都営バス資料館

×田70

[田70]←[70]

担当営業所

新宿営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
港区スポーツセンター~三ノ橋~一ノ橋(←鳥居坂下、飯倉片町→)六本木~四谷3~新宿駅西口 8.970/ 9.170km
港区スポーツセンター~三ノ橋~一ノ橋~飯倉片町~六本木~四谷3~新宿駅西口 8.970km
港区スポーツセンター~赤羽橋~一ノ橋(←鳥居坂下、飯倉片町→)六本木~四谷3~新宿駅西口 8.880/ 9.055km
港区スポーツセンター~赤羽橋~一ノ橋~飯倉片町~六本木~四谷3~新宿駅西口 8.880km
出入 新宿駅西口~西参道~新宿車庫 1.800km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
70 S32. 3. 1 目黒 8.472km 田町駅~赤羽橋~信濃町駅~新宿駅西口が開通
70甲  S33. 4.15 目黒 9.422km 田町駅東口~赤羽橋~信濃町駅~新宿駅西口に変更延長、[70甲]とする
70乙  S33. 4.15 目黒 9.592km 田町駅東口~三ノ橋~信濃町駅~新宿駅西口を開設、[70乙]とする
70 S33~35頃 目黒 ***  西芝浦一丁目(現港区スポーツセンター)~田町駅東口を延長?
70 S35頃 目黒 ***  [70甲]を三ノ橋経由、[70乙]を赤羽橋経由と系統番号を逆転する
70甲 S39.12. 1 目黒 9.742/ 9.592km 六本木交差点付近で新宿駅方面のみ経路変更
70乙  9.572/ 9.477km 同上
70折 S40. 6. 5 目黒 *** 新宿駅西口~一ノ橋を開設
70甲 S45. 5. 1 目黒 9.320/ 9.170km 城南中学校~一ノ橋を往復とも環状3号経由に経路変更?
70乙  9.150/ 9.055km 同上
田70 S47.11.12 目黒 *** 新番号化、[田70]とする
田70 S54. 7.25 目黒 ***  終点停留所を田町駅東口から港区スポーツセンターに変更
田70甲 S56.12.25 目黒 9.810/ 9.170km 一ノ橋→六本木について、芋洗坂から六本木七丁目経由に変更
田70乙 9.640/ 9.055km 同上
田70 S57.12.26 新宿・目黒 ***  新宿との共管とする
田70 H 1頃 新宿・目黒 *** 20時以降は、六本木→一ノ橋を外苑東通り・飯倉片町経由とするように変更
田70 H 4. 4 .1 新宿 ***  目黒が撤退、新宿の単独運行とする
田70 H 5. 2. 1 新宿 8.970/ 9.170km 六本木→一ノ橋を飯倉片町経由とし、20時以降の往復ともに飯倉片町経由となる系統を[田70乙](三ノ橋)・[田70丁](赤羽橋)とする。従来の[田70乙]は[田70丙]に
田70 H12.12.12 新宿 *** 港区スポーツセンター~新宿駅西口を廃止

