都営バス資料館

品93

[品93]←[3]

担当営業所

品川営業所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
品93甲 大井競馬場~都立産業技術高専~品川車庫~品川駅高輪口~目黒駅 7.976km 44 43 86 85 83 82
品93甲折返-1 大井競馬場~都立産業技術高専~品川車庫~品川駅高輪口 4.771km 3 2 1 2
品93甲折返-2 品川駅高輪口→明治学院→目黒駅 3.205km 7 4 3
品93甲折返-3 都立産業技術高専←品川車庫←品川駅高輪口←目黒駅 6.376km 1 1 1
品93出入-1 品川車庫~都立産業技術高専~大井競馬場 4.016km 3 5 2 2 2 3
品93出入-2 品川車庫→品川駅高輪口→明治学院→目黒駅 3.960km 4 8 8
品93乙 大井競馬場~都立産業技術高専~北品川~品川駅高輪口~目黒駅 8.421km 52 50
品93出入-3 品川車庫~北品川~品川駅高輪口~明治学院~目黒駅 5.605km 11 9
品93折返-1 品川駅高輪口~(急行)~明治学院(臨時) 1.410km ** ** ** ** ** **
品93折返-2 目黒駅~(急行)~明治学院(臨時) 1.795/2.180km ** ** ** ** ** **
品93丙 大井競馬場→(急行)→品川駅港南口(臨時) 4.286km ** ** ** ** ** **


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
3 S23. 6. 5 品川 2.485km 品川駅~東品川(現昭和橋付近)が開通
3 S25. 7. 1 品川 3.109km 東品川終点を延長、停留所再配置
3 S27. 5.20 品川 6.706km 品川駅~目黒駅を延長
3 S28. 1.26 品川 6.976km 東品川~大井鮫洲町(現東京陸運支局)を延長
3 S33. 6. 1 品川 8.014/ 6.976km 白金台→目黒駅を中丸(現東五反田5)経由に変更
3 S36. 6.27 品川 9.014/ 7.976km 大井鮫洲町~大井競馬場を延長
3 S40. 7. 1 品川 9.014/ 7.976km 競馬場付近の道路変更
3 S43.12.28 品川 7.976/ 8.026km 中丸経由を廃止、また目黒~白金台間の一方通行規制により目黒駅発の経路変更
品93 S48. 7.20 品川 7.976/ 8.026km 天王洲橋~品川車庫を日通倉庫経由から山手通り経由に変更
品93 S51.12. 2 品川 7.976km 目黒駅→白金台間をバス専用道路に変更
品93乙 S61. 3.31 品川 8.381km 朝ラッシュ時の第一京浜経由を開設
品93 H17. 3.28 品川・港南 *** 品川・港南の共管とする
品93出入 H17. 3.28 品川 *** 目黒駅~品川車庫を開設
品93乙 H18. 4. 1 品川・港南 8.420km キロ程の修正
品93 H20. 4. 1 品川 *** 品川の単独所管に変更
品93 H22. 4. 1 品川 *** 目黒駅~(第一京浜)~品川車庫を開設、第一京浜経由の時間帯拡大

