都営バス資料館

都05・深夜13・×深夜05

[都05][深夜05][深夜13]←[銀71折]

担当営業所

深川営業所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
都05-1 晴海埠頭~晴海3~勝どき駅~銀座4~東京駅南口 5.570km 92 93 76 76 72 71
都05-1出入-1 深川車庫~東雲都橋~豊洲駅~晴海3~勝どき駅~銀座4~東京駅南口 7.310km 2 2 2 2 1 2
都05-1出入-2 深川車庫~東雲都橋~豊洲駅~晴海3~晴海埠頭 4.980km 5 2
都05-1出入-3 豊洲駅←晴海3←勝どき駅←銀座4←東京駅南口 5.590km 1
都05-2 東京ビッグサイト~有明1~勝どき駅~銀座4~東京駅南口 8.530km 75 76 70 68 67 62
都05-2-折返 有明1~勝どき駅~銀座4~東京駅南口 7.100km 13 13 9 11 7 12
都05-2-折返-2 有明ガーデン~勝どき駅~銀座4~東京駅南口 6.470/ 6.290km 4 4 4 4 4 4
深夜13★ 有明1~勝どき駅~銀座4~東京駅南口 7.100km 3 4
都05-2-折返-3 有明1←勝どき駅 ** ** ** ** ** **


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
銀71折 S60頃 杉並 5.159km 銀71折返として昼間のみ東京駅南口~晴海埠頭を開設
銀71折 S63.3.21 杉並 *** 銀71→都03の都市新バス化に伴い、一旦東京駅南口~晴海埠頭を廃止
都05 S63.6.8 深川 5.159km 都市新バス化、都05とする。愛称はグリーンアローズ
都05折 H1.6.19 深川 5.500km 深夜バスの開通により、渋谷駅~豊洲駅を開設
深夜05 H1.6.19 深川 9.200km 東京駅南口→(辰巳/東雲)→深川車庫の深夜バスが開通
深夜05折2 H1.6.19 深川 7.870km エムザ有明→豊洲駅→東京駅南口の深夜バスが開通
深夜05折3 H1.6.19 深川 2.570km 豊洲駅→有明テニスの森の深夜バスが開通
深夜05折2 H3 深川 7.870km エムザ有明閉館により有明コロシアムに起点を変更
都05 H3.5.23 深川 5.259km 晴海埠頭ターミナルの変更、延長
都05 H5.3.31 杉並・深川 5.259km 杉並との共管とする
深夜05折2・3 H8.4.1 深川 *** 有明コロシアム→東京駅南口・豊洲駅→有明テニスの森を廃止
都05 H12.12.12 深川 5.259km 深川の単独所管に戻す
深夜05 H15.4.1 深川 *** 東京駅南口~深川車庫を廃止
都05 H18.4.1 深川 5.260km キロ程修正
都05 H19.3.26 深川 *** 東京テレポート駅~東京駅南口を土休のみ開設
都05 H22.4.1 深川 *** ホテルマリナーズコート東京~晴海埠頭の経路をほっとプラザはるみ経由に変更
都05丙 H25.4.1 深川 *** 東京テレポート駅~東京駅南口を東京ビッグサイト~東京駅南口に変更。有明テニスの森~晴海三丁目を新豊洲駅・かえつ有明中高に変更し、毎日運転に拡大
都05-1,2 H29. 4. 1 深川 *** 都05甲・乙を都05-1、都05丙を都05-2に変更
都05-2急行 H29. 4. 1 深川 東京ビッグサイト~有楽町駅→東京駅南口を開設、勝どき橋南詰・築地6・築地3・築地を通過
深夜13 H29. 4. 1 深川 有明1~東京駅南口の深夜バスが開通
都05甲 H28.10. 8 深川 5.370km 東京駅南口ロータリー新設に伴う経路変更
都05丙 H28.10. 8 深川 8.530km 同上
都05-1 H29. 4. 1 深川 5.370km 一部経路変更
都05-2 H29. 4. 1 深川 8.530km 同上
都05-1 H30.12.25 深川 5.370km 晴海埠頭の一部経路変更
都05-2折返-2 R 2. 4. 1 深川 6.470/ 6.290km 有明ガーデン~東京駅南口を開設
都05-2急行 R 3. 6. 1 深川 8.530km 東京ビッグサイト~東京駅南口を廃止
都05-1-1 R 3. 6. 1 深川 5.230/ 5.230km 銀座4~東京駅南口を日比谷経由に設定、オリパラ期間中経路変更
都05-1出入-1-1 R 3. 6. 1 深川 4.780km 銀座4~東京駅南口を日比谷経由に設定、オリパラ期間中経路変更
都05-1出入-2-1 R 3. 6. 1 深川 3660km 深川車庫~ホテルマリナーズコート東京を設定、オリパラ期間中運転
都05-2-1 R 3. 6. 1 深川 9.510/ 9.510km 銀座4~東京駅南口を日比谷経由に設定、オリパラ期間中経路変更
深夜13 R 3. 6. 1 深川 8.080/ 8.080km 銀座4~東京駅南口を日比谷経由に設定、オリパラ期間中経路変更(都05-2折返-1-1)
都05-1 R 4.10. 7 深川 ほっとプラザはるみ~晴海埠頭の経路変更
都05-2折返 R 5. 8. 深川・有明 勝どき駅→有明1を開設、有明が参入

