都営バス資料館

東42甲・東42乙

[東42甲][東42乙]←[522]←都電22

担当営業所

南千住営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
南千住車庫~今戸~東武浅草駅~浅草橋~日本橋~東京駅八重洲口 7.147km
甲-2 南千住駅西口~今戸~東武浅草駅~浅草橋~日本橋~東京駅八重洲口 7.331/7.486km
折1 南千住車庫~今戸~東武浅草駅~浅草橋~東神田 4.875/5.096km
折2 南千住駅西口~今戸~東武浅草駅~浅草橋~東神田 5.059/5.435km
南千住車庫(←清川1、橋場1→)東武浅草駅~浅草雷門 3.630/3.520km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
522 S46.3.18 新谷町 7.147km 都電22系統(南千住~通3)の代替で南千住~東京駅八重洲口が開通
東42 S47.11.12 新谷町 *** 新系統番号化、東42とする
東42 S50.12.21 南千住 *** 新谷町の南千住への移転改称により南千住へ移管
東42乙 S54.11.23 南千住 5.841km 草79(新宿車庫~浅草公園)の廃止により、代替で南千住~岩本町が開通
東42乙 S57.12.26 南千住 *** 南千住~岩本町を廃止
東42乙 S61.9.1 南千住 3.622/3.517km 台東区の要請により、南千住~橋場地区~浅草雷門が開通
東42乙 H3.6.24 南千住 6.633/6.118km 浅草雷門~秋葉原駅を延長
東42乙 H10.10.30 南千住 6.510/5.950km 秋葉原駅~鳥越1を台東1経由から三井記念病院経由に変更
東42乙 H17.8.24 南千住 6.890/6.180km 秋葉原駅ターミナルの完成により一部経路変更
東42甲 H23.3.28 南千住 *** 南千住駅西口~東京駅八重洲口・東神田を開設
東42乙 H25.4.1 南千住 3.630/3.520km 南千住車庫~浅草雷門に変更短縮