路線概要

atoz01_ページ_061_画像_0004
 目黒駅から品川駅を経由して大井競馬場までを結ぶ。全区間を通じて本数・乗客ともに多く、現在に至るまで品川営業所の幹線であり続けている。路線は大きく2つの区間から成り立っており、目黒駅から高輪の台地を縫うように走り品川駅(高輪口)まで達する区間と、品川駅から先の東品川の工業・オフィス地帯を南北に走る区間に分けられる。前者は通学需要も多く、明治学院・高輪警察署付近の地下鉄駅まで距離のある地区からの利用も大井。後者は品川駅を中心とした輸送になっており、東品川から都立高専付近の通勤利用が多くなっている。また、城南地域の住民なら一度はお世話になる鮫洲の試験場もこの路線の沿線にあり、アクセス路線としての性格もある。
 また、終点が大井競馬場ということからも分かる通り、ギャンブル輸送路線としての形態も併せ持っている。競馬開催時には臨時便が運行されることもあり、特に夜間のトゥインクルレース開催時は大井競馬場→品川駅の臨時急行バスも運行される。
 目黒駅を発車すると交差点を左折、目黒通りを都心方向へと進んでいく。上大崎交差点で他の車は右左折するのに対して路線バスだけが直進していく。ここから自然教育園交差点までの僅か約100mの都心方向区間が都営バス唯一のバス専用道区間で、「交差点には路線バス・通学通園バス・通勤送迎バスを除く」と書かれた一方通行路の標識がたっている。白金台駅前停留所を過ぎ、日吉坂上交差点を右折し細い坂道へと進んでいく。結婚式場で有名な八芳園を左に見て道なりに進んでいくと前方に一本のイチョウの木が道路にはみ出ているように立っているのが目に入る(巻頭カラー参照)。
 元々は明治学院の校内に立っていた木だが、1921年に現在のバス通りを拡幅する事になり、当時の明治学院総理が東京市にイチョウの木を伐採しないことを条件に、明治学院の土地を譲渡する約束を取り付けた。それから100年近くが経ち、今でも約束は守られている。このイチョウの木の手前に明治学院の停留所がある(巻頭カラー参照)。
 高輪消防署二本榎出張所のレトロな建物が見えてきたらバスは右折。ここから品川駅までは[品97]と港区コミュニティバス「ちぃばす」と併走する。都営バスは210円、ちぃばすは100円と運賃差があり、[品93]が来ても乗らずにちぃばすを待つ乗客の姿も見られる。ただ、この区間は[品93]の本数が多いこともあり、やってきたバスを利用する人も多い模様。
 都営バス停留所名の長さランキングでは上位に食い込むであろうグランドプリンスホテル新高輪を過ぎると、バスは柘榴坂を一気に下って品川駅前の交差点を右折、京急の品川駅脇にある停留所に停車。乗客の大半がここで入れ替わる。なお、ここでは誤乗防止のため、品川車庫止まりの便は本線とは別の場所に停車する。
 品川駅を出発するとしばらく京浜急行線と併走し八ツ山橋交差点を左折、JR線をオーバークロスし京浜急行線の踏切を渡り一気に坂道を下って品川車庫前の停留所に到着する。車庫止まりの便は停留所手前の交差点を左折し、営業所の建物の前で降車扱いを行う。旧目黒川の河口にあたる地域であり、昔ながらの店や屋形船の看板も見られる。品川車庫前を出発すると運河沿いの道を進み、山手通りとの交差点を左折して天王洲橋停留所を過ぎる。
 なお、平日朝のみ、この踏切を回避するために全便第一京浜国道経由となる。八ツ山橋を直進してそのまま第一京浜を進み、京急に沿って北品川・新馬場駅前を走る。北品川は停留所があるが、新馬場は東急バスが停まるのみで都営バスは通過となる。新馬場駅を左折して山手通りに入り、迂回区間の独自停留所である北品川二丁目に停まり、この先で本線と合流となり天王洲橋に至る。
 テレビ東京のスタジオが左手に見えてきたところで今度は右折し、海岸通りを南下していく。ここから先は[品91]と路線が平行する。北ふ頭橋交差点を通過すると都立八潮高校停留所。
 この付近一帯には日本たばこ産業品川工場が存在し、バス停留所名も「専売公社前」「JT日本たばこ前」と変遷していたが、工場移転により複合施設への再開発(品川区東品川四丁目第一地区第一種市街地再開発事業)が行われ、品川シーサイドフォレストとして生まれ変わった。
 シーサイドフォレストを抜けると都立高専、もとい都立産業技術高専品川キャンパス前停留所。都営バスでも最も長い停留所名の一つである。目黒駅発の最終はここ止まりとなるが、行先表示はすべてを入れるのを諦めたようで省略形となっている。
 ここから先は再びこの路線の単独区間。左手に鮫洲運転試験場を過ぎると勝島橋を過ぎて勝島エリアへ。前方に首都高1号羽田線の高架橋が見えてくるとバスは右折し、首都高の高架下を進んでいく。新浜川橋停留所を過ぎると終点の大井競馬場に到着である。
 レース開催日となれば多くの競馬ファンで賑わう大井競馬場も、普段の日はひっそりと静まりかえっている。
 それがもう一つの日常。

歴史

 品川管内の路線では非常に歴史ある系統である。品川駅~目黒駅は昭和初期に開通し目黒自動車運輸が運行していた区間で、当時は目黒駅を貫通して五本木・祐天寺駅・鷹番(碑文谷)方面へと直通していた。後に東横乗合に統合され、昭和17年に目黒駅で分断されて東京市に一元化された。
 品川駅以南は東京市が開通した区間で、昭和15年に雷門・新橋方面からの系統が府立第八高女(→都立八潮高校)まで延伸した。昭和17年の統合後はこれらが合体して[3](目黒駅~品川駅~東品川)となった。市電並行でなくバス需要が高かったため戦時中の縮小再編の中でも生き残ったが、昭和20年5月の空襲で休止状態となり、そのまま廃止されてしまった。当時は目黒営業所の所管となっていた。
 戦後すぐの昭和22年に品川駅~東品川の区間が復活し、昭和27年には目黒駅~品川駅の区間も復活延長して1つの路線となった。停留所の変化が激しいが、当時の終点「東品川」は昭和橋に相当するようだ。
 その間に昭和25年には東品川の終点が延伸して現在の都立八潮高校まで復活、さらに路線は南進し、昭和28年には大井鮫洲町(東京運輸支局)まで、昭和36年には大井競馬場まで延伸して現在の形がほぼ完成した。それ以降は細かい経路の変更のみで、現在に至るまで大枠は変わっていない。
 当時の経路の違いは、主に目黒駅~上大崎と品川車庫~天王洲橋である。目黒駅~上大崎は一時期目黒駅方面のみ首都高下を通って中丸(東五反田五丁目)を経由していたものである(下図)。
atoz01_ページ_064_画像_0004

