都営バス資料館

亀29

[亀29]←[錦29]←[29]←[16][17]

担当営業所

江戸川営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
なぎさニュータウン~葛西駅通り~西葛西駅~境川~西大島駅~亀戸駅 10.52km
西葛西駅~境川~西大島駅~亀戸駅 6.34km
出入 なぎさニュータウン→葛西駅通り 平土のみ

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
11 終戦時 江東 4.250km 境川~新田が存在
17 S21. 3.16 江東 6.348km 亀戸駅~境川~新田に延長、17系統とする
17 S21 江東 7.348km 錦糸町駅~新田に変更延長
16 S22. 7.16 江東 10.560km 錦糸町駅~新田~浦安を開設
16, 17 S22.12.30 江東 *** 台風被害により錦糸町駅~浦安、錦糸町駅~新田を休止
29 S24. 8. 8 江東 10.562km 錦糸町駅~亀戸駅通り~境川~葛西橋~新田~雷~浦安橋東詰が開通
29 S26. 7.24 江東 11.262km 境川~葛西橋を袖ヶ浦経由とする
29 S26. 8.10 江東 11.613km 浦安橋東詰~浦安学校を延長
29 S26. 9. 1 江東 10.913km 袖ヶ浦経由を廃止
29甲 S36. 9. 5 江東 13.995km 浦安学校~雷~宇喜田~安楽寺~(小松川橋経由)~錦糸町駅に変更
29乙  S36. 9. 5 江東 14.885km 浦安学校~雷~宇喜田~棒茅場~(小松川橋経由)~錦糸町駅を開設
29 S37. 6. 1 江戸川 ***  江戸川営業所に移管
29 S38.11. 1 江戸川 11.760km 浦安学校~雷~宇喜田~(新葛西橋経由)~境川~錦糸町駅に変更
29折 S38.11. 1 江戸川 *** 浦安橋東詰~錦糸町駅、新田~錦糸町駅を開設
29 S44. 4.14 江戸川 12.055km (旧)浦安終点~浦安橋東詰を延長
29折 S45. 8.13 江戸川 ***  浦安橋東詰~錦糸町駅を廃止
29 S45. 8.16 江戸川 12.315km (新)浦安終点~(旧)浦安終点を延長
錦29 S47.11.12 江戸川 *** 新系統番号化、[錦29]とする
錦29折 S48. 9. 1 江戸川 8.495km 新田終点(現・新田)~新田を延長
錦29  S50. 8. 1 葛西 12.315km 葛西に移管
亀29 S51. 6.20 葛西 11.245km 浦安終点~亀戸駅に変更短縮、[亀29]とする
亀29折 S51. 6.20 葛西 7.645km 同上、新田終点~亀戸駅に変更短縮
亀29乙  S51. 9.25 葛西 8.925km 堀江町(現・堀江団地)~新田~亀戸駅に変更延長、[亀29乙]とする
亀29甲  S53.11. 1 葛西 11.155km 葛西駅~浦安橋~雷~亀戸駅に変更短縮
亀29甲 S55. 6. 2 葛西 11.750km 西葛西駅経由に変更
亀29乙 S55. 6. 2 葛西 10.520km 同上、なぎさニュータウン~堀江団地を延長
亀29甲  S59.11.13 葛西 11.680km 葛西駅ターミナルの開設による一部経路変更
亀29甲  H 2. 3.31 葛西 ***  葛西駅~亀戸駅を廃止、[亀29乙]を本系統とする
亀29 H17. 4. 1 江戸川 10.510km 江戸川営業所に改称
亀29 H18. 4. 1 江戸川 10.520km キロ程の修正