東京駅南口から晴海通り方面に下る都市新バスで、愛称は「グリーンアローズ」。主に晴海埠頭を発着する[都05-1]と、東京ビッグサイトを発着する[都05-2]の2系統からなっている。これ以外に出入庫として深川車庫発着の[都05-1出入]があるほか、 [都05-2]には急行系統や深夜バスも運行されている。

路線案内

まずは[都05-2]について紹介しよう。東京ビックサイトを出発して青海方面に進み、フェリーふ頭入口交差点を右折。国道357号線との交差点を直進すると左側に有明清掃工場とUFOのような外見の有明スポーツセンターがある。このスポーツセンターには清掃工
場の廃熱を利用した温水プールがあり、ウォータースライダーも設置され一年中賑わっているという。
有明テニスの森交差点にさしかかると、前方にイワタニ水素ステーション 東京有明が見えてくる。都営の燃料電池バスはここで燃料となる水素を充填しており、15分で1輛をフル充填することが可能である。入庫前に燃料電池バスがここに寄る姿も見られる。
有明テニスの森停留所の前には、2棟のタワーマン
ションがある。当初は日中のみの行楽輸送系統として誕生した[都05-2]が、年々増便を繰り返し、深夜バスまで設定されるに至ったのは有明地区に林立するタワーマンション群のおかげであろう。
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首都高速晴海線の高架橋が見えてくると、かえつ有明学園西交差点を左折し、豊洲新市場を左に見て晴海大橋を渡る。晴海三丁目交差点で晴海埠頭発の[都05-1]と合流する。
晴海埠頭発の便は、2020東京大会選手村建設真っ盛りの晴海見本市会場跡地を通り抜け、晴海三丁目に至る。トリトンスクエア周辺の利用客が晴海三丁目から乗り込み、ここから一気に混雑することも目立つ。
黎明橋を渡ると勝どき駅。都営大江戸線勝どき駅は、開通前の乗降客予想は2.8万人であったが、開業直後からその倍以上の乗降人数を記録した。さらに人口の伸びに伴い現在は10万人近くに達しており、出入口やホームの増設等の改良工事が段階的に行われている。.
隅田川に架かる勝鬨橋を渡る。昭和15年6月に当時の最先端の技術を用いて造られた跳開橋で、当時は隅田川の水運も盛んであったことから、陸運よりも水運を優先としていた。1日3回9時・12時・15時から20分間開き、その間はバスも手前で止まっていた。しかし、交通の支障もあって開く回数も年々減り、昭和45年11月29日の開閉が最後となった。
橋名の由来は明治38年に日露戦争旅順陥落祝勝記念として有志によって月島と築地を結ぶ渡し船「勝鬨の渡し」が設置されたことにちなんでいる。
橋を渡ると築地エリア。左側には築地場内市場、そして場外市場が見えてくる。
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築地六丁目交差点の角には印度佛教式の特徴的な本堂がある築地本願寺。本願寺は元々は現在の日本橋横山町に京都西本願寺の別院として建立されたが、明暦の大火(1657年)により本堂を焼失。同地での再建が幕府の区画整理のため許されず、八丁堀の海上が代替地としてあてがわれ、埋め立てて土地を築いたことで「築地」という地名となり、その地に再建された。現在の本堂は関東大震災での消失を経て昭和9年に再建されたものである。
さらに晴海通りを進むと建て替えられた歌舞伎座が見えてくる。低層部は建替前の意匠を可能な限り引継ぎ、またオフィスタワーも歌舞伎座の意匠と調和するように設計が行われている。
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銀座四丁目を過ぎると数寄屋橋交差点。角にある交番には避雷針のようなマチ針が刺さった感じで建っているが、これは考え抜かれてデザインされた...というわけではなく、建築デザイナーの山下和正氏がこの交番を設計した際、屋根上に付けるデザインに苦心し、警視庁へデザインをプレゼンする段になり、そのとき製作していた建物模型の屋根に針を突き刺して「この部分には飾りが付くが意匠は後日提出する」としたものである。しかし、飾りは後日提出という話が伝わらず、プレゼンした時の建物デザインのまま上層部の承認が下りてしまい、修正ができずにそのまま建設されてしまったという逸話が有名である。
有楽町マリオンの前を右折し、JR線のガードを抜けると有楽町駅。[都05-2急行]の有明方面は、東京駅丸の内口ではなく有楽町駅が始発となる。
国際フォーラムそして丸の内「三菱村」と呼ばれる、三菱系企業本社が集結するエリアを通過し東京駅南口に到着である。かつては路上に専用ホームが設けられた乗り場も、JR東日本主導の丸の内口再開発によりバスロータリーが設けられた。