路線概要

atozc_240  新宿駅西口と田町駅東口の港区スポーツセンターを結び、城南地域から新宿駅へと向かう数少ない系統の一つだった。麻布・芝地区では赤羽橋回りと三ノ橋回りの2通りがあり、経路途中の六本木付近では時間帯によって経路が異なるなど、経路のパターンは数多く存在した。
 新宿駅西口を発車すると、新宿大ガードをくぐってすぐに右折し、スタジオアルタそばの新宿駅東口に停車する。新宿通りは渋滞しやすく、ここで詰まることも珍しくなかった。
 伊勢丹の脇で新宿追分に停まる。明治通り上の停留所は新宿伊勢丹に改称されたが、こちらは旧名称のままである。新宿三丁目・二丁目・一丁目と、繁華街の雰囲気が残るビル街の中を進み、右手に新宿御苑の大木戸門が見えると、御苑トンネルを進んできた甲州街道と合流し、一気に道幅が広がる。ここから右折レーンへと車線を転じ、四谷三丁目で右折して外苑東通りへと入る。
しばらく進むと、右手に巨大な壁に丸い穴が空いたかのような建物が見えてくるが、これは信濃町煉瓦館。慶応病院の敷地を活用して建てられたオフィスビルで、平成7年建築でありながら煉瓦の外観と相まってレトロな雰囲気を出している。ここで信濃町駅前に停車。右手に慶応病院の入り口が、左手に信濃町駅の駅舎が見える。線路を越えると右手は神宮外苑の緑が広がり、すぐに信濃町駅南口停留所となる。新宿方面は駅南口が、田町方面は駅前の停留所が駅に近い。
 さらに南下し、左手には明治記念館、赤坂御用地が、右には神宮外苑と緑に包まれながら快走する。[田70]が快調に走れる数少ない区間であった。青山通りと交差する手前に青山一丁目駅が、さらに交差点を越えて左折した所に青山一丁目駅南口停留所がある。地下鉄駅なのに南口というのも面白い話だが、乗り換えは南口のほうが幾分か便利である。
 さらに南下し、赤坂八丁目は千代田線の乃木坂駅最寄りであったが副名称も(健保会館)と駅と無関係であった。ここから少しずつ六本木らしい盛り場の風景になっていく。防衛庁(現東京ミッドタウン)が広がるのを左手に見ながら進み、交差点手前に六本木のバス停があった。
 ここからは往復で経路が異なり、田町方面は六本木交差点を突っ切り、アマンド脇の小道に突っ込んでいた。知らなければバスがここを通るとは思わないであろう。そのまま飲み屋の連なる裏道を走り、芋洗坂を駆け下りて行く。坂名の由来は、江戸時代に近くで芋を売っていたから、天然痘にかかった際に神仏祈願として水で洗う寺社が近くにあったことから等の諸説あるようだ。
 坂を抜けると広い道路に出る。環状三号線として整備中の道で、現在は[反96](五反田駅~六本木ヒルズ循環)が通る。抜けた所に城南中学校、そして鳥居坂下の停留所があり、新一ノ橋交差点の手前、他とは離れた場所に一ノ橋の停留所があった。
 一方、新宿方面は、一ノ橋で現在[反96]が停車するあさひ銀行(現りそな銀行)前の停留所に停車し、そのまま首都高沿いに飯倉片町まで坂を上った後、外苑東通りに左折して六本木へと向かっていた。道の広さも田町方面とは好対照であった。なお、田町方面も20時以降は芋洗坂の混雑が激しいため新宿方面と同じく飯倉片町経由となっていた。この時間の一ノ橋の停留所は新一ノ橋交差点の飯倉寄りとなり、他の一ノ橋停留所からはかなり離れたところにあった。
 一ノ橋から先も2経路に分かれる。三ノ橋回りと赤羽橋回りと呼ばれ、おおむね交互に運転されていた。三ノ橋回りは、一ノ橋から三ノ橋まで南下した後、三ノ橋の交差点を左折して、慶應女子高脇の小道を走った。途中に三田五丁目の停留所があったが、桜田通り沿いの[東98]などが停車する三田五丁目とは大きく離れていた。桜田通りに突き当たると左折し、慶應義塾大学の正門前を直進していた。
 赤羽橋回りは、一ノ橋から赤羽橋を回り、右折して東京タワーを背に桜田通りを南下するという経路である。一ノ橋~赤羽橋の経路も時代によって異なるが、最末期は田町方面が首都高北側の環状三号経由、新宿方面が首都高南側の旧道経由と異なっており、途中の中ノ橋は停留所の位置が離れていたのも面白い。
 慶應義塾大学の角で三ノ橋回りと合流した少し先に芝五丁目の停留所があった。しかし、同じ区間を走る[田87](田町駅~渋谷駅)は停車せずに通過しており、[田70]の廃止後は引き継がれることもなく停留所ごと廃止されてしまった。
 バスは第一京浜を越えて札の辻停留所に停車する。JR線を陸橋で越えるとゴールも近くなり、左折して藻塩橋に停まり、東京工大附属高の敷地、そして田町駅東口を左手に見て終点となる。
 三ノ橋・赤羽橋回り、飯倉片町・芋洗坂経由と2×2=4通りの経路があり、書類上では三ノ橋経由が[田70甲]、三ノ橋経由の夜間の往復とも飯倉片町経由が[田70乙]、赤羽橋経由が[田70丙]、それらの夜間用が[田70丁]と4つに分かれていたが、旅客案内上は特に用いておらず、[田70]の赤羽橋経由、という表現をしていた。さらに新宿駅付近では、歩行者天国時間帯は新宿駅東口を通らずに歌舞伎町(靖国通り)を経由していたため、全部で2×2×2=8通りの経路があったことになる。実に複雑だったと言えよう。

