都営バス資料館

草43

[草43]←[13][201]

担当営業所

千住営業所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
草43 足立区役所~千住車庫~三ノ輪駅~竜泉~浅草雷門 8.410/7.980km 26 25
草43折返-1 千住車庫~三ノ輪駅~竜泉~浅草雷門 7.010/6.580km 2 3
草43折返-2 千住車庫→三ノ輪駅 4.330km 1 1 1
王49出入 千住車庫~足立区役所 1.400km 該当系統を参照

草43折返-3 足立区役所~千住車庫~三ノ輪駅~竜泉~浅草寿町 7.930km 3 4 2 2
草43折返-4 千住車庫~三ノ輪駅~竜泉~浅草寿町 6.530km 33 32 35 35


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
13 終戦時 千住?  *** 千住車庫~三ノ輪橋が存在
13 S21. 3.15 千住? *** 三ノ輪橋~浅草寿町を延長
13 S22. 4.21 千住? *** 千住車庫~三ノ輪橋~(昭和通り)~上野駅に変更延長
13 S22年度 千住? *** 千住車庫~上野駅~押上に延長
13 S22.12. 1 千住? *** 千住車庫~千束~浅草寿町に変更短縮
201 S23.12.26 千住? *** 新橋駅~浅草寿町が開通、日曜祝日年末年始のみ運転
13 S24. 8. 1 千住 13.084km 201系統と統合、千住車庫~浅草寿町~浅草橋~日本橋~新橋駅とする
草43  S47.11.12 千住 *** 新系統番号化、草43とする
草43  S48. 3. 1 千住 8.784km 浅草橋~新橋駅を短縮
草43  S55.12. 1 千住 9.084/ 9.305km 浅草橋の終点折返を、東神田まで延長してループ状にする
草43  H 2. 3.31 千住 6.932/ 6.655km 千住車庫~浅草雷門に変更短縮
草43  H15. 1.14 千住 7.010/ 6.580km 浅草雷門の乗り場変更によりキロ程を変更
草43 H16. 1. 5 千住 8.410/ 7.980km 足立区役所~浅草雷門に変更延長(平日のみ)
草43 H27. 3.30 千住 土休日は千住車庫・足立区役所~浅草寿町に短縮

路線概要


 足立区役所と浅草雷門を日光街道・国際通り経由で南北に結ぶ。ほぼ大通りのみを走る系統である。土曜・休日ダイヤは浅草側の終点が浅草寿町に変更になるほか、北側もほとんどの便が千住車庫発着になる。浅草六区への競馬需要などが根強いのか、平日・土曜・休日の順に本数が多くなっている。
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[草43]は浅草雷門からほど近い6番乗り場から出発する。観光客で賑わう雷門交差点を左折し雷門通りを数百メートル走り、雷門一丁目交差点を右折して国際通りへと進み、浅草一丁目に停車する。次は浅草公園六区。この2つの停留所だが、浅草のJRAの場外馬券売場(WINS浅草)が近く、土日の利用客が非常に多い。最終レース終了後の時間帯には立客が出るほどである。なお、土曜休日ダイヤは浅草寿町始発となり、[草41]と同様に雷門は通らないので要注意。
千束停留所を過ぎ、程なく右手には酉の市の起源と言われる浅草鷲神社が見えてくる。毎年11月の酉の市開催日は非常に賑やかになる。
進行方向前方に歩道橋が見えてくると、国際通りから国道4号線日光街道へ進む。曲がってすぐの所に三
ノ輪駅前停留所。ここは日比谷線三ノ輪駅の最寄りとなるほか、明治通りの大関横丁の停留所にも近い。そして国道4号線と明治通りが交わる大関横丁交差点を過ぎ、常磐線のガードを抜けると三ノ輪橋である。都電荒川線(東京さくらトラム)の乗り換えはこちらから。
三ノ輪橋を過ぎると頭上には長い陸橋が出てくるが、混雑緩和のために千住大橋からここまでショートカットできる道路となっており、上り線のみ整備されている。
すぐに隅田川を千住大橋で渡る。橋が並列に2本架かっているが、千住車庫方面が「大橋」の銘板もシンプルな昭和2年架橋の旧橋、浅草方面が交通量増加とともに昭和48年に増設された新橋となる。
橋を渡りきると京成線の高架とクロスし、右側に中央卸売市場足立市場が見えてくる。千住の魚河岸とも呼ばれ、江戸時代から続く由緒ある市場。平成29年現在、東京都で唯一の水産物専門の中央卸売市場である。
京成線のガードを抜けたところに京成中組停留所。千住大橋駅の最寄りである。近年になって千住大橋駅にもロータリーが整備されたが、[草43]はそのまま日光街道を直進する。
北千住駅に最も近い停留所である千住二丁目を過ぎ、千住新橋で荒川を渡ると千住車庫に到着。平日はさらに国道を北上し足立区役所まで運行する便が大半となっている。

