都営バス資料館

×草38

[草38]←[68]

担当営業所

青戸支所

運行区間

系統 区間 距離 備考
青戸車庫~本田警察署~八広~明治通り~押上~浅草寿町 7.046km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
68 S31. 6.20 東荒川 12.225km 新小岩駅~上平井~本田警察署~浅草寿町が開通(京成も同路線を運行?)
68 S32.11.15 東荒川 11.095km 寺島4(現明治通り)~押上間の経路変更
68 S35. 4.15 江戸川 11.095km 東荒川営業所の江戸川への移転改称により移管
68 S37. 6. 1 新谷町 11.095km 新谷町営業所に移管
68 S46.11. 1 青戸 7.046km 青戸車庫~押上~浅草寿町に変更短縮
草38 S48.11. 1 青戸 *** 青戸車庫~浅草寿町を廃止

路線概要

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 浅草寿町から押上・京島・八広を経由して青戸車庫を結ぶ系統である。昭和46年以前は新小岩駅まで達しており、京成も同一系統を共同運行という扱いではなかったが運転していた。
 浅草寿町から青戸車庫へ向かうが、当時の中居堀経由の[上37](→[錦37])や向島経由の[草39]と異なり、ちょうどその中間の道路を通る系統だった。
 浅草寿町から吾妻橋を渡って本所吾妻橋・押上へと向かい、左折して押上駅・押上一丁目を通るところまでは[上37]と同様である。押上三丁目で右折する[上37]と異なり直進し、東武亀戸線の踏切を越えて京島地区に入り、明治通りと交差してさらに直進し、向島商業高校(現日本橋高校)の敷地を左に見ながら突き当たりで左折し、京成押上線の荒川(八広)駅で[上37]と合流した。ここからは[上37]と同じく、四ツ木橋を通って青戸車庫が終点となっていた。
 昭和46年11月までは本田警察署(現葛飾警察署)で右折して平和橋通りに入り、渋江公園からは現在の[新小52](新小岩駅東北広場~市川駅)と同じく、放水路沿いの道路を下り、四ツ木駅、木根川薬師を経由し、上平井橋を渡り、東上平井から平和橋通りに合流して巽橋を経由して新小岩駅を終点としていた。

歴史

 現在は[墨38]が名乗る38番の系統番号だが、それより30年以上昔にも「38番」が存在した。それがこの[草38]である。
 昭和31年の開通時から経路はあまり変わっておらず、葛飾区の荒川放水路沿いや八広~京島とバスが通っていなかった地区から浅草方面に出る需要を狙ったと思われる。都営・京成のエリアをまたいでいたが、これも[草39]と同じく単独系統の扱いであった。京成も同一区間で系統を運行していたようだが、京成電鉄五十五年史では開業日は昭和32年11月となっている。都営も同日より押上駅~寺島四丁目(現京島二丁目交差点付近)の経路変更をしたと記録されており、その時からダブルトラックだったのかもしれない。都営・京成ともに40往復程度が運行された。共同運行の扱いにしなかった理由は分からず、開設当初から路線免許は都営が全区間取得していたのかは不明である。
 しかし、昭和38年に京成押上線と都営1号線(浅草線)の乗り入れが開始すると、四ツ木から先は経路が完全に重複することになり、運行の意義が薄れていった。そのような中、昭和46年には京成が撤退する形で、都営も京成エリアを切り捨てて青戸車庫発着となった。しかし、既に[上37]が存在したこともあり、この路線を運行する意義はますます小さくなっていたのだろう。結局、短縮から2年後、[草38]という番号になってから1年も経たずにに廃止された。昭和48年は財政再建で大量廃止する時代の狭間で、この時期の路線廃止は珍しく、相当に不採算だったのかもしれない。
 長らくバスの設定のなかった押上三丁目~八広間だが、平成24年に墨田区コミュニティバス「すみまるくん」北東部ルート(押上駅→東あずま駅→白鬚神社入口→八広→曳舟小→押上駅)の開設により、全区間でバスが通るようになった。

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