車庫の概要
明治通り・不忍通りといった山手線内の内側を環状に走る道路を中心に路線を持っている。特に渋谷・新宿・池袋という3大繁華街を串刺しにする[池86]は代表的な路線であり、利用率も高い。3系統しか所管していないが、いずれも重要な系統である。
所管系統
系統・枝番 | 起点、経由地、終点 | 備考 | キロ程(往/復) | 平日 | 土曜 | 休日 | |||
→ | ← | → | ← | → | ← | ||||
池86折返-4 | 池袋駅東口~高田馬場2~新宿伊勢丹 | 4.910km | 1 | 1 | |||||
池86出入-2 | 早稲田→新宿伊勢丹→渋谷駅東口→新宿伊勢丹→池袋駅東口 | 16.574km | 3 | 2 | 1 | ||||
池86折返-3 | 池袋駅東口→新宿伊勢丹→渋谷駅東口→新宿伊勢丹→池袋駅東口 | 17.694km | 23 | 18 | 16 | ||||
池86 | 池袋サンシャインシティ→新宿伊勢丹→渋谷駅東口→新宿伊勢丹→池袋サンシャィンシティ | 20.174km | 16 | 16 | 11 | ||||
池86折返-1 | 池袋サンシャインシティ→新宿伊勢丹→渋谷駅東口→新宿伊勢丹→池袋駅東口 | 18.934km | 13 | 11 | 15 | ||||
池86折返-2 | 池袋駅東口→新宿伊勢丹→渋谷駅東口→新宿伊勢丹→池袋サンシャィンシティ | 18.934km | 11 | 15 | 14 | ||||
池86出入-1 | 早稲田~高田馬場2~池袋駅東口 | 3.860/4.320km | 11 | 9 | 11 | 5 | 10 | 4 | |
池86出入-3 | 池袋駅東口→新宿伊勢丹→渋谷駅東口→新宿伊勢丹→早稲田 | 17.034km | 1 | 1 | 1 | ||||
上58 | 早稲田~江戸川橋~護国寺~動坂下~根津駅~上野松坂屋 | 8.645/8.755km | 97 | 100 | 90 | 91 | 83 | 84 | |
早77-1 | 早稲田~東新宿駅(←新宿伊勢丹、歌舞伎町→)新宿駅西口 | 4.530/5.108km | 50 | 51 | 38 | 38 | 36 | 7 | |
早77-2 | 早稲田←東新宿駅←歌舞伎町←新宿駅西口 | 4.887km | 29 | ||||||
池86臨時 | 早稲田→江戸川橋→池袋駅東口(臨時) | 3.858km | ** | ** | ** | ** | ** | ** |
|
早77臨時 | 早稲田→(急行)→新宿駅西口(臨時) | 4.390km | ** | ** | ** | ** | ** | ** |
現在
基本データ
住所 | 〒169-0051 新宿区西早稲田1-9-23 |
開設期間 | |
交通機関 | バス:早稲田・リーガロイヤルホテル(上58・飯64・上69・早77) 鉄道: [都電]早稲田 |
基本配置 | 旧基本車種:三菱、旧合成音声機:レシップ、旧次停留所機:クラリオン |
沿革
年月日 | できごと |
S43. 3.31 | トロリーバス廃止により戸山無軌条自動車営業所廃止、渋谷自動車営業所戸山支所が開所 |
S43. 9.29 | 都電廃止により早稲田電車営業所廃止 |
S46.12. 1 | 戸山支所を移転格上げ、早稲田自動車営業所とする |
歴代所管一覧
年月日 | 所管開始時の区間 | 所管開始 | 所管終了 | 備考 |
602→池86 | 池袋駅東口~渋谷駅東口 | S43. 3.31 | 運転中 | |
604 | 池袋駅東口~浅草雷門 | S43. 3.31 | S46. 3.16 | →移管(滝野川) |
2[2] | 新宿駅西口~早稲田 | S43. 9.27 | S46. 3.16 | →移管(小滝橋) |
520→上58 | 早稲田~須田町 | S46. 3.18 | 運転中 | |
539→上69 | 早稲田~上野公園 | S47. 3. 1 | S49. 9.21 | →移管(小滝橋) |
早77 | 新宿駅西口~早稲田 | S49. 9.22 | 運転中 | |
深夜09 | 新宿駅西口~池袋駅東口 | H 1.12.15 | H 7.12.29 | 廃止 |
市電が飯田橋・江戸川橋方面から早稲田まで伸びた大正7年に開設された車庫で、現在の新目白通り沿いに作られた。終点の早稲田から一つ都心寄りに早稲田車庫の電停があり、道路の両方向に出入できる軌道があった。昭和5年には王子電軌が大塚方面から早稲田まで延伸され、昭和17年に一元的に東京市での運行となった。なお、昭和24年には高田馬場駅まで都電が延伸されるにあたり、旧王電の早稲田と都電早稲田の間が接続されている。