路線概要

atozk_183  南千住車庫・南千住駅西口~東神田・東京駅八重洲口を結ぶ[東42甲]と、隅田川沿いの地区を南千住車庫~浅草雷門の間で結ぶ[東42乙]がある。同じ数字であるがそれぞれ独立した系統となっている。
 [東42甲]は南千住と東京駅八重洲口を結ぶ路線だが、南千住側の起点は2カ所ある。1つは営業所出入口そばの南千住車庫前停留所、もう一つは駅前広場整備に伴い近年設置された南千住駅西口停留所である。
 南千住駅西口を発車したバスは、すぐに交差点を左折し、常磐線・隅田川貨物駅引き込み線をアンダーパスで通過し泪橋交差点に至る。
 南千住駅近くには小塚原の形場があった。今の明治通りに江戸時代は思川という川が流れており、そこに名も無い橋がかかっていたが。刑場で処刑される囚人たちと現世の別れに涙して渡ったことから「泪橋」と名付けられたという。40代以上の方なら「あしたのジョー」で有名だろう。
 そのまま吉野通りを南下する。このあたりは「山谷」。ドヤ街とも言われ簡易宿泊所が並ぶエリアだったが、最近では低価格で宿泊できることから外国人観光客の利用が増えているようだ。さしずめバックパッカーと福祉の町、というところか。
 浅草七丁目停留所の手前で吉野通りを横切るような公園が見えるが、この公園は山谷堀公園という。江戸時代に荒川の氾濫を防ぐために現在の三ノ輪から今戸まで作られた堀で、新吉原遊郭への水上アクセスとしても使われていたようだ。しかし戦後になり堀は埋め立てられ、現在では一部区間が公園として整備されている。
 隅田公園から先は橋場からの道路と合流し、江戸通りと名を変えて隅田川沿いに進む。東武線のガードをくぐると東武浅草駅前。南千住エリアから乗車してきた客の多くがここで入れ替わる。駒形橋停留所を過ぎ、右手にはどじょう鍋で有名な駒形どぜう本店。いつも絶え間なく人が並んでいる人気店だ。
 程なく蔵前駅前停留所。といっても都営大江戸線の蔵前駅前で、都営浅草線蔵前駅へは次の蔵前二丁目で降りるようにと車内放送で注意喚起が流れる。一応、都営浅草線と大江戸線の蔵前駅は連絡駅ではあるが徒歩3分ぐらい互いの駅は離れているため、地下連絡通路を建設する予定があったようだが、現状は地上経由の乗り換えだ。
 そして蔵前二丁目を過ぎた辺りから、小伝馬町付近まで実に様々な業種の問屋を車窓から見かける。蔵前付近は玩具や装飾用品、浅草橋周辺は人形やアクセサリー関連、そして神田川を超えて馬喰町エリアに入ると服飾関係の問屋が多く軒を連ねている。問屋と言えば店舗向けに販売し、一般への小売りは一切行わないというイメージもあるが、個人消費者向けに小売り販売を開始した問屋も現れるようになり、気軽に安く買い物できるスポットとして人気が高まっている。
 それらの問屋街の中心である浅草橋駅前を過ぎ、神田川に架かる浅草橋を渡った先にある浅草橋南交差点を曲がるが、行先によって交差点の進む道が分かれる。
 多くを占める東神田行きは直進し、浅草橋交差点を右折して靖国通りへと進む。江戸通り川の浅草橋交差点を過ぎると浅草橋停留所。平成12年まで運行していた[草28](神田駅~葛西橋)も停車していたが、現在は[東42甲]のみが停車する。そして東神田交差点を左折した[秋26](秋葉原駅~葛西駅)の東神田が終点である。そして回送車と
して数十メートル進み、都立一橋高校前にある[東42甲]の東神田で乗車扱いをして南千住へと向かう。