路線概要

atozv_532 葛西地区から総武線亀戸駅までを結ぶ。江戸川管内でも比較的長距離路線の部類に入り、亀戸駅~西葛西駅を結ぶと同時に、南葛西地区の住宅街から西葛西駅、総武線エリアまでを直結する役割を負う。多くが亀戸駅~西葛西駅で折り返し運転を行っており、西葛西駅以南は本数が少なくなっている。
なぎさニュータウンを出発したバスは新田まで[西葛20甲]と同じ経路を進んでいく。西葛西駅までは[西葛20甲]でも[亀29]でも所要時間にはあまり差ないため、来たバスに乗る傾向があるが、西葛西駅での改札口への近さは[西葛20甲]の方が近いため、続けてきた場合は選んで乗る傾向があるようだ。
新田停留所を過ぎると、堀江橋北交差点で[西葛20甲]は左折するのに対し[亀29]は直進していく。
自転車専用レーンも整備され、街路樹が立ち並ぶ道を進んでいく。このあたりはマンションがさほど多くなく、むしろ小規模なアパートの方が多い。道なりに進んでいくと自転車専用レーンが一端途切れるが再び自転車レーンが現れる。葛西駅まで距離があるため自転車で駅まで利用する人が多いことが想像に難くない。現に葛西駅前には自転車地下駐輪場が整備されており、利用者も多いと聞く。車窓にマンションが増えてくると程なく清砂通りとの交差点。バスはここから清砂通りへと曲がるとすぐに葛西駅通り停留所。ここは葛西駅までは数百メートル離れており、葛西駅入口ではないためにこのような停留所名になったのであろうか。
片側3車線の清砂大橋通りをバスは進んでいく。今でこそ清砂大橋開通により永代通りへと繋がったために車の往来も多いが、清砂大橋開通以前はそれこそあまり車の往来が少ない長閑な道であった。そして東西線の駅から近いということもあり、マンションの建設が進み現在では道の両脇はマンションが建ち並ぶ光景になっている。清砂通りを西葛西六丁目第三交差点まで進み右折すると程なく西葛西駅。ここからバスは東西線の高架をくぐり更に直進し「虹のみち」と名付けられた道を進み、突き当たりを左折して新田仲町通りを宇喜田交差点へ向かい、葛西橋通りへと曲がっていく。
さて、亀戸駅行きのバスは葛西橋で一気に中川・荒川を渡る。葛西橋を渡る区間は冬場が非常に厄介で、雪や雨が降った後に一挙に気温が冷え込んでアプローチ部分の路面が凍結してしまうと、乗用車も路線バスも坂を上り下りするのに一苦労。時には大渋滞でダイヤが乱れることもある。
葛西橋を渡り、東砂側のアプローチ路を下り葛西橋西詰交差点を右折するが、この交差点も一癖あり、右折専用信号が取り付けられているが、実は7時から20時までは路線バスとスクールバス以外は右折禁止。それ故にこの右折信号はほとんどバス専用であるが、時折その信号に釣られ、バスにくっついて右折しようとする車もちらほら……。
ここを右折する清洲橋通りへの細い道を進んで東砂六丁目を過ぎると左折して旧葛西橋となる。
ここからは清洲橋通りを西へ進んでいく。マンションや住宅が建ち並ぶ中、見えてくる緑地帯が仙台堀川公園である。この地区は江東ゼロメートル地帯と呼ばれ、台風や大潮時になると波が護岸壁を越えて仙台堀川へ逆流し一体を洪水にしてしまうことがあった。このような事態を回避すべく、仙台堀川を埋立て親水公園として整備を行ったものである。
橋があった名残として、清洲橋通りの路面が前後より僅かに高くなっている。亀高橋交差点を過ぎ左手に寿司チェーンが見えてくると境川となる。この敷地は都営バス葛西営業所の操車場であった(車庫の章を参照)。境川交差点を右折してバスは明治通りを北上、[都07]を筆頭に多くの都営バスが頻繁に行き交うのをつい眼が追いかけてしまうのはマニアの性だろうか。
次の北砂二丁目は「おかず横丁」砂町銀座の入口、その次の北砂三丁目はアリオ北砂の最寄りと新旧の商業地への乗客も乗せながらさらに北上。進開橋で小名木川を渡り西大島駅を過ぎると、亀戸駅前はもうすぐである。