路線の歴史

 東京駅と晴海埠頭を結ぶ系統の歴史はさほど古いものではなく、晴海埠頭からの定期系統の幹線は銀座・新宿方面に向けて設定されており([銀71]→[都03]、港南の巻参照)、東京駅へはあくまで晴海見本市会場の臨時便としての行先が中心だった。臨時バスが[236]と名乗ったのは昭和37年で、その後新系統番号で[晴01]に、後に東京駅の発着場所により[晴01]~[晴03]に系統番号が分離した。
 定期便が初めて設定されたのは昭和60年頃で、[銀71](新宿駅西口~晴海埠頭)の折返として東京駅南口発着が設定された。日中に少々設定されたのみで、あとは渋滞でダイヤが乱れた際の調整の行先として使われることが多かったようだ。
 この時代の東京駅南口から晴海方面の案内は、[東18](東京駅南口~門前仲町)を使い、勝どき二丁目(現・勝どき駅)から歩いてくださいという内容の看板(写真)が建っていた。今から考えると結構不便である。
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 昭和63年3月の[銀71]都市新バス化によりこの設定は一旦廃止されるが、6月に新たな都市新バスとして同一区間に[都05]という名で誕生し、豪華な専用車による運行となった。同一区間を運行する一般系統からの格上げでなく、新規に設定された唯一の都市新バスである。銀座の晴海通りを走る[都03]~[都05]にまとめて「グリーンアローズ」の愛称が与えられ、区別のために[都05]は橙色地がイメージカラーとなり、方向幕や専用車の座席の色もそれに合わせた。平成元年には対応する深夜バス[深夜05]も開通した(後述)。
 本線の設定は開業当時から基本的に変わりなく、昼間でも10分間隔程度と使いやすい本数で走り続けている。晴海見本市会場の主力アクセスの一角を担っており、イベント時に臨時増発されることも多かった。当初は深川の単独所管で、平成5年3月から杉並の共管となったが、実際は杉並にも開通当初から[都05]の表示が用意されており、臨時に走る姿もよく見られた。杉並は[宿91]→[都03]で杉並車庫から新宿駅西口経由で出庫し、[都05]を数往復こなすという運用だった。
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 転機が訪れるのが平成8年の見本市会場の閉鎖、そして平成12年の大江戸線開業である。晴海と勝どきエリアの集客に大いに影響を与え、平成12年に深川単独所管に戻り、本数が徐々に減っていった。
また、深夜バスもバブル崩壊後の不況で路線が縮小し、平成15年春には全廃された。このままジリ貧になるかと思われたが、有明方面に活路を求め、また沿線人口増に救われる形となった。
 平成18年に晴海大橋・有明北橋が開通して晴海三丁目から有明までが新たな道路で結ばれ、平成19年春の改編で[都05丙](東京駅南口~東京テレポート駅)が開通した。豊洲埠頭を通り、有明テニスの森からお台場海浜公園を経由し、台場交差点から東京テレポート駅にショートカットして終点となるもので、土休日昼間のみ運転だった。
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当初はあくまでレジャー需要が中心だったが、沿線の開発により高層マンションが次々に建設されていった。勝どきは平成19年から、有明は平成21年から人口が急増し、有明地区の住民からの要望もあって平成25年の改編で毎日運転となり、朝夕ラッシュに手厚いダイヤとなった。このとき、[海01]のビッグサイト撤退と引き換えにお台場地区を切り捨てて東京駅南口~東京ビッグサイトに変更となり、晴海大橋から直進して木遣り橋・かえつ有明経由に変更されている。