 一方の東京駅八重洲口行は、浅草橋南交差点を南西方向へと進んでいく。ここからは本数が少なくなる。服飾関係の問屋が左右に建ち並ぶが、浅草橋エリアの問屋街と異なり個人客向けに小売りする店舗はあまり多くないのも特徴である。馬喰町停留所を過ぎるとビジネス街へと町の景色は変わる。銀行の東京支店/営業部の看板を多く見かけるようになる。
 室町三丁目交差点を左折し中央通りへ。最近沿線で再開発が行われ、コレド室町やマンダリンオリエンタルホテルなど景色が一変したところも多い。変わらないのは右手に見える三井本館や日本橋三越くらいだろうか。
 首都高の下に隠れた日本橋を渡り、かつての白木屋・東急百貨店であったコレド日本橋の前の交差点を右折し永代通りに入る。呉服橋交差点を左折すると程なく終点の東京駅八重洲口に到着である。だが、もはや八重洲口ターミナルの主役はJR高速バスであり、入線待ちの高速バスの列を前に、なかなか降車場所に着けないこともある。特に夜行バスの出発時刻ともなると、複数台運行のバスで乗り場は逼迫し、都営バスの乗り場を借りてまで、客扱いを行う路線もあるので、その影響を受けることもしばしば。
 平成26年に東京駅八重洲口再開発工事に伴いバス乗り場も一新され、高速バス用バス乗車レーンが増加、都営バスのレーンも独立したため、一時期に比べたらマシになったのかもしれない。
 もう一つの[東42乙]も紹介しておこう。橋場地区の交通アクセス改善を目的として、台東区からの要請により運行開始した路線であり、路線の大半が道路事情(一方通行)により上下のルートが異なっている。
 南千住車庫を発車したバスは、泪橋交差点を左折して明治通りを走り、白鬚橋手前の白鬚橋西詰交差点を右折する。橋場二丁目アパート前を発車すると右手に赤い幟が見えてくるが、ここには天台宗砂尾山橋場寺不動院 橋場不動尊があり、浅草七福神の一つ布袋尊が奉られている。
 バスは隅田川沿いに橋場通りを南下する。この道路は一方通行路であるが、車の往来が意外と多く、時折高速バスの姿を見かける。それは首都高6号向島線が箱崎Jctを先頭に向島付近まで渋滞することが多いため、その渋滞回避路として堤通出口で首都高を流出し、この通りを走るためである。そして東京都人権プラザ前停留所を過ぎた辺りから、浅草へ観光客を運んできた貸切バスが路上で駐車している光景を目にするようになる。隅田公園が見えてくると、リバーサイドスポーツセンター前。隅田川をX字に架かる人道橋こと桜橋へはここが最寄りある。
 今では名前だけが残っている今戸橋で上下方向が合流し、言問橋西交差点から江戸通りへ。東武線のガード下を抜けると東武浅草駅前に到着し、吾妻橋交差点を右折してバスは浅草雷門に到着となる。
 一方の南千住方面は、雷門出発後、鋭角にターンして駒形橋西詰交差点を鋭角に曲がり江戸通りを北上し今戸橋で左側の道に入って一方通行路を北上する。石浜通りとも呼ばれる道で、バスの行先表示にも「橋場通り」「石浜通り」の文字が入る。
 沖田総司終焉の地として有名な今戸神社の前を過ぎ、バスは下町の住宅街を進んでいく。浅草雷門行と異なり、南千住車庫行は寺社が多いエリアを通り、祭りの季節ともなれば御神輿と併走する光景を見ることが出来る。清川清掃車庫という、バスの車庫でないのに車庫と名乗る面白いバス停を過ぎると南千住発
の経路に合流し、泪橋を右折して車庫で終点となる。 なお、平成25年春までは雷門から先、さらに秋葉原駅まで運転していたが、現在は短縮されており見ることはできない。経路は江戸通りを[東42甲]と同じ経路で南下し、蔵前一丁目交差点を右折して蔵前通りへ。鳥越神社の前を通り鳥越一丁目交差点を左折して三井記念病院前に寄り、昭和通りから秋葉原駅に至る経路だった。