歴史

 葛西地区(江戸川区南部)から都心方面への主要交通手段として戦中以来長い歴史を持つ系統である。
 葛西地域のバスについては、昭和初期には上今井砂町乗合がその名の通り砂町~葛西橋~三角~今井方面へのバスを運行していたが、葛西村の中心部へは城東電軌のバス部門が昭和10年頃に開業したのが初となったようだ。
atozv_540 ▲大東京乗合自動車網図(報知新聞社、昭7)
 葛西橋を渡って新川沿いに進む線が見える
また、砂町地域には錦糸町から現在の明治通り上に電車を運行しており、境川~葛西橋は軌道を引く予定線として連絡バスが昭和初期には運行していた。これらが陸上交通事業調整法により東京市の運行となり、昭和17年1月から[57](洲崎~境川~宇喜田~浦安国民学校)として運行を開始した。 (旧)葛西橋~小島~宇喜田~新田(現・葛西駅通り)~雷を一直線に結ぶ道は当時の葛西村のメインストリートであった。
 しかし、戦争による物資不足の中、昭和18年6月には[33](境川~浦安橋)に短縮された。一方で同年11月には浦安橋を渡り浦安町(浦安橋東詰付近)まで延伸されたものの、東京大空襲後の昭和20年4月には運休した都電に代わり錦糸町駅~境川~新田の運行となり、6月の改編では境川以西を他系統に譲って再び境川~新田に短縮された。とはいえ、終戦時に都営バスとして生き残った12系統のうちの1つであり、かなりの需要があったのだろう。
 終戦後は昭和21年3月の改編で[17]亀戸駅~新田に延伸された。境川~葛西橋の都電は昭和19年5月に開通しており、戦災休止を経て昭和21年前半に復旧していたため、現・江東区内はバスと都電がほぼ並行するようになった。
 昭和22年前半までには錦糸町駅に路線を延長した。当時の他系統の新設時の申請資料によれば、錦糸町駅~新田は所要30分、100~120回と頻発運転だったが、当時のバスの輸送力は現代と大きく異なることは注意する必要がある。
 昭和22年7月には[16](錦糸町駅~葛西橋~浦安)も開業したが、[17]と重複しており系統番号を分けた意味は不明である。当時の朝日新聞(昭和22年7月19日付)は「20日から都バス錦糸町駅-新田間の系統が浦安まで延長される」とあり、実際の運行開始はやや遅れて、実質的には[16]の延伸だったのかもしれない。
 しかし、同年9月のカスリーン台風で東京の下町は堤防決壊で広く水没、(旧)葛西橋は流された船に破壊され、大きな被害をもたらした。浦安までの復旧から2ヶ月で運行休止となってしまった。
 12月30日付の新聞記事では「[16]錦糸町駅~浦安、[17]錦糸町駅~新田を休止」となっていることから、そのまま復興の見込みなく全線休止になってしまったのかもしれないが、江戸川区内については同日付で[22](新小岩駅~浦安橋~新田)が延長された。[新小22]の項も参照のこと。江東区内の残った区間は都電並行で優先度が低かったのだろう。昭和23年7月現在の路線図や事業概要では[16]錦糸町駅~葛西橋として掲載されているが、実際にどの程度運行されていたのかは疑わしい。
atozv_541 ▲東京都バス案内図(昭和27年7月)
 元に戻るのは昭和24年8月のことである。このとき改めて系統番号が設定され[29](錦糸町駅~境川~雷~浦安)となった。
 当初は停留所の数も絞られていたが、停留所の数も年を経るごとに増えていき、昭和30年には戦前と同レベルの間隔に戻った。
 しかし、別の問題が出てきた。葛西橋の問題である。(旧)葛西橋は現・東砂六丁目~小島の間に架かっていたが、修復後も老朽化が進み、大型バスが通るのは危険な部分もあったようだ。時代によっては葛西橋の両側で折り返し運転を行ったり、昭和30年代に入ると京葉道路・船堀街道経由で迂回したりすることが多くなり、昭和36年9月には経路が完全に船堀街道経由に固定された。船堀~宇喜田の間は[29甲](船堀街道直進)と[29乙](棒茅場経由)の2系統が設定され、おおむね2:1の割合で運行された。後者は小島バス停付近の救済を考慮したのだろう。昭和38年の路線一覧では、[29折](錦糸町駅~葛西橋西詰)が存在しており、40~45回程度の運転となっている。都電と完全並行だが、一応従来のバス利用者に配慮していたのだろうか。