長らく15, 39の2系統所管したが、昭和43年9月に系統廃止に伴い営業所ごと廃止された。通りに面した現在の事務所位置に営業所の建物が、その奥に線路が並行に並び、一番奥に横移動できるトラバーサーが備えられている小規模な営業所だった。他の車庫では廃止の翌日から折返所や車庫として使った場所もあるが、都電のメインの終点が高田馬場駅だったこともあり、廃止直後の活用は特にされなかった。元からの早稲田発着のバスは車庫脇に折返所があったこと(折返所の章を参照)や、代替路線の都合上小滝橋を活用したほうが効率が良かったためだろう。
都電のように線路を必要としない新たな交通機関として、都電網の外周となる明治通り上を中心にトロリーバスの計画が進み、昭和30年6月には明治通り上に戸山無軌条電車営業所が開設され(無軌条電車=トロリーバス)、池袋駅~千駄ヶ谷四丁目が開通した。この地一帯は戦前は陸軍の各種施設があったが、戦後は公共施設や集合住宅に転用されていき、その中の通り沿いの一部の敷地を使っての開設だった。戦前は近衛騎兵連隊の敷地だったと思われるところだ。
明治通り沿い、現在の都立障害者センター停留所(新宿方面)付近の南北2箇所に出入口があり、手前に営業所の建物が、奥に大きな屋根つきの車庫が設けられた。しかし、バスよりも柔軟性に劣るとあって昭和43年3月には路線が全廃され、廃止の翌日から代替バスの車庫として引き続き運行にあたった。こちらは架線を無視すればそのまま使い回せるためだろう。受け持ち系統数の少なさゆえか、支所格でのスタートとなり、渋谷営業所の配下になった。
戸山は目の前を走ったトロリー代替[602](池袋駅東口~渋谷駅東口→[池86])のほか、昭和町(北の巻参照)が持っていた[604](池袋駅東口~浅草雷門→[草64])を受け持った。さらに9月には[2](新宿駅西口~早稲田→[早77])も持って3系統体制となるが、都電・トロリーバス廃止後の車庫再配置の中で早稲田の跡地を都営バスの車庫として活用することになり、昭和46年3月にバスの早稲田営業所がオープンした。都営バスとしての戸山支所は僅か3年で幕を閉じた。戸山は廃止後解体され、北側は都営西大久保四丁目アパートと戸山高校の敷地に、南側は都立障害者センターの建物に分割され、当時を偲ばせるものは残っていない。
新しい早稲田営業所は、東京の住宅不足に合わせて都営住宅が併設された(昭和44年完成)。敷地東側にメインとなる1号棟が14階建458戸、西側に2号棟が9階建63戸と当時の近隣ではかなりの偉容を誇った建物で、1階は両方ともバスを格納できるようになっているほか、1号棟の地上部分は営業所の建物が同居した。1階の営業所の入り口には都電の名残である敷石が敷かれた。
同時に神明町営業所が所管した都電20系統(コラム参照)が廃止となり、神明町は閉鎖となったためこの代替バスを受け入れ、[2]は小滝橋へ、[604]は昭和町(滝野川)にそれぞれ移管した。昭和47年3月には[539](早稲田~上野公園→[上69])を小滝橋から移管したが、昭和49年9月には新系統番号となっていた[早77]と[上69]を交換した。終点が早稲田なら早稲田が持つほうが自然なのと、[上69]を移管に際して早稲田から小滝橋車庫まで延長させることで利便性向上も図ったのだろう。
これ以来40年間、所管系統に変化がないという珍しい営業所である。3系統と全営業所中所管数が最少でありながら、どの系統も本数が多いということもあって長らく70~80輛規模を維持していた。平成元年には明治通り上に深夜バスも開業したが、乗客が定着しなかったこともあってか残念ながら平成7年末で廃止された。詳しくは[池86]の項を参照のこと。
明治通りは伊勢丹を中心に渋滞が多発していたが、それでも地下鉄では不便な地域ということもあって乗客の数は多く、[池86]を中心に乗客数や収支は上位をキープしていた。
この状況が変わったのが近年の地下鉄開通で、平成12年12月の大江戸線東新宿駅開業、そして平成20年6月の副都心線開業である。前者は[早77]を中心に影響を受け、後者は[池86][早77]とほぼ全線で並行とあって、今までの例であれば廃止もありえた。ただ、バスの定着率が高いことや副都心線の駅の深さと利便性、そしてバスと地下鉄の果たす役割は別ということか、一部末端区間の廃止と本数半減に留まり、3系統の構成は変わらなかった。所属車輛数で言えば大江戸線改
編前の68輛から副都心線開業直後の41輛と4割減の規模になったが、[池86]を減らし過ぎたのか翌年度は本数が増え、今なお使える系統であり続けている。
昭和57年度のバスロケーションシステム初導入の対象となるなど、渋滞が多く先進的な試みも実施されている(バスロケについてはコラム参照)。営業所の外観も開設当初からほとんど変わっていないが、近い将来には都営アパートの建て替えも視野に入ってくる。その時は果たしてどうなるのか、興味深いところだ。