 [都05丙]は有明地区の人口増加とともに、年を追うごとにダイヤ改正で本数が増加している。平成25年からは晴海地区もマンション増加で人口が急増しており、都心へ直結するアクセスとして[都05]の重要性が高まっている。平成29年には分かりやすくするために晴海埠頭発着を[都05-1]、東京ビッグサイト発着を[都05-2]と分け、急行系統が誕生し、深夜バスも復活した(後述)。また、平成29年度から本格導入が始まった燃料電池バスの運行系統にもなっている。
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 [都05-2]は本数が増える一方、[都05-1]の本数の変化はここ数年あまりない。しかし、有明・晴海ともに大規模な宅地開発が他にも控えているほか、晴海埠頭では2020東京大会後の選手村跡地を1万人規模の街とする構想になっている。環状二号線経由で予定されている都心直結のBRTとともに、[都05-1]側の変化も目が離せない。

枝番で区別

 都営バスの系統番号で旅客向けに枝番で区別する方法は、平成18年の[王46-1](王子駅~加賀団地、巣鴨の巻参照)で表示したのが最初である。これ以降[錦27-2](船堀駅~小岩駅、江戸川の巻参照)などいくつかの系統で採用されたが、今回の[都05-1]のように主たる系統も含めて枝番をつけたのは初めてだろう。変更当初のLED表示は通常サイズの系統枠に二段書きにして表示を押し込めたもので見やすいとは言えなかった。燃料電池バスで始まったフルカラーLEDも同じような表示だったが、6月の一般車での表示開始時に横長に1段で書く方式になり、後に通常のLED表示もこれに追従した。
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 このときのフルカラー表示は、系統番号の枠の色と系統番号の文字が溶け込んで、夜間は特に見づらくなっていた。8月に早速改善され、系統番号の文字色を黒にしてコントラストをはっきりとさせたほか、[都05-1]は系統番号枠を枠線だけにすることで[都05-2]と区別している(下図)。同時に系統番号の数字を大きくしたり、枠や文字も再配置したりするなど手が込んでいる。系統番号の枠は側面・背面もデザインが合わせて変更された。
 なお、書類上では折返系統は本線の系統番号に対して枝番を振るようになっているため、[都05-2折返-2]のような長い名前となる。

深夜バス専用の枝番

 かつての都営バスでは甲乙丙…で枝番を区別する方式が主流で、[都05]にも実は[都05丁]まで存在した。甲は東京駅南口~晴海埠頭、乙は東京駅南口~東雲都橋~深川車庫までは知られているが、丙は有明コロシアム→東京駅南口、丁は東京駅南口→辰巳団地→深川車庫という扱いだった。[都05丁]は深夜バスでしか運転されることがないが、[深夜05]はあくまで旅客案内用で、正式な書類ではこのような扱いだったのである。
 現在もこういった扱いは続いており、交通局の運行計画概要の書類では[深夜13]の項はなく、[都05-2折返](東京駅南口~有明一丁目)の欄に深夜バスも運行として掲載されている。[深夜14]も同様で、深夜でしか運行されない月島四丁目・東雲都橋経由の深川車庫行きは[東16出入-3]として登録されている。