 昭和35年の乗客数統計では、錦糸町駅から宇喜田までは154.5往復で、宇喜田で1/3が折り返して新田まで101往復、雷まで96.5往復、浦安まで71往復と段落ちする本数になっていた。今の姿からは、雷のどこで折り返ししていたのか想像もつかない。なお、当初は江東の所管であったが昭和37年6月には(旧)江戸川に移管された。
atozv_542 ▲新旧葛西橋関連図(goo地図)
 2年後の昭和38年11月に新葛西橋が架橋され、[29]は再び葛西橋経由に戻った。このときに船堀街道には[22丙](新小岩駅~小島~宇喜田~浦安)が開通している([新小21]の項も参照)。
昭和44年3月29日、営団東西線の東陽町~西船橋間が開業する。本書でも繰り返し出てくるように、東西線開業がこの地域にもたらした影響の大きさは、計り知れないものがあった。葛西、浦安の両駅の開業により[29]にも大きな影響があったことは疑いないが、西葛西駅は影も形もなく、また東西線南側から葛西駅に直接通じる車道もなかったためか、路線の形は変化がなかった。なお、昭和45年に操車所移転により浦安終点まで路線が延長されている。
 昭和48年9月には新田から新田終点(現・新田)まで伸びる枝線が誕生する。[亀29]なぎさニュータウン系統の祖先ともいえる、詳しくは[西葛20]の項も参照のこと。昭和51年9月には堀江町(現・堀江団地)に、昭和55年9月には[葛西20]に若干遅れてなぎさニュータウンまで延伸された。
路線は東西線開業時には変化がなかったのに対し、昭和50年代になってから路線の両端で大きな変化が生じた。まず、都心方で昭和51年6月に亀戸駅発着に短縮となった。都電代替バスの[草28]が開通したことによる重複区間の調整・効率化のためだろう。系統番号も[錦29]から[亀29]に変わる。
 そして、昭和53年11月には浦安から撤退した。昭和53年に浦安橋が架け替えられた際、取り付け道路が立派になったために旧江戸川沿いの道から直接浦安橋上に出ることができなくなったのを機に、昭和53年11月に浦安橋下を左折して葛西駅を発着するように改められた。
 さらに、昭和54年10月の西葛西駅開業により[亀29]沿線の多くが駅徒歩圏に組み込まれる。駅開業から遅れて8ヶ月後、宇喜田~葛西駅通りが経路変更され、東宇喜田・葛西一丁目の各停留所は廃止、西葛西五丁目・西葛西駅・中葛西六丁目・中葛西五丁目の各停留所に停まるようになった。
 このとき、雷方面となぎさニュータウン方面の本数が逆転、雷経由葛西駅発着は40往復程度となった。
さらに昭和61年9月に都営新宿線の船堀~篠崎が開業すると、[葛西22](葛西駅~長島新道~浦安橋~今井・葛西工高循環)が葛西駅~雷~浦安橋~今井~一之江駅に改組されると、乗客の落ち込んでいた[亀29]の雷経由はさらに減便することになり、昭和62年では僅かに平日12往復、休日8往復と減らされた。雷に2系統
が走ったのはこの時期だけであり、両方向に葛西駅ゆきが走っているという面白い状態でもあった。同時に亀戸駅~西葛西駅の折り返しが終日設定されるようになった。西葛西駅以東の乗客減が目立っていたということだろう。
 結局、平成2年3月に[亀29]の葛西駅発着は全廃となり、なぎさニュータウン系統のみが残る結果となり、長島新道・長島橋の停留所は廃止された。これ以後は路線の変化はない。ダイヤ自体が10年以上改正されなかった。平成12年以降、重複区間の多かった[草28]→[両28]の衰退を補う面もあってか亀戸駅~西葛西駅の間は本数が微増し、終バスも22時台に繰り下がっている一方、西葛西駅~なぎさニュータウンは本数が削減気味なのが少々気になるところだが、[西葛20]が近くを走っており、仕方のないところだろうか。
 所管は、昭和50年に(旧)江戸川から葛西に移管されて以降、一貫して葛西であり、平成16年からは直営江戸川の所管となっている。
[草28]との関係
 昭和47年に都電代替で開業した[草28](神田駅・亀戸駅~葛西橋・葛西車庫)は、出入庫も含めれば[亀29]とは亀戸駅~宇喜田で並行する。[亀29]の入庫を[草28]亀戸駅~葛西車庫として運転することや[草28]から[亀29]に渡る運用もあった。
 [草28]が平成12年12月に短縮されて[両28]となった後も、[亀29]の最終亀戸駅行きは折り返し[両28]葛西車庫行きとなっていたが、平成16年4月から[両28]が臨海に移管されたことに伴い、運用も完全に分離された。[亀29]西葛西駅ゆきの最終が繰り下がっった。始発時間帯に運行されていた[亀29]宇喜田→亀戸駅もも全て西葛西駅発に改められている。