歴史

 昭和32年に[70]新宿駅西口~六本木~赤羽橋~田町駅の全線が一気に開通した。城南を環状に結ぶ交通機関としては、都電7系統(四谷三丁目~天現寺橋~泉岳寺~品川駅)、及び都電33系統(四谷三丁目~六本木~御成門~浜松町一丁目)があったが、新宿駅へは乗り換えが必要で、なおかつ一ノ橋・麻布エリアからは直接出られないものであった。バスにも戦前に同様の路線はなく、戦後のオリジナルな系統と言える。
開通時は東口でなく第一京浜上の田町駅を終点としていた。折り返し方法は定かではないが、[田87]と同じく札の辻で左折し、道路を回って折り返ししていたと考えられる。
 翌昭和33年に三ノ橋経由の便が誕生し、さらに田町駅東口発着に延長された。当初は赤羽橋経由が[70甲]、三ノ橋経由が[70乙]と名乗った。しかし数年のうちに三ノ橋経由が「甲」となった。なぜそうなったかは不明だが、甲乙の示す系統が逆転したのが面白い。
atozc_253   ▲昭和40年代の側面方向幕
 開通時の所管は目黒営業所であった。受け持ちのバランスを考えた結果だろうか。田町駅側で操車を行い、出入庫は目黒駅~清正公前~慶應義塾大~田町駅東口という経路で行っていた。 
atozc_251 ▲昭和35年10月現在
 当時の経路の特徴としては、六本木~一ノ橋が往復とも芋洗坂経由であったこと、麻布十番近辺では往復で経路が異なり、田町方面は環状三号を、そして新宿方面は何と十番商店街を経由していたことがある。人通りも多い商店街を大型車が通っていたとは今では想像がつかない。ちぃばすの田町ルート(田町駅東口~六本木ヒルズ)が当初計画で経由しようとしたものの、危険という理由のためか往復とも環状三号経由に変更されたほどである。芋洗坂経由については、六本木と一ノ橋を結ぶ道路が他になかったためだろう。
 なお、昭和39年12月に小さな経路変更があり、六本木交差点の近く、芋洗坂上の変則五叉路から先が少々変更され、新宿方面は六本木交差点の手前で逆に折れ、ロア六本木・外苑東通りへと迂回するようになった。
 昭和40年には系統ワンマン化に対応し、昭和43~44年頃まで新宿駅西口~一ノ橋という折返が存在した。目黒営業所のワンマンテスト路線として開設されたようである。当時の運賃制度では、[70]は全線2区で、新宿駅西口~一ノ橋までが1区となっていた。運転手が楽に運賃収受出来るようにということであろう。この時は往復で経路が異なっていたこともあり、一ノ橋で循環状に折り返していた。
 昭和42年頃、住居表示による町名で麻布(北/南)日ヶ窪町の名が消滅し、途中のバス停名は日ヶ窪町から城南中学校に改称された。そして昭和45年頃、経路が統合され、十番商店街経由を取りやめ往復とも環状三号を走るように経路変更された。この時期が、往復ともにほとんど同一経路を走り、経路が最もシンプルであったと言える。
atozc_252 ▲昭和44年1月現在
 次に大きな変化が生じたのが昭和56年12月である。往復とも芋洗坂を経由するのは狭隘路で運行に支障が出るとされたのか、新宿方面は大きく経路を変えた。環状三号線の建設が進んでいたが、六本木通りの六本木六丁目交差点の少し先までしか開通しておらず、その先は米軍の赤坂プレスセンター内のヘリポートの敷地にかかることもあって、建設が中断していた。しかも六本木通りをくぐる立体交差の麻布トンネル部分は、往復4車線のうちわずか1車線のみを使った一方通行で、一ノ橋側から直接六本木通りに抜ける側道も存在せず、一旦トンネルを通った先の行き止まりでUターンして、六本木六丁目の交差点に出るしかなかった(裏表紙も参照のこと)。新宿駅方面はこの経路を活用することになり、城南中学校から先は六本木六丁目交差点・六本木通り経由をするようになった。
atozc_254 ▲港区(公共施設地図航空、昭51)
atozc_256 ▲昭和57年12月現在
 六本木通りに出た後には「六本木七丁目」停留所が新設された。六本木通り上にあるものの、 [都01]などは停車せず、影の薄い停留所だった。道幅は広かったが、Uターン部分は構造上車が詰まりやすく、運行の難所であった。
 昭和57年12月の改編で、営業所の担当系統のバランスを取るためにのか新宿が参入し、[田70]は目黒と新宿の共管となった。いつの時期かは不明だか、一ノ橋~赤羽橋間も、田町駅方面は古川の北側にある環状三号経由に変更された。路線図上では往復とも環状三号経由で描かれていたが、実態は異なっていた。
