都営バス資料館

×東83

[東83]←[139]

担当営業所

渋谷営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
桜新町~上馬~三軒茶屋~渋谷駅~南青山5~六本木~溜池~霞ヶ関~東京駅南口 14.221km 平土朝夕のみ
桜新町~上馬~三軒茶屋~(首都高)~霞ヶ関~東京駅南口 13.998km 平土朝夕のみ
出入 桜新町~上馬~三軒茶屋~渋谷駅 平土朝夕のみ

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
139甲 S42.12.25 渋谷 14.281km 桜新町~渋谷駅~東京駅南口が開通、朝の下りと夕方の上りのみ運転
139乙 S42.12.25 渋谷 13.998km 桜新町~(首都高速)~東京駅南口が開通、朝の上りと夕方の下りのみ運転
139乙 S46.12.21 渋谷 13.998km 渋谷ランプの移動により、首都高速の通行区間を上通4(道玄坂上)~霞ヶ関間から大坂上~霞ヶ関間に拡大
東83 S47.11.12 渋谷 *** 新番号化、東83とする
東83  S54.11.23 渋谷 *** 桜新町~東京駅南口を廃止

路線概要

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 渋谷駅と桜新町を結ぶ。首都高速を経由するのが最大の特徴で、平日の朝夕ラッシュ時(土曜は朝昼)のみ運転していた通勤特化系統であった。朝ラッシュ時は東京駅行きが首都高経由で帰りが一般道経由、夕ラッシュ時はその逆という運行形態だった。東急との共同運行路線である。
 他の系統と異なり、一大需要地帯である新橋や虎ノ門は通らず、ここでもバイパス経由のような雰囲気となっている。東京駅は丸ノ内南口からの発車となり、通産省前(現在の経済産業省前)までは現在の[東98](東京駅南口~等々力)と同じように運行していた。ただし、廃止まで都庁前は通過していたようで、東京駅南口を出ると次は馬場先門だった。
 通産省前で左折する[東98]と別れて直進し、官庁街の中の霞ケ関停留所に停まる。坂を上った大蔵省上交差点を左折、霞が関ランプから首都高に入り、六本木通りの真上を走り抜け、渋谷駅の上を過ぎて渋谷ランプまでショートカットしていた。
 一般道経由の場合はその真下をなぞるように進んだ。霞ヶ関の次は溜池に停車するが、この区間は停留所間隔がかなり開く。[東83]だけが通る区間だったので、停留所を設ける必要もないと判断されたのだろう。溜池から渋谷駅までは[橋89](→[都01])と同じように六本木通りを進み、六本木・西麻布・骨董通り・青山学院を経由して首都高下の渋谷駅停留所に停車し、玉川通りへと抜けていた。
 高速道経由と一般道経由が合流する停留所は大坂上からで、そこからは玉川通りを西へと進んでいった。三軒茶屋で[東84]と、駒沢で[東82]と枝分かれした後も玉川通りを進み、新町一丁目で旧玉電に沿って旧道に入る。間もなく桜新町駅の出入口が現れ、その先に桜新町の停留所があった。正式な終点はその一つ先の桜新町操車所だが、停留所自体は100m程度先の、現在の東急バス[都立01](都立大学駅~成城学園前駅)が停車する桜新町駅のバス停をそう呼んでいたようだ。

歴史

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▲交通局報 昭和43年号
 相互乗り入れ系統としては昭和42年12月開通と、既に都心直通の役目が終わりつつある時期の開通であった。首都高を走る通勤専用路線として開設されたのが非常に新しい部分である。
首都高速経由としては[113乙](東京駅南口~等々力→[東98])も昭和43年6月に開通しているが、[113乙]が既存の路線の途中区間を首都高経由に乗せ替えたのに対して、[139]は完全な新規路線であった
 と言っても、全便とも首都高を経由するわけではなく、朝の桜新町方向と夕方の東京駅方向は一般道路経由、朝の東京駅方向と夕方の桜新町方向は首都高速経由となっていた。ラッシュの逆方向であり速達需要はないと判断して高速料金を節約したのかもしれない。首都高速経由の場合、渋谷ランプを利用する都合上、渋谷駅に停まらないのも目新しい点である。なお、首都高区間を乗る場合、高速道路通行料金として、運賃に10円が加算された。

 それなりの乗客を集めたようで、昭和50年の大都市交通センサスでは1,330人/日と絶対数は少ないものの、首都高経由の混雑度は33%を越え、他の効率の非常に良い路線の30%台にまじって立派な成績を残している。しかし、首都高の渋滞の問題もあったようで、昭和52年4月の東急新玉川線(現・田園都市線)開業等の改編では廃止を免れたものの、昭和54年11月の改編で廃止され、10年余りで役目を終えた。
 東急グラフNo.147(昭和43年2月号)に、時刻と所要時間の案内が掲載されているので引用する。所要時間は、桜新町~三軒茶屋14分、三軒茶屋~上通四丁目(現道玄坂上)10分、上通四丁目~霞ヶ関7分、霞ヶ関~東京駅南口10分となっていた。
 
時 桜新町発 (平土) 時 東京駅南口発 (平日)
6 16 20 31 42 52
7 30 45 58 17 02 12 22 32 42 52
8 09 14 19 24 29 35 47 18 03 14 25 36 48
9 02 17 19 00
時 東京駅南口発 (土曜)
11
12 30 42 54
13 07 20 33 46
14 00

 桜新町~霞ヶ関が31分であり、現在の地下鉄と大して変わらない時間で行くことができたことが分かる。同時期の都営バスの昭和43年10月の乗降統計では、上りは桜新町→上通四丁目(現道玄坂上)27回、上通四丁目→渋谷駅20回、渋谷駅→霞ヶ関6回、上通四丁目→(首都高)→霞ヶ関7回、霞ヶ関→東京駅南口13回となっており、前述の運行時間帯や本数から考えても、渋谷駅→桜新町→(高速)→東京駅→(一般道)→桜新町→渋谷駅という1往復で終わりであったことを考えると、収支という面ではあまり効率がよいとは言えないだろう。昭和54年の廃止時でも都営は14回運行との記載があることから、ダイヤはほとんど変わらなかったようだ。東急は、ラッシュ時の集中運行に対応するためか、弦巻・駒沢・瀬田の3営業所共管体制となっていたが、都営は渋谷のみで担当していた。
 ちなみにこれらの首都高速経由の場合、都営には「高速道路経由」の円盤型のプレートが取り付けられ、注目を浴びた。一方、東急は系統番号札の上部に赤い縁取りがあり、「高速道経由」と表示させていた。方向幕によっては、東急バスは青字で「(高速)」「(一般)」と表示するものもあり、かなり珍しい表示を行っていた。

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