 また、巻頭の車庫と停留所の項でも述べた通り、品川車庫~天王洲橋は車庫以南の山手通りに抜ける部分(下図点線)の開通が昭和40年代に入ってからで、それまでは運河沿いに旧海岸通りの天王洲橋交差点に抜けていた。現在の経路になるのは昭和48年のことである。
atoz01_ページ_064_画像_0003
▲goo地図(昭和38年)より
 営業所は基本的に一貫して品川であった。昭和23年の開通当初は渋谷所管だった記録もあるが、裏付けは取れていない。もしそうだったとしてもごく一時期のことだったと思われる。終点の目黒駅にも営業所があったが、車庫の規模の関係か、戦後に目黒がこの路線を担当したことはない。目黒の閉所した平成17年からは一部便が港南持ちとなり、初の共管となったが、港南がはとバスに委託された平成20年からは品川単独所管に戻っている。
 本数は非常に多かった。沿線の白金台駅や品川シーサイド駅の開業もあり、乗客減の影響を多少は受けたものの、現在でも昼間で10分間隔未満と便利な本数を保っており、どの区間も乗客が多い。沿線人口も多く、今後もこの系統は変わらなそうだ。

第一京浜経由

 品川駅と品川車庫の間には、京浜急行の八ツ山踏切がある。かつては京浜急行が品川駅付近で路面電車だった痕跡を物語るかのような急カーブ上に設置されており、ここを通る電車は大きく減速する。さらに都心側の品川駅近くとあって終日列車の通過本数は多く、特に朝は開かずの踏み切りと化し、ここを通り抜けるのに何分もかかるという有様であったことから、昭和60年頃から対策がとられることとなった。
atoz01_ページ_065_画像_0002
 [品93]は昭和61年3月より、上図の通り品川駅~天王洲橋間を第一京浜経由で迂回運行を行い始めた。迂回運行当初は第一京浜上の八ツ山橋、北品川は通過していた。この区間が東急の縄張りだったのかどうかは定かではないが、この2停留所に停車するようになったのは平成13年4月のことである。北品川二丁目は非経由となる東品川一丁目の代替としての意味合いもあったのだろう。
 方向幕は長らく専用のものは装備されず、バスの前面に専用の札をさげていたが、平成12年12月の改編に伴う幕交換により、方向幕にも専用の表示が用意された。ほとんど使わないはずの品川駅発着まで用意されていたのが面白い([品91]との区別のため、後に品川駅止まりのみ「品川駅西口」表記)。
 さらに平成17年春の改編でもう一回幕交換され、「第一京浜国道経由」の部分がオレンジ色になった。その後、平成20年春の改編による幕交換で枠線の部分だけ黒色になり現在に至っている。
 平成22年7月のダイヤ改正では時間帯が拡大し、朝7~10時台までが第一京浜経由となり、出入の目黒駅~品川車庫についても第一京浜経由の運行を開始した。この時間帯はほとんど品川車庫に行かなくなるためか、数か月後にダイヤが見直され、朝ラッシュ時の品川車庫~目黒駅の本数がわずかに増加した。
 現在でも踏切は[品93]のネックとなっており、京急でダイヤ乱れがあると踏切が閉まりっぱなしになってしまい、その結果[品93]まで無ダイヤ状態になってしまうことも珍しくない。あまりにも長時間閉まっていると品川営業所から京急へと連絡が行くようだが、昼間でも両方向で時間42本(平成27年現在)を捌いているだけあって難しいところだろう。
 平成19年の八ツ山トンネル開業により、品川車庫脇から第一京浜へと踏切を通らずに出られるようになったが、バスは通れない大きさとなっている。品川駅の再開発により京急の駅も含めて配置を見直す案はあるが、踏切が解消されるのかは将来に期待したい。

出入庫

 [黒77][橋86]の項でも記した通り、目黒駅発着の系統として品川車庫~目黒駅の運転が行われている。かつては定期運行がほとんどなかったが、平成17年の目黒車庫閉鎖とともに多く設定された。ただし、近年では[橋86][東98]の港南移管もあって[黒77]用に設定されているのみである。
 入庫は品川車庫行きだが、出庫をよく見ると品川車庫始発でなく品川駅始発となっている便が多い。これは、八ツ山踏切で詰まって時間通りに出庫できなくなることを考慮しているため、柔軟な経路で品川駅まで回送している。
 なお、ここ数年になって本線以外の出入庫各種のLED表示は系統番号部分が白抜き表示になっており、区別できるようになっている。

都営バスの"非公式"総合ファンサイト。

※趣味的な事柄に関する現場(営業所等)への問い合わせは
 業務の大きな迷惑になりますので、お止め下さい。
Return Top