路線の歴史

 千住から浅草方面は、都電(市電)が三ノ輪から上野や合羽橋方面に向かう線のみで浅草中心街には向かわないため、バス路線が早期から整備された。市バスの営業開始初期は千住からは市電並行で上野方面に向かう系統のみだったが、昭和5年には三ノ輪から国際通り経由で結ぶ[16](千住新橋~三ノ輪~雷門)が開通している。昭和9年度には雷門~亀戸駅の系統と合体して駒形橋・蔵前橋通り経由で亀戸駅まで延伸。当時は千住新橋北詰付近が終点だったが、昭和10年9月に千住営業所開設により車庫まで延伸された。昭和11年には大島車庫まで南進し、12kmの長い路線となる。
 昭和17年の陸上交通調整による統合でもそのままの形で残った。昭和18年6月の改編ではさらに荒川近くの大島七丁目まで延伸されるが、11月に再び短縮。昭和19年5月の分割・再編で、千住車庫~三ノ輪は上野方面の系統に集約され、浅草側は田端駅~大関横丁~浅草寿町となり、一旦千住~浅草の設定は消えた。その後、東京大空襲を経て昭和20年4月に千住車庫~三ノ輪車庫のみ生き残り、これが祖先となった。
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 終戦後の昭和21年3月の改編ではさっそく浅草寿町まで延伸された。まだほとんどの区間が休止している中での復活に、需要の高さが伺える。昭和22年に入ると、一瞬昭和通り経由で上野駅発着になったり、そこから浅草経由で押上まで延伸されたりしたが、短期間で元に戻った。三ノ輪から上野方面は[106](草加~東京)の開業もあり、そちらに一本化したのだろう。
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 昭和23年末からは、年末年始や休日に限り臨時系統で[201](新橋駅~浅草寿町)の運転が始まる。都電22系統(新橋~南千住)都完全に並行する設定だったが、都電の補完もあったのだろうか。これと[13]が昭和24年8月に統合して毎日運転となり、千住車庫~浅草雷門~新橋駅と13kmを越える路線となった。都電には千住から銀座方面まで直通する系統がなく、経由地の差もあって棲み分けしていたのかもしれない。
 昭和30年の乗降調査では、僅かに千住車庫~浅草折り返しの設定があるもののほぼ全線通しで約80往復走っていた。千束~浅草公園六区が最も混雑していたが、都心寄りの各停留所での乗降も目立ち、銀座付近まで平均混雑度は30%をキープしており効率の良い路線だった。これが昭和40年の調査になると、乗客が減っている。本数はほぼ同じだったが、渋滞による速度低下や、地下鉄浅草線・日比谷線開通の影響だろう。通過人員で見ると浅草以北は2/3に、浅草以南は半数以下まで減っている。
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 昭和48年3月には浅草橋以南を切り捨てた。それに先立つ昭和47年11月に系統番号がターミナルの漢字+数字2桁となっているが、[13]は[草43]となっている。普通なら [橋43]となるところだが、短縮が既定路線だったのだろう。
 当初は浅草橋止まりで、東神田・馬喰町は回送で折り返していたが、昭和55年から回送区間も含めて東神田まで営業するようになった。現在の[東42甲]の折返と同じ扱いである。車によっては方向幕には「浅草橋・東神田」と同じ大きさで書かれるようになった。
 日光街道の渋滞で距離の割に所要時間がかかることも多く、その後も乗客は少しずつ流出していく。昭和54年度に4,414人/日だった乗客数は昭和62年度には3,319人/日にまで減り、営業係数は下位の常連だった。昭和55年度は支出の半分以下の収入しかない215を記録している。値上げや減便で幾分改善したものの、平成初期まで常に150より悪い数値だった。
 年間赤字額が1億円を超えていたこともあり、平成2年3月の改編で見直し対象となり、全便浅草雷門発着に短縮された。既に休日の日中は半数が浅草止まりとなっており、浅草以南はガラガラだったこともあり、致し方なかったのだろう。本数は平日61往復を維持し
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たが、平成2年度は3,306人/日だった乗客数が3年度は2,531人/日に減り、営業係数は159と相変わらずだった。赤字の絶対額を減らす効果はあったが、この後も赤字削減のために所要時間のかかる平日を中心に減便が続き、平日<土曜<休日という本数構成が極端になっていく。
 平成5年、7年、11年などの改正で平日を中心に削減され、平成11年1月の改正では平日は30分空くのも珍しくなくなったのに対し、土休は時間4本を維持していた。
 なお、利用客は高齢者が中心ということか、平成2年の都市型超低床車の導入では最初の運用路線の一つとして選ばれ、ノンステップ車も最初期から運用に入っていた。
 その後、平成16年1月には足立区の公共交通政策で足立区役所に路線を集めることになり、平日のみ千住車庫~足立区役所がほぼ全便延伸となった。このときに同じ組数で運用をこなすためか、平日は36往復から5往復削減されて31往復に減らされた。当初は土休日は全て千住車庫発着だったが、平成17年3月改正から僅かに土休日も足立区役所まで足を伸ばすようになっている。
 その後も残念ながら本数減少は止まっていない。平日は平成19年春の改正で30往復を割って下げ止まったものの、今度は土曜・休日が平成20年・29年春の改正で削られており、特に土曜の減少が目立つ。混雑する[北47]に車を回す目的もあるようだ。
 平成27年春の改編で、土休日ダイヤは全便浅草寿町~千住車庫・足立区役所に変更され、雷門一丁目・浅草雷門には寄らなくなった。雷門まで行くとタイムロスが大きいことや、WINS最寄りの公園六区や浅草一丁目で多くの客が降りることもあるのだろう。
 平成27年度の乗客数は2,139人/日と、数で見ると本数ほどには減っておらず、営業係数は129と改善している。[草41]と同じく減便で赤字を減らしていると言えるだろう。これ以上減ると日常的に使うにはつらい本数だ。

