都営バス資料館

新宿支所

車庫の概要

 新宿支所は、新宿新都心からやや外れた新宿区の端に位置する。駅で言えば京王新線の初台駅が近い。山手通りに面しており、隣には特徴的な円弧の形のNTT東日本の本社が、首都高中央環状線西新宿ジャンクションの高架を挟んだ向かいには東京オペラシティと新国立劇場がある。
 新宿は、渋谷・大塚などとともに、昭和初期に作られた古くからの営業所である。戦後に振られた営業所の文字は「C」で、品川のA、渋谷のBに続いて時計回りで3番目に当たる。新宿駅を発着する系統を中心に所管するが、戦後すぐの甲州街道筋を中心に長距離路線を所管した時代、都電廃止後の新宿から山手線内に閉じる系統を中心とした時代、そして大江戸線全通後、と年代によって大きく役割を変えてきた。平成21年度からは運行をはとバスに委託し、新宿・渋谷エリアの本数の少な目の系統をいくつか受け持っている。
 都庁のおひざ元ということもあり、かつては[C・H01](新宿駅西口~都庁循環)を受け持ち、国内4メーカーの低床車が揃うなど車輌面でもバラエティ豊かで、ある意味交通局を代表する営業所であった。現在でもその名残はわすがに見られ、南・西部の営業所では数少ないCNGバスも所属している。

所管系統(H30.4現在)

系統番号 枝番 起点、経由地、終点 備考 キロ程(往) キロ程(復)
宿74 新宿駅西口~東新宿駅~戸山町~東京女子医大 3.525 3.525
出入 新宿駅西口~中央公園~新宿車庫 1.600 1.600
宿75 新宿駅西口~東新宿駅~抜弁天~東京女子医大~四谷駅~三宅坂 昼のみ 7.135 7.135
折返 新宿駅西口~東新宿駅~抜弁天~東京女子医大 2.975 2.975
出入 新宿駅西口~西参道~新宿車庫 1.800 1.300
早81 -1 早大正門~千駄ヶ谷駅~原宿駅~(渋谷区役所→)渋谷駅東口(循環) 平土のみ 16.323
-2 早大正門~千駄ヶ谷駅~原宿駅~(神南1→)渋谷駅東口(循環) 休のみ 16.213
-3 早大正門←四谷4 3.840
渋88 渋谷駅~青山学院~六本木駅~神谷町駅~虎ノ門~新橋駅 6.367 6.367
出入-2 新宿車庫←西参道←北参道←渋谷駅東口 平深夜のみ 5.522
出入-1 新宿車庫→西参道→北参道→渋谷駅西口 平土早朝のみ 5.452

基本データ

住所 新宿区西新宿三丁目19番地1号 (昭和45年4月1日住居表示実施)
開設期間 昭和3年5月1日~
交通機関 バス:新宿車庫・東京オペラシティ南・西新宿小学校 鉄道:
基本配置 旧基本車種:いすゞ、旧合成音声機:レシップ、旧次停留所機:レシップ

沿革

年月日 できごと
T13. 3.16 桜田門出張所を開設
S 3. 5. 1 桜田門出張所が移転、新宿出張所が開所
S 5. 8.27 新宿営業所に名称変更
S17. 2. 1 陸上交通事業調整法に基づき、地下鉄バス淀橋営業所を市バスの営業所とする
S17. 3.31 淀橋営業所を併合する
S24.12.25 新宿営業所八王子支所を開設
S28. 7.20 西新宿(現在地)に移転
S62. 3.31 新宿営業所八王子分駐所を閉所
H12.12.12 渋谷営業所新宿支所に格下げ
H18. 4. 1 渋谷営業所新宿分駐所に格下げ
H21. 4. 1 はとバスに運行業務を委託開始、渋谷営業所新宿支所に格上げ

