらず、環状方向に他の交通機関では行きづらいところを結ぶ路線として賑わっていたのだろう。
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 統合後もそのままの姿で[42]と名乗って運行を続け、昭和18年6月の改編で[35]に変更。昭和19年5月の改正で浅草発着に短縮され、昭和20年3月の東京大空襲で沿線が大きな被害を受けて運行休止、そのまま一旦廃止となった。
 戦後は郊外への長距離系統の開設や復旧が一段落し始めた昭和26年3月にほぼ同じ姿で[33](日暮里駅~木場三丁目)として復旧した。違いは鶯谷駅でなく日暮里駅発着に変わったところくらいだろう。日暮里駅からは山手線に沿って上根岸まで出て尾竹橋通りに合流していた。昭和28年12月には当初の終点だった木場三丁目から一気に枝川・豊洲・勝どきを抜けて新橋まで延伸し、16kmを超える長距離系統となった。なお、昭和30年代に日暮里駅発のみ一旦駅ロータリーから直進して現在の第二日暮里小学校を右折、尾竹橋通りを南下して鶯谷駅へと出るように変更されたようだ。また、当初は塩崎町(現・塩浜二丁目)から枝川の間は三ツ目通りから離れて鴎橋に停まって枝川へと至っていたが、昭和39年頃に現在と同じく八枝橋手前で三ツ目通りと分かれ、枝川一丁目に停まるようになっている。これらを除けば、昭和30年の時点で停車停留所はほぼ現在と変わっていない。
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 晴海から勝どき橋に至る経路が晴海三丁目でなく、月島の路地を通るのが現代から見ると不思議に見えるが、晴海三丁目経由は既に[橋14](新橋~東雲都橋:当時)が通っており、宅地化していた月島地区を回ることで差別化したのかもしれない。この区間は往復とも長らく北側の朝潮橋経由だったが、昭和47年に一方
通行が指定されたためか、新橋方面は一つ南の晴月橋経由に変えられた。なお、昭和53~55年は朝潮橋の架け替えで業平橋方面のみ晴海三丁目を経由していた。
 昭和38年には長距離すぎたためか、業平橋駅~新橋に短縮、北側は[78](日暮里駅~晴海埠頭→[里12])となった。三ツ目通りの区間は2系統で重複しており、単純な分割というわけでもなかった。昭和40年度の乗降調査(下図)だと[33]は80往復、[78]は70往復程度通し運転が走っていた。最混雑区間は銀座四丁目~月島三丁目で、[18](→[東18])の補完としても使われていたことが分かる。豊洲以北はやや混雑率が低かったが、
全区間でまんべんなく乗降があり、効率がよい系統だったと思われる。この時点で路線の姿としては完成しており、後は道路の付け替えによる経路変更があった程度である。現在にいたるまで本線は通し運転が基本で途中止まりは出入庫のみというのは、途中で大きな需要の段落ちがないことを示している。
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 昭和51年に片割れの[里12]が廃止された後も、バス離れが進んだ昭和50年代に乗客が増加した数少ない系統だった。昭和51年度の12,049人/日から昭和59年度は14,638人/日、バブル崩壊後の平成5年度も15,227人/日と堅調に増加している。営業係数はおおむね黒字の90台をキープしており、幹線の一つと見て差支えない規模だった。途中の昭和63年には有楽町線月島駅・豊洲駅開業もあって影響を受けただろうが、同時に[橋14]が廃止された分の乗客転移もあったのだろうか。昭和63年には[東18]の廃止代替で[業10乙](月島駅~新橋)が開設されたが、早朝片道のみの運転のマイナー系統となり、平成15年に廃止された(後述)。
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 これ以外では、平成10年には新たな試みとして業平橋駅~東京ビッグサイトが1往復のみ開設されたが、本数は変わらないまま、平成19年に廃止された。
 平成12年の勝どき駅開業で本数はやや減少傾向となったが、その後の湾岸部のマンションの増加もあって混雑することも多く、近年はダイヤ改正で少しずつ増便されている。平成28年度は13,821人/日、営業係数は99と往時に近い規模を保っており、今後も東京の
東側を環状に結ぶ系統として活躍しそうだ。