急行バス

 平成29年春より[都05-2急行]が新たに設定された。銀座四丁目を出ると築地・築地三丁目・築地六丁目・勝どき橋南詰を通過し勝どき駅まで無停車となり、先行する他系統のバスを追い越す姿が見られることも。同時間帯の各停と比べ所定で2分の短縮となっている。
両方向の設定があるが、ビッグサイト方面は有楽町駅始発となっている。平日の朝は有楽町駅だとほぼ座れないため、着席機会の確保のほか、並行する日立自動車交通の晴海ライナー(有楽町駅~晴海トリトンスクエア)の対抗という意味合いもあるのだろう。全便燃料電池バスの指定ダイヤとなっているのも特徴。なお、側面の行き先表示は東京駅南口発になっているのが不思議なところだ。今のところは2往復のみだが、将来的には急行運転の拡大にも期待したいところだ。

深夜バス(その1)とエムザ有明

 平成元年6月に、深夜バス[深夜05]が誕生した。様々な運転区間が設定されたが、特徴的だったのは夜遊びアクセス用のエムザ有明(現・有明コロシアム)→豊洲駅・東京駅南口である。エムザ有明とは、昭和63年に倉庫街で目ぼしい施設もなかった有明に不動産会社がオープンしたディスコ等の複合施設の名である。都心部の急激な地価上昇で、まだ賃料が安かった湾岸地区に目をつけたもので、バブル期のウォーターフロントブームの一角を担った施設となりバス停も設けられた。当時の都バス路線案内の沿線案内にも、「MZAとはMedia・Zone・Amenityの頭文字から。コロシアム前の約2,000坪の敷地に、レストラン、カフェ・バー、ライブシアター、コンサートホール、ショッピングの5つの施設をもつ、いちばんホットなミニシティです。」と紹介されており、文面に当時の空気が感じられる。これの送り込み用で豊洲駅→有明テニスの森の設定もあった。
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 しかし、平成2年に親会社の放漫経営による不祥事と倒産により閉鎖、エムザ有明停留所は有明コロシアムに改称された。以後は倉庫会社が借り受け、平成12年には格闘技会場のディファ有明として再オープンした(平成30年6月閉鎖)。その後も深夜バスは残った
が、[深夜05]全体で平成2年度の1日平均265人/日から、平成7年度は154人/日まで低下していた。平成7年度限りで有明方面は整理され、以降は2台運行で東京駅~豊洲駅を往復し、東京駅→深川車庫で入庫して終了となった。豊洲駅→深川車庫は辰巳・東雲回りの2パターンがあり、辰巳経由は東京駅南口発1:10、車庫着は1:40頃という都営バスで最も遅い営業便であった。
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 しかし乗客の減少は止まらず、平成9年度からは100人/日を割り込んだ。当時まとまった需要が見られたのは駅から離れた晴海の都営住宅くらいで、そこから先は車庫まで空いていることも多かった。大江戸線勝どき駅開業後はそれも厳しくなったのか、平成15年3月限りで全廃された。沿線の人口が急増するのはそれから数年後のことで、路線を維持するには時代が早すぎたのだろう。深夜バスが復活するのは14年後のことであった。

橙色の方向幕

 [都05]のイメージカラーといえば方向幕の地色にも採用された橙色である。方向幕では初めての色で、開通当初はやや赤色寄りのくすんだ色、ローマ字がついて以降はみかん色のような橙色になっていった。しかし終車を示す赤灯とは相性が悪く、表示が分かりづらいということもあったのか、平成15年まで他系統での橙色地の採用はなかった。
 [都05丙]の東京ビックサイト発着の開業時に作られた幕はやや色の濃い橙色が採用された。同時に作ったはずの有明一丁目行きと色味が微妙に異なっていたのが面白い。もっとも、この頃になるとLED車のほうが優勢で、方向幕車が運用に入ることは滅多になかった。