歴代所管一覧

年月日 所管開始時の区間 所管開始 所管終了 備考
18 東京駅乗車口~月島3 S20以前 S43. 9.26 →移管(深川)
3 新宿駅西口~東京駅乗車口 S21. 3.15 S21. 8.20 廃止
24 東京駅乗車口~水天宮循環 S21. 8.20 S45. 3.26 廃止
111 下高井戸~新橋駅 S23.10. 3 S46.10.31 →短縮(37系統)
119 武蔵境駅南口~東京駅乗車口 S24.12.25 S45. 3.20 廃止
126 永福町~新橋駅 S25.10.16 S44. 3.31 廃止
38 東京駅乗車口~月島12 S27. 1.15 S43. 9.26 →移管(深川)
40→東72 新宿駅西口~東京駅八重洲口 S27. 5. 5 S52.12.15 廃止
49→草79 新宿駅西口~浅草寿町 S28. 4.24 S54.11.22 廃止
62 東京駅乗車口~官庁街循環 S29. 4. 1 S30. 3.31 →移管(目黒)
63 郵政省(狸穴)~茅場町 S29. 4. 1 S41. 6.30 廃止
74→宿74 新宿駅西口~東京女子医大 S43. 9.27 運転中 →分離(宿75)
513→秋76 新宿駅西口~飯田橋~岩本町 S45. 3.27 H12.12.11 廃止
37→橋78 新宿車庫~新橋駅 S46.11. 1 S57.12.25 廃止
田70 新宿駅西口~港区スポーツセンター S57.12.26 H12.12.11 廃止
四80 四谷駅~赤坂アークヒルズ S61. 4.17 H12.12.11 廃止
C・H01 新宿駅西口~都庁循環 H 3. 4. 1 H21. 3.31 →移管(小滝橋)
品97 新宿駅西口~品川車庫 H12.12.12 H17. 3.31 →移管(杉並)
宿75 新宿駅西口~三宅坂 H14. 2.25 運転中
渋66 阿佐ヶ谷駅~渋谷駅 H15. 4. 1 H18. 3.31 →移管(杉並)
都01 渋谷駅~六本木駅~新橋駅 H16. 4. 1 H21. 3.31 →撤退(渋谷)
早81 早大正門~渋谷駅東口 H21. 4. 1 運転中
渋88 渋谷駅~神谷町駅~新橋駅 H21. 4. 1 運転中

車庫の歴史

▲淀橋区詳細図(東京地形社、昭8)
新宿に市バスの車庫が置かれたのは昭和3年にさかのぼるが、開設時の場所は、現在の西武新宿駅の敷地付近にあった。今ではとても想像がつかない立地である。
戦前は新宿駅を発着する系統を中心に担当した。市バス創業時からある路線としては、新宿通り・外堀通りを経由し、四谷・日比谷から東京駅に向かう系統が挙げられる。また、護国寺~飯田橋~東京駅~洲崎(現東陽三丁目)という路線も持っていたのが面白い。戦前に多かった都心部を貫通する系統の元祖とも言える。現在の江東区側に車庫がなかったので、新宿が代わりに持っていたのだろう。昭和5年では[3](東京駅~茅場町・水天宮循環)や[22](有楽町駅~銀座~明石町)、[24](洲崎~東京駅)といった路線も担当していた。
ただし、これらの路線は昭和6~7年頃には組み替えられ別の車庫へと担当が移り、[7](新宿駅~日比谷~晴海通り方面)、[8](新宿駅~日比谷~東京駅~永代通り方面)の2系統をメインとするようになった(いずれも終点は時代により変遷)。また、[6](東大久保(現抜弁天)~飯田橋~東京駅)という皇居の北回りで都心に向かう系統も開通している。後に大久保に延長され、昭和11年には新宿駅発着に振り替えられており、新宿駅から都心に向かう第三のルートとなった。
昭和12年頃の住宅地図(火災保険特殊地図、都市製図社)による新宿車庫近辺を示す。左に並ぶ線が鉄道線で、下が現在の靖国通りに相当する。西武新宿駅近くの敷地は再開発されておらず、現在の西武新宿駅の駅ビル・道路も含めて車庫の敷地だったことが分かる。「東京遊覧案内自動車~」の文字が見えるが、戦前の観光バスを担当していたユーランバスの車庫も兼ねていたのだろうか。
これ以外の系統としては、新宿駅近辺の短距離系統として、昭和6年に [54](新宿駅~神宮外苑)が開通した。運賃が通常系統より安い特区系統として運転されたが、昭和11年には明治通り上を走り抜ける [8](青山6~渋谷駅~早稲田)となって渋谷・大塚に移管された。そのため、昭和17年1月の時点では、[9](新宿駅~明石町~永代橋~門前仲町)、[10](新宿駅~東京駅~浜町中ノ橋)、[11](新宿駅~河田町~市ヶ谷駅~雷門~三ノ輪)の3系統のみを所管していた。
ここで出てくるのが、戦中の陸上調整交通事業法による市内交通一元化である。戦時体制ということで、各社が乱立して運行していた山手線(西側)より都心寄りの区域については市バスが一元的に運行することになった。このとき、主なライバル会社であったのは東京地下鉄道(青バス)で、特に青梅街道方面から新宿を貫通して都心方面へと向かう系統は幹線であり、市電・市バスと競合していたが、市バスに組み込まれることになり、新宿の近隣では堀ノ内・新宿営業所が市バスに委譲された。堀ノ内営業所は現在の杉並支所の母体となった。青バスの新宿営業所は市バスの新宿営業所のすぐ近くにあったようで、統合時は淀橋営業所と名乗ったが、並んで2つの営業所があるというのも不経済であるためか、昭和17年3月には統合され(新)新宿営業所となった。青バスの新宿営業所は角筈一丁目767番地となっていたが、前ページの住宅地図を見ても分かるように、この図では2つの会社の車庫が並んでいるようにも見えず、実態はどうだったのかが気になるところだ。
これと同時に路線再編も行われ、堀ノ内・荻窪・中野天神という青梅街道から都心方面は堀ノ内が、東中野駅・新宿駅から都心方面は新宿・淀橋が担当した。また、改編前の[11]の番号だけ変更した[19](新宿駅~雷門)も受け持ったが、担当路線は多かったとは言えない。さらに、戦時中の物資不足で市電と並行する部分はバスを縮小する方針となり、昭和18年6月の改正で、郊外の青梅街道からの路線は新宿駅・新宿三丁目止まりに分断されて堀ノ内が担当し、新宿駅から都心へは[11](新宿駅~勝鬨橋西詰)の1系統に集約された。これ以外では、[12](新宿駅~河田町~牛込北町~高田馬場駅)や、 [37](浜町~明石町)等は新宿が担当していた可能性があるが、どこまでが新宿の担当分だったのかは不明だ。さらに、昭和19年10月には新宿通りの系統は全廃されてしまう。