三ノ輪駅止まり

 早朝に1本だけ設定されている千住車庫→三ノ輪駅止まり。実はこれ、[草41]の送り込み用である。三ノ輪駅到着後は鶯谷駅まで回送し、[草41]の足立梅田町方面の始発便に化ける。このため、かつては必ず中型車での運転となっていた。
[草43]とは別枠の扱いなのか、時刻表にはあまり記載がなかったが、平成15年1月改正からは[草43]本線の欄に合わせて正式に記載されるようになった。昭和50年代は6回、平成15年では3回設定されていたが、[草41]の本数減とともに平成20年春改正で2回、平成21年春改正で各日とも1回のみとなっている。回送するよりは、早朝の足の確保ということでサービス運転しているのだろう。
 かつては日光街道の大幅なダイヤ乱れ時にも運転されることがあったようだが、近年ではまず見られない。平成初期頃の方向幕までは「三ノ輪」とだけ表示されていたが、三ノ輪橋でも三ノ輪駅でも対応可能なようにしていたのだろうか。

「浅  草」と浅草ループ

 [草43]の浅草方面の表示は平成6年頃まで、「草43 浅  草」というシンプルな表示だった。小型幕時代を引き継いだのかは不明だが、他の系統が全て浅草雷門または浅草寿町と表示しているのに比べると、かなりアバウトな表示だった。その後は「浅草雷門前」に改められ、現在は「浅草雷門」と変わっているが、浅草地区の細かい変化と関わっている。
 浅草周辺で反時計回りのループを描いて折り返すという経路そのものは東神田撤退時から変わっていないのだが、浅草雷門の停留所はけっこう変化している。当初、浅草雷門の降車と乗車は完全に分かれており、降車は雷門からかなり駒形橋寄り、乗車は浅草橋
時代と同じく雷門から西に進んだ松喜付近にあった。
 微妙に離れていたので要望があったのか、降車停留所から営業するようになり、もとの降車停留所を「浅草雷門前」、乗車停留所を「浅草雷門」として区別した。平成2~3年の写真では「浅草雷門前」に停まる[草43]の姿が映っている。平成7年頃に幕も「草43 浅草雷門前」に変えられた。
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 平成15年1月の変更で、それまで[草63][草64](池袋駅東口~浅草、巣鴨の巻参照)が停まらなくなる浅草寿町の乗り場を「雷門一丁目」と改称して[草43]が停まるようになった。同時に、浅草雷門前・浅草雷門を統合し、新たに雷門の前に停留所を設置して(新)「浅草雷門」となり、方向幕も「草43 浅 草 雷 門」に改められた。
 このまま続くかと思ったが、平成27年春の改編で土休日は全便浅草寿町発着に短縮され、雷門には寄らなくなった。雷門付近の交通規制時にはループ部分を省略して千住車庫→浅草寿町、(浅草寿町→回送→)浅草一丁目→千住車庫という運行になっていたが、規制時はほとんど土休ダイヤのこともあり、本線がそもそも往復とも寿町発着になったことで、影響を受けなくなっている。

京成中組

 日光街道上、京成の千住大橋駅近くにあるバス停。戦前は付近に千住中(仲)組・進開橋の2つのバス停があったが、戦中の整理で昭和19年頃に統合、千住中組を名乗った。戦後は少なくとも昭和22年の時点で京成中組を名乗っており、千住大橋駅前に変えてもよさそうなところ、現在まで変わっていない。
 千住中組の名は、戦後改めて墨堤通りの千住スポーツ公園付近に設けられた停留所の名として使われたが、平成8年の[王45](王子駅~足立区役所:当時、北の巻参照)の経路変更とともに停まらなくなった。
 似たような名前を持つ停留所として、江戸川区の葛西駅南側にある仲町西組などがある。古くから集落の最小単位として使われた名で、この場合は現在の千住新橋から千住大橋南側にかけて広がった千住宿を北組・中組・南組に分かれていた。中組は北千住駅の南側から千住大橋までのエリアだったようだが、京成線の千住大橋駅(昭和6年開業)ができたことで、ピンポイントに土地を区別する名として使われたのだろう。江戸と昭和の合体地名のような趣である。昔の名残を伝える名として残ってほしいものだ。

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