系統番号のひみつ

 昭和47年の新系統番号化では、ターミナルの漢字と、東京を放射状に9分割した方面を数字の十の位で表すようになった。[業10]はこれに照らし合わせれば「業平橋駅から銀座・晴海方面エリアの系統」となる。ターミナルの規模的には新橋のほうが明らかに大きいが、新橋から墨田区・水戸街道方面の[橋3x]とならなかったのが不思議だ。「業」を使うのはこの系統だけだが、深川は10番台の系統で統一したいなどの別の思惑があったのだろうか。
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 なお、平成24年に東武鉄道の駅名改称に合わせて終点がとうきょうスカイツリー駅に改称されたが、系統番号は変わっていない。今までの番号で定着しているし、[ス10]では何のことだかさっぱり、というのもあるのだろう。

晴海トリトンスクエア

 晴海一丁目地区は戦後に開発され、昭和32年~33年にかけて晴海通りに沿って全15棟の公団住宅が建設された。都営バスも利便性を図り、晴海アパートの停留所を昭和34年頃に増設した。このうち奥側の一棟は将来の高層化を見据えた10階建てで、一号棟には商店街が作られた。周囲には小・中学校や区の出張所、また住友商事・第一生命系の倉庫や自動車教習所(コヤマドライビングスクール)、晴海三丁目側には日本建築センターや住宅展示場が建てられた。昭和55年の[業10]の経路変更で、新橋方面は晴海アパートの敷地を回り込むように走っていた。
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 それぞれの建築から数十年が経過し、都心に近いながらも土地活用度の低い状態だったが、昭和62年に主要地権者が再開発協議会を発足、平成7年に工事が着工された。これに伴い旧晴海アパートも順次取り壊されて道路も作り替えられ、平成9年に[業10]は経路変更され、晴海アパート停留所は移設された。
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 施設の名は職・遊・住の美しい調和と題して、ギリシャ神話の海神と再開発ビルが3棟(tri-)あることをかけて晴海アイランドトリトンスクエアと命名、平成13年に竣工し街開きを行った。南側にはトリトンスクエアの3棟、中側には晴海ビュータワーなどのマンションが建設され、北側には学校が計画的に配置された。
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 これに合わせ、平成12年12月の改編で晴海アパート停留所は晴海トリトンスクエアに改称されたが、翌年の平成13年6月に[業10]の晴海トリトンスクエアは後ろに「中央」をつけ、12月に晴海通り上に[都05]などが停車する晴海トリトンスクエアが片側のみ増設、元々の晴海トリトンスクエアは晴海区民館に名を改めた。前ページの路線図も参照。

中央通り経由

 [業10]は新橋~銀座四丁目の経路が20時以降中央通り経由になり、折り返しの都合で新橋の乗り場が駅前の[市01](新橋駅~築地中央市場)の辺りに移る。交通規制のためというよりは、銀座の夜のタクシー等の交通対策とも言われる。
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 途中の銀座西六丁目の代わりに中央通りの銀座六丁目に停車し、平成12年の[橋86](目黒駅~日本橋三越、品川の巻参照)の短縮後は唯一の銀座の中央通りを走る系統となっている。経路上には銀座八丁目の停留所もあったのだが、あくまで元の停留所の代替ということか[業10]が停まるのは銀座六丁目のみで、銀座八丁目は[橋86]短縮時に廃止されてしまった。
例外的な設定として、平成30年現在のダイヤで銀座四丁目19:52発は銀座西六丁目経由だが、新橋駅前に到着し、折り返しは銀座六丁目経由となる。
 なお、5月のこどもの日に開催される銀座柳まつりパレードのときは日中から中央通りに迂回するため、唯一昼間にこの区間の走る姿が見られる日となっている。

勝どき駅&橋南詰停留所

 現在の[業10]は勝どき駅南詰に両方向、勝どき駅は業平橋方面のみ停車となっているが、かつては勝どき橋南詰は新橋方面のみ、勝どき二丁目(現・勝どき駅)が両方向停車だった。勝どき二丁目の新橋方面は現在の月島第一小学校の停留所の位置で交差点から離れており、昭和63年に停留所が分離して今の形になった。
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 勝どき橋南詰はその後も長らく片方向だけだったが、利便性向上のためか平成14年頃に業平橋方面も停車するようになった。
 なお、当時の都バスガイドブックを見ると、昭和40年代までは勝どき二丁目の新橋方面停留所はもっと交差点寄りにあったようである。
おまけで、「鬨」が常用漢字外のためか正式な停留所名は「勝どき橋~」だが、側面LED表示だけは文字数の都合のためか、この漢字が見られる。
 