▲東京都制地図(日本統制地図、昭18)
代わりに、昭和19年5月には工場の通勤需要として[36](月島~晴海通り~東京駅~永代通り~月島)が開通しており、担当系統が少なかった新宿が持っていた可能性がある。開通時には洲崎営業所が受け持っていた可能性もあるが、少なくとも、東京大空襲後は洲崎(現深川)営業所が機能しなくなっており、昭和20年4月の縮小再編で月島三丁目~晴海通り~東京駅となってからは新宿が担当していたのは確実である。これが終戦時の新宿担当の唯一の路線であった。車庫周辺には営業路線が全くなかったことになる。
終戦後、昭和21年3月の改編では、新宿通りを通る[3](新宿駅~東京駅乗車口)という系統が開通するが、都電と並行しており、輸送力不足の中で5ヶ月後の8月には廃止され、出入庫専用系統となってしまった。代わりに[24](東京駅乗車口~水天宮)が開通し、日本橋・水天宮エリアと東京駅を結ぶ路線として機能した。当時、他の営業所が民営との長距離相互乗り入れ路線など路線網を延ばす中で、[18](東京駅乗車口~月島三丁目)と[24]という東京駅周辺の2系統だけを持つ独特な存在であった。

▲新宿区詳細図(日本地図、昭和22)

▲国土変遷アーカイブ(米軍撮影、昭22)
新宿駅を通る路線が復活するのは昭和23年10月のことで、京王との相互乗り入れで[111](下高井戸~新橋駅→[橋78])が、昭和24年12月に小田急・京王との3社局で[119](武蔵境駅南口~東京駅乗車口)、昭和25年には京王と[126](永福町~渋谷駅~新橋駅)が開通し、相互乗り入れ系統を相次いで所管した。昭和20年代後半になると、都営単独の一般系統の開設も急速に進む。昭和27年に[38](東京駅乗車口~月島十二丁目(現勝どき五丁目)→[東16(旧)])、[40](新宿駅西口~東京駅八重洲口→[東72])、[49](新宿駅西口~浅草寿町→[草79])を、さらに昭和29年には国際自動車が運行していた官庁循環バスを[62](東京駅南口~四谷駅循環)、[63](狸穴(現麻布台)~茅場町)として引き取り、新宿営業所が運行することになった。
急速に路線網が拡張する中、敷地は手狭であった。戦前は先ほどの地図の通り、敷地の両脇に車庫がある形だっただろうが、昭和20年代前半の図では既に西武新宿線の予定地に沿って道路用地になっており、車庫の敷地は戦前の東半分しかないことが分かる(下図)。

▲火災保険特殊地図 新宿区(都市製図社、昭24)

▲火災保険特殊地図 新宿区(都市製図社、昭29)
昭和27年に西武新宿線が高田馬場から西武新宿まで開通し、当初の計画ではいずれ新宿駅東口の本設駅まで延伸する予定だったこともあるのだろう、昭和28年、現在の山手通りと水道道路の交差点の角地に移転することとなった。戦前の地図では現在の新宿車庫・NTT東日本の本社と合わせた敷地が井伊邸となっており、戦後も広大な緑に覆われた敷地であった。