宇喜田2題

 江戸川管内では、運用の終わりは一旦車庫に引っこむ場合がほとんどだが、数少ない例外が宇喜田での[亀29]の交代である。車庫から自転車で乗務員がやってきて交代する姿は、都営バスでは珍しい。
また、かつては[亀29]が宇喜田先の行船公園交差点から右折して西葛西駅方面へと向かう際には、交差点を一旦左に向けて少し進んでから、改めて大きく右を向いて直進するという方法が採られていた。これは、この交差点がバスを除き右折禁止の扱いで、普通に右折待ちをすると葛西橋通りの交通を阻害するうえに、宇喜田の停留所が交差点のすぐ手前にあり、そこを出て交差点の右側レーンにつけるのはかなり苦しいからである。
 しかし、平成15年より警察の指導があったため、直接右折するように変更された。標識に従えば確かにその通りなのだが、今までの合理的な方法に比べるとどうしても苦しい気もする。現在もこの交差点は「路線バスを除く」右折不可となっており、たまにバスの後ろについて右折しようとする車が警察から注意されているシーンも見られる。

葛西駅通り

 入庫は西葛西駅・なぎさニュータウンから回送となるが、僅かになぎさニュータウン→葛西駅通りという営業運行が存在する。葛西駅通りからは葛西中央通りで車庫まで回送となるようだが、昔の名残だろうか。西葛西駅まで運転しても良さそうなものだが。
 かつてはなぎさニュータウンで運用終了となる便は原則葛西駅通りまで営業運転しており、逆方向は中葛西五丁目から出庫を営業していたようだが、時刻表には掲載されていなかった。現在は時刻表に明記された最終片道2本を除き全て回送となっている。
 もっとも、[亀29]の最終が早いこともあり、葛西駅通りの最終が出た後もなぎさニュータウンからは[西葛20]で西葛西駅に、[葛西21]で葛西駅に出られる。そのため、この運行に乗る人はまずいない。

toeibus.com
都営バスの"非公式"総合ファンサイト。

※趣味的な事柄に関する現場(営業所等)への問い合わせは
 業務の大きな迷惑になりますので、お止め下さい。
Return Top