atozc_257 ▲平成2年3月現在
さらに平成元年頃、田町方面の芋洗坂経由に関しても変更が入った。路上駐車で運行に支障を来たすことや、近隣店舗からも意見があったようで、20時以降は六本木から外苑東通りを直進し、飯倉片町を経由するように変更された。往復で相当大きく経路が異なることになり、利便性という面では低下した面は否めない。
 なお、平成4年4月の改正で目黒営業所が撤退、[田70]の運行は全て新宿に移管された。
 そして、長らく止まっていた環状三号線の六本木トンネルの工事が進み始めたことにより、当初は一ノ橋から見て右側の車線の一方通行だったのが、平成4年頃には左側の車線の一方通行に変更され、平成5年2月には本線から側道へのUターンが不可能となった。そのため、新宿方面は迂回路である飯倉片町・外苑東通りを経由することとした。当初は新宿方面の飯倉片町停留所は作られず、同年9月に増設された。同時に鳥居坂下・城南中学校の新宿方面と六本木七丁目は廃止された。これでようやく経路が安定したことになる。
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atozc_259 ▲平成6年1月現在
 収支の面では、[田70]は慢性的な赤字系統であった。港区南部と新宿を結ぶ系統としてはほぼ唯一の存在だったが、新宿・四谷・六本木近辺と渋滞箇所ばかりを走ると言っても過言ではなく、平日夕方のピーク時は所定で新宿から信濃町まで31分、全線で70分(8km/h)と相当な遅さだった。新宿駅西口には、所要時間を表示するバスロケーションシステムが用意されていたが、平日は一ノ橋までの所要時間が60分程度になっていることも多く、各所の渋滞によるダイヤ乱れに泣かされた系統と言える。
 昭和50年度には9,339人/日だった乗降人員も、平成2年には5,936人/日まで減少しており、営業係数も130代と都営バスでは下のほうで、本数を減らし、収支均衡に近づけるようになった。平成7年度には赤字1億円、収支係数137以上という基準に引っ掛かり、赤字圧縮として更に2割程度の本数削減がされた。一ノ橋以南で2経路に分かれている部分は休日ともなると40分毎にしかバスが来ず、利便性が高かったとは言いがたい。どちらかの経路に統一することも検討されたようだが、沿線住民の反対もあり、廃止まで両方の経路が交互に運行されるスタイルは継続された。
 そして平成12年12月、[田70]は全線廃止された。新宿~六本木~麻布十番(一ノ橋)が大江戸線で直結された以上、そのまま残すことはあり得なかったろうが、一ノ橋から六本木に抜けるバス路線が無くなり、六本木、麻布十番から田町駅に抜ける路線がなくなったことへの沿線住民の不満は大きかったようで、廃止から4年後の平成16年10月、港区コミュニティバスちぃばす(田町ルート)が [田70]の南側をほぼ引き継ぐ形で田町駅東口~六本木ヒルズの運行を開始した。
 ちぃばす田町ルートは、15分間隔と廃止間際の[田70]をしのぐ利便性で、乗客の増加に伴って小型車から中型車での運行になるなど、非常に盛況である。環状三号線の開通で一の橋~六本木の走行上の難所は解消されており、もし六本木ヒルズが早く完成していたら、運行委託の仕組みがもっと前から活用されていたら……歴史のifは考えるだけ空しいが、少し考えてしまう。
経由地表示と方向幕
 [田70]は2通りの経路が存在したこともあり、行き先表示でも経由をしっかりと案内していた。昭和40年代の旧系統番号時代は、方向幕がそれぞれ分かれていたが、それ以降の小型幕車は表示は共通で、前面に「三ノ橋廻り」「赤羽橋廻り」のプレートを掲げていた。三ノ橋が青、赤羽橋が赤字で記載されていた。
 昭和55年度導入車(H代)以降は方向幕が大型化され、経由地が幕の各面に表示されるようになった。目黒車は(港区スポーツセンター)が目立ち、背面の表示は(赤羽橋経由)が幕の上側に来るなど変わったデザインであったが、新宿車はそれと比べると普通の表示で、営業所で差分があったのが興味深い。
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atozc_265 ▲目黒[上]、新宿[下]の表示