▲goo地図(国土地理院、昭38)
車庫の出入口は山手通りに面して設けられ、事務所や車庫の建物は水路、後の水道道路に面していた。水道道路は明治31年に作られた玉川上水新水路(淀橋浄水場~和泉給水所)が導水管の導入で昭和12年に廃止され、戦中戦後で道路に転用された道路で、移転の時期は全線で転用工事が進む頃である。移転後の跡地は前ページの比較図にも示したが、民間に払い下げとなったのか、かつての敷地の跡地に道路を通し、細かな建物が建っていっている様子が分かる。
移転後の昭和30年代は、所管する路線・区間は変化がほとんどなかった。昭和35年に[74](新宿駅西口~東京女子医大→[宿74])が開通するが、当初は小滝橋の担当であったため新宿が担当していなかった。
大きく路線網が動き始めるのは昭和40年代である。相互乗り入れ路線など長距離路線の定時性の低下、地下鉄網の拡充による乗客減、そして深川営業所開設の影響といった点が挙げられる。
相互乗り入れ系統については、[126]が昭和44年3月に、[119]が昭和45年3月に廃止され、[111]も昭和46年10月に乗り入れを解消して新橋駅~新宿車庫に短縮され、共同運行系統は全廃された。また、東京駅周辺の所管系統は昭和43年の深川営業所の開設により移管された。[24]は新宿担当で残ったが、昭和45年3月に廃止されている。代わりに前述の[74]の移管を受けるとともに、昭和45年3月に都電代替系統である[513](新宿駅西口~岩本町→[秋76])を担当し始めた。[513]は本数が多く、代替に際しても多くの車輌を必要としたためだろう。
この結果、新系統番号となった昭和47年の時点では、相互乗り入れ系統由来の[橋78]、生え抜きのローカル系統[東72][草79]、そして新たに受け持った[宿74][秋76]の5系統のみであった。
しかし、昭和50年代に入ると交通局の経営再建がクローズアップされ、不採算路線や並行路線の集約廃止が行われるようになる。昭和52年に[東72]が、昭和54年に[草79]が、そして昭和57年には[橋78]も廃止されてしまう。昭和57年から[田70](新宿駅西口~港区スポーツセンター)を目黒と共管することとなったが、それもあわせて僅か3系統だけを運行する営業所となった。
転機となったのは、昭和61年に誕生した赤坂アークヒルズと四谷駅を結ぶ[四80]である。PRにも努めた結果、アークヒルズが地下鉄でのアクセスが当初不便だったこともあってヒット路線となった。平成3年には都庁が新宿に移転し、全車超低床バス・リフト車のみで運行するシャトルバスこと[C・H01](新宿駅西口~都庁循環)が開通する。
 しかし、平成9年に南北線の四ッ谷~溜池山王開業に伴い路線が重複する[四80]は土休日運休に追い込まれ、平成12年12月の大江戸線全通時には、[秋76][田70][四80]と所管路線の大部分が廃止されてしまった。このときに渋谷営業所の支所に格下げされた。大江戸線全通の影響を最も大きく受けた営業所と言えよう。代わりに[四97]が路線変更された[品97](品川車庫~新宿駅西口)の大部分を品川から移管されたものの、所管は[宿74][C・H01]とあわせ3系統のみであった。
その後、平成14年2月には [宿75](新宿駅西口~東京女子医大~三宅坂)が開通、平成15年4月には、杉並のはとバス委託時に[渋66](渋谷駅~阿佐ヶ谷駅)を受け入れた。さらに平成16年4月には[都01](渋谷駅~新橋駅)にも数運用ながら共管で参入した。
[都01]の参入は今から思うと不思議な出来事だったが、どのような構想があったのだろうか。もっとも、昔のような広い敷地は必要なくなったということか、首都高中央環状線の建設に伴い、支所の敷地はセットバックし、換気塔も作られたことで敷地が縮小した。同時に入口や営業所の建物も作り直されており、現在の営業所の建物は昔と比べると簡素なものになっている。
しかし、平成17年3月には[品97]が杉並に移管、さらに18年3月には[渋66]も杉並に移管され、新宿支所は分駐所に格下げされてしまう。受け持ち系統は[宿74][宿75]と[C・H01]、[都01]の一部運用だけとなった。
そして、平成21年4月、新宿分駐所は運行をはとバスに委託することになる。このとき[C・H01][都01]から撤退、新たに[渋88](渋谷駅~神谷町駅~新橋駅)、[早81](早大正門~渋谷駅東口)を受け入れた。営業所から最も近い[C・H01]を放出したのは不思議だが、都庁の路線は直営で維持するということだろうか。車輛数だけみれば、所管系統を杉並等近隣の車庫に分散させて閉所してしまうことも可能と思われるが、車庫として維持しているのは、新宿駅にほど近い利便性ゆえだろうか。
これにより、現在の所管は4系統となっている。昔から持っている路線は[宿74]のみとなってしまった。これとて生え抜きとは言い難いが。はとバスに委託したことで路線の変化も一段落したと思うが、今後車庫がどうなって行くのかは気になるところだ。

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