名残の豊洲駅止まり

 [都05]の平日最終近くに1本だけ運転される22:50発の豊洲駅行き。これはかつて運転していた深夜バスの名残で、深夜の前運用として一般系統扱いで運転していたのが生き残ったものである。本線の運用とは独立しており、基本的には[錦13]運用の車が錦糸町駅→豊洲駅の運転後、東京駅まで回送してこの運用の運転にあたる。そのため、普段[都05]で見られない車種が運用に入る。今となっては深川車庫まで営業運転しても良さそうなものだが。
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 組み合わせ相手は年代によって変わり、平成15年度からは[都04](東京駅南口~豊海水産埠頭)の最終で東京駅南口に到着した便が、平成21年度からは[東12]で東京駅八重洲口到着後に回送または[錦13]となり、現在は[錦13]に統一された。
復活した深夜バス(その2)
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 平成29年4月に、新たな深夜バスとして[深夜13](東京駅南口~有明一丁目)が設定された。経路は[都05-2]と完全に同じだが、別の系統番号を与えている。廃止された区間に深夜バスが復活するのは都営バス初で、さらに昔に撤退した有明地区までを直結した。エムザ有明のあった倉庫街の時代とは異なり、有明一丁目だけで人口は9,000人に増えており、採算が見込めるということだろう。上り方面も営業しており、有明一丁目発は24:04、東京駅南口発は24:48が終バスと大幅に繰り下がった。これ以前から深夜バスの運用は始まっており、有明一丁目発の[都05-2]が21:29の後、22:15まで間隔が空いて3回設定されているのが深夜バスの運用スタートの目印である。
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 なお、従来は深夜バスの行先表示はふくろうマークのみで系統番号を表示しないのが通例だったが、フルカラーLEDの仕様に揃え、[深夜13][深夜14]ともに単色・フルカラーとも系統番号を表示している。

ビッグサイトと乗車制限

 [都05-2]はビッグサイトへのアクセス路線としても使われているが、コミックマーケット等の大規模イベントでは座席が埋まる程度まで乗ったところで乗車を打ち切って出発させる例がみられる。燃料電池バスでは席が埋まる前に打ち切る例も見られた。国展急行バスへの誘導も行われており、途中から乗れなくなることを防ぐためだろう。沿線住民の足としても重要な立場にあることを感じさせる。
 これ以外で比較的多く見られるのは、有明などの途中始発の臨時便を続行で出すパターンで、新しい車を途中始発に、普段入らない経年車をビッグサイト発にすることが多い。沿線住民への配慮なのかもしれない。

短いが多彩な行先

 [都05]には、臨時も含めて様々な行先が用意されている。まずは方向幕時代から存在した東京駅南口→晴海三丁目止まり。かつては最終便のみ定期運転があったが平成8年頃に消え、それ以降は東京湾大華火祭の日に見られるのみとなった。この日は時間帯により、昼過ぎまでマリナーズコート東京止まり、夕方は晴海三丁目止まり、花火開催中は築地六丁目止まりとこまめに運転区間を変えるのが特徴である。平成24年頃から系統番号部に花火マークの入った専用のLED表示も用意された。
ただし、2020東京大会による晴海埠頭の工事により平成27年の開催をもって休止となり、それ以降に登場したフルカラーLED車も表示こそ用意されたものの、残念ながら使われたことはない。
 東京マラソンでは都心部の交通規制により、晴海埠頭~勝どき駅という短距離運転になり、LEDのみ専用表示が用意された。平成29年からはマラソンコースの変更で運転区間が築地止まりに変更され、新たに(臨時)築地という表示が作られたが、今一つ見づらい。
平成30年8月にお台場海浜公園で開かれた東京花火大祭では、晴海埠頭客船ターミナル付近が朝から閉鎖となるため路線バスはほっとプラザはるみ発着(ほっととプラザ晴海~晴海埠頭は回送)での運転となり、バリエーションがさらに増えた。

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