目黒の出入庫

 [田70]は、昭和57年の改編までは目黒が担当していた。そのため、出入庫として目黒駅から港区スポーツセンターまでの路線が運転されていた。ルートは目黒駅からそのまま[東98](等々力~東京駅南口)と同じように清正公から慶應義塾大まで進み、突き当たりを右折して[田70]の本線に合流し、札の辻から港区スポーツセンターで終点となるというものだった。路線図に記載されたことはなく、目黒駅では[黒10](目黒駅~東京駅南口)の乗り場から発車していた。
 昭和57年の改編で新宿・目黒の共管になったが、この改編で出入庫は運転されなくなり、全区間回送となった。また、新宿駅西口~目黒駅を朝夜を中心に回送する運用も存在し、東急バスのエリアである山手通りで目黒の回送車を見る機会もあった。
 その後、目黒は[田70]から撤退し、新宿の単独担当となった。新宿の出入庫は新宿駅西口~西参道~新宿車庫で営業運転しており、目にする機会は比較的多かった。

末期の改称

 六本木駅近くにあった城南中学校・防衛庁の停留所。城南中学校は学校の統廃合で平成12年4月に「六本木中学校」に、また防衛庁は施設移転で平成12年6月に「六本木七丁目」に改称された。しかし、いずれも[田70]の単独停留所で、同年12月には路線が廃止されてしまったため、これらの名前が使われたのは僅か数ヶ月のことであった。
 城南中学校の統廃合自体は平成10年4月だったので、その時点で改称するのが自然な気がするが、2年遅れたのは何か理由があったのだろうか。

上下で広告が違う!?

新宿伊勢丹の周りには2カ所の停留所がある、新宿通りには[品97]([田70])が停車する「新宿追分」停留所が、明治通り上には[池86](池袋駅東口~渋谷駅)・[早77](早稲田~新宿駅西口)が停車する「新宿伊勢丹前」停留所がある。昭和57年までは双方とも新宿追分だったが、明治通り上だけ改称されて別の名前になった。
新宿通り上の停留所はなぜ改称しなかったのかという疑問を抱いてしまうが、改称されずに残った新宿追分は上下で停留所案内の後の広告(副名称)が違っていた。東行きは新宿伊勢丹の前、西行きは丸井の前にバス停が建っていたということもあり、東行きは「次は、新宿追分、新宿追分。新宿伊勢丹前でございます。地下鉄~」、一方の西行きは「次は、新宿追分、新宿追分。新宿三越前でございます。地下鉄~」と案内を変えていた。
 道路を挟んで建つ互いの百貨店に不公平の無いように、このような内容になったと思われる。しかし、バス停の目の前にそびえ立つ丸井には一切触れられてなかったのは大人の事情だろうか……。

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