歴史

 [東42甲]は都電22系統(南千住・雷門~新橋・通三丁目)の代替として昭和46年3月に開業し、それ以降は全く姿形が変わっていない。都電代替バスにはそういった系統がいくつか存在するが、それだけ都電時代からの路線の認知度や利用度が高いということだろう。
 南千住方面の都電の歴史は古く、東京市電気局として運行する前の明治41年4月に東京鉄道が雷門(吾妻橋西詰)~吉野橋が、明治42年4月に泪橋まで、そして明治43年7月に南千住まで全通した。大正時代初期は雷門~南千住を往復しているだけだったようだが、大正10年頃に南千住~本石町(現本町三丁目)~銀座四丁目~芝橋(現東京港口)まで延伸され、都心部まで足を伸ばすようになった。昭和に入るとこれに加え南千住~本石町~丸ノ内・市役所と東京駅の内側まで入り込む系統の2本立てになり、昭和10年代に入って南千住~芝橋に固定された。昭和19年5月の戦時中の改編で新橋発着に短縮され、東京大空襲後の昭和20年4月には一旦日本橋や浅草橋まで短縮運転されるも、同年6月には新橋まで延長され、かなり早い復旧を見せている。戦後もこの運転区間が基本となった。昭和10年代は24だった系統番号も戦後は22となった。
 その後、都電撤去とともに昭和42年からは銀座・新橋区間を切り捨てて通三丁目発着となった。代替バスは短縮後の姿で代替されたために東京駅八重洲口止まりとなっている。同じく通三丁目発着だった19系統(→[茶51])の代替とは異なり、日本橋から呉服橋経由で八重洲口というルートにしたのが面白い。このため、日本橋から東京駅八重洲口までは無停車となっている。個人的には元の姿を継ぎ、銀座まで行っても良かったと思うが……。
 なお、都電時代から浅草橋で輸送力が段落としされていたため、バスもおよそ半数が浅草橋止まりとなった。そのままでは折り返せないため、浅草橋の交差点を右折して靖国通りに入り、東神田を左折、馬喰町で本線と合流して浅草橋へと戻るように折り返している。当初は浅草橋発着の扱いだったが、いつしか本線から外れた東神田発着に改められた。
 都心側は並行する系統も廃止が進み、平成12年の大江戸線改編以降は日本橋を渡るのはこの系統と[S-1]のみとなった。浅草橋以南は平成11年1月の改正以来本数が大幅に減らされて1時間2本程度となっているが、数少ない東京駅乗り入れ系統として頑張ってほしいものである。ただ、沿線人口の減少か、待たずに乗れるほど多く走っていた浅草橋以北もじりじりと減便が進んでいるのが気がかりではある。
 平成23年3月には、長らく変わらなかった南千住側の終点が南千住駅西口発着となった。南千住駅の駅前整備に伴うもので、鉄道との乗り換えが多少楽になったと言える。といっても従来の南千住車庫発着も一定数残り、おおむね半々の割合となっている。車庫発着は出入庫のためかというとそうでもなく、南千住駅西口~南千住車庫を回送する運用もある。どちらかに統一したほうが便利ではあるのだが、この中途半端な分散具合が都営らしいと言えばらしい。
 [東42乙]は[東42甲]と同じ番号を名乗るが、特に系統の関連性があるわけではなく、運用も独立している。収支計上が[東42甲]と一括になるから、という理由くらいしかないであろう。
 最初の乙系統は、昭和54年に[草79](新宿車庫~浅草公園)が廃止されたときの、台東区部分の代替としてできた路線である。南千住車庫から[東42甲]と同じ経路をたどって蔵前まで行き、そこ から鳥越・台東・秋葉原駅を通って岩本町まで行く路線だった。そこからは都営新宿線に乗り換えてほしい、ということだったのかもしれないが、そのような形で定着するわけもなく、乗客数も少なく3年後の再編で廃止されてしまった。
 その後4年経ち、台東区の中でも交通の便が悪く、[135]以来のバス路線の復活を望む声の強い橋場・石浜地区のアクセス改善のため、台東区が補助金を出して昭和61年に運行を開始したのが2代目の[東42乙]である。それ以前の橋場地区のバスについては[135]の項も参照のこと。
 橋場地区は一方通行のため、往復で経路が異なるのも特徴的で、前面や側面の行き先表示には「橋場通り」など、停留所名でなく通りの名を表示したのが面白い。
この時は浅草雷門までの小規模な路線だったが、平成3年に、交通不便だった鳥越地区へのアクセスも考慮した結果、一部便を秋葉原まで延長すること になった。結局、かつての[東42乙]とかなり似た形で復活したことになる。浅草雷門は秋葉原方面の全便と浅草雷門発着の便が停車し、秋葉原駅発は江戸通りから外れるため通過となっていた。
 秋葉原駅の乗り場は昭和通り側で、電気街の表通りとは離れていて使いにくかったが、平成17年に秋葉原駅に新設された交通ターミナルに乗り入れた。
 しかし、この頃になると、台東区の交通関係の補助金は、台東区コミュニティバス「めぐりん」に移っていた。平成16年4月には上野駅→三井記念病院→浅草橋駅北→鳥越神社→かっぱ橋→上野駅と、区の南側を循環する「南めぐりん」が開通した。役割が重複することもあり、平成16年10月の改正で平日・土曜は朝夕のみ、休日は昼間の便のみと大幅に本数が削減された。
これ以降は本数がこれ以上減ることもなかったが、浅草以南の乗客はかなり少なくなっており、平成25年3月限りで廃止された。南めぐりんが台東区を少し飛び越えて秋葉原駅まで乗り入れてくれれば、さらに利便性が高まるのだが。結局最初に開業した区間だけが残ることとなり、こちらは今でも以前と変わらぬ本数で走っている。

東武浅草駅(浅草松屋)止まり

 かつて方向幕に用意されていた[東42甲]東武浅草駅(浅草松屋)止まりだが、定期運転はなく、ダイヤ乱れ時に活用されるのみとなっていた。一時期は行先設定自体がなかったが、東京マラソンの規制時の行き先として復活し、平成23年の改正で定期運用が朝1往復のみ誕生した。なお、[東42乙]は雷門通りが規制の時は原則東武浅草駅止まりとなり、見る機会も多い。

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