多彩な出入庫

 路線区間が長いことやダイヤの都合もあり、通し運転のほかに多彩な運転区間が存在する。メジャーなのは新橋・スカイツリー駅両方からの深川車庫発着で、東雲橋交差点~深川車庫が新橋発着は東雲都橋・東雲小学校を回り込む経路、スカイツリー駅発着は大通りを直進する経路と微妙に異なっている。方向幕時代は側面のみスカイツリー駅発着にオレンジ色で「直通」の字があったが、知らない人が見たら何を指してるか意味不明だっただろう。なお、新橋行きの出庫も始発のみ所要時間優先なのか「直通」となる。
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 かつては木場・豊住操車所の出入りと思われる木場駅発着もそれなりに設定されていたが、現在は新橋→木場駅は全廃され、木場駅→新橋とスカイツリー駅~木場駅が始発・最終時間帯に設定されるのみである。なお、新橋→木場駅は交差点を曲がり永代通りの東陽町駅方面の停留所で終点となる(現在は設定なし)。
 これ以外にも、始発便を早めるため、菊川駅→新橋、勝どき駅→スカイツリー駅がそれぞれ設定されている。勝どき駅始発は21世紀に入ってから新たに設定され、途中始発ながら専用の方向幕が作成された。

変わるLED

 [業10]の入庫は、豊洲駅到着時に表示が切り替わる。前面の経由地がなくなり、側面も豊洲駅~深川車庫だけにフォーカスした内容で、「直進」または「東雲都橋」・「東雲小学校」が反転表示となる。方向幕の時代は「直通」のオレンジ字で区別していたが、表示できる書式が限られるLEDならではの工夫だろう。平成29年頃からこのような切り替えをするようになった。フルカラーLEDはなかなか強烈で、東雲都橋経由だと全停留所が白地に黄色の強調表示になっている。
 [業10]に限らず、豊洲駅→深川車庫方面の[東15][東16][門19][都05入庫]も同様に豊洲駅始発のような表示に切り替わる。なお、深川車庫発については特に切り替えはなく、全区間同じ表示となっている。

出入庫の有効活用

 新橋・スカイツリー駅の時刻表を見て気づくのは、入庫の深川車庫行きの本数の多さであろう。路上交代は基本的になく、休憩は一旦深川車庫まで戻るようになっている。どちらかの終点に出入庫の運転区間が偏っていることもないのは都営バスでは珍しい。
 他系統の出入庫では本線の直後をくっついて走るような運用が目立つが、[業10]では本線の時刻のちょうど間を走り、有効な便として使われることも多い。運がいいと、便によっては豊洲駅で順方向の出庫便に乗り継げる設定になっている便もある。ただし、渋滞などでダイヤが乱れると団子になってしまい、意図した通りにならないことも……。

「新橋」

 この系統の行先は「新橋」であって「新橋駅前」ではない。伝統的に外堀通りより北側は伝統的に駅がつかない「新橋」を名乗っている。確かにJRの駅からは微妙に離れた乗り場にあるが、他の駅の遠い乗り場から考えたら十分近い。かつては外堀通り上などに他の停留所もあり、[東82→渋88](東京駅南口~渋谷駅)や[橋62](池袋駅東口~新橋駅)、[橋14]も新橋停留所を発着していたが、現在ではこの系統が残るのみとなっている。

マイナー[業10乙]

 昭和63年の[東18](東京駅南口~門前仲町)の廃止に伴い、代替で月島駅周辺から晴海通りへのアクセス確保として新橋~月島駅という系統が設定された。当初は両方向存在したようだが、すぐに新橋行きの早朝のみの運転となっている。単独停留所は月島駅・月島三丁目のみで、次の月島第一小学校からは本線と合流。停留所の片隅に小さく時刻表が掲示されるのみで、車内路線図からも無視されているマイナー路線だった。なお、ダイヤは[業10]本線とは組んでおらず、泊まりダイヤで早朝のお迎えバス(下コラム参照)などの片手間に走る設定になっていた。
 筆者が乗ったときは[業10]の始発前の補完で築地市場への足として使っている固定客がいたが、大江戸線が開通するとその役割も薄れたのか特に代替もなく、平成15年1月に全線廃止された。

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