都営バス資料館

亀24

[亀24]←[28]→一部[草24]

担当営業所

江戸川営業所

運行区間・運行回数

系統・枝番 起点、経由地、終点           備考 キロ程(往/復) 平日 土曜 休日
亀24 葛西橋~東大島駅入口~西大島駅~亀戸駅 4.966km 67 69 61 63 57 58
亀24-3 東砂5→東大島駅入口→西大島駅→亀戸駅 4.616km 2 2 1
亀24折返 葛西橋→東大島駅(臨時) 2.165km ** ** ** ** ** **


現在

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要               
28 S24.4.15 江東 3.639km 錦糸町駅~大島七丁目(現・大島九丁目)が開通
28 S24.6.1 江東 4.359km 大島七丁目~船堀橋を延長
28 S25.1.15 江東 8.960km 浅草寿町~亀戸駅~船堀橋に変更延長
28 S27.7.5 江東 8.743km 片道を吾妻橋経由から駒形橋経由に変更
28 S42.2.1 江東 10.033/9.893km 新葛西橋(現・葛西橋)~亀戸駅~浅草寿町に変更延長。中川大橋~亀戸駅はラッシュ時のみ存続
28 S47.10.15 葛西 9.617/10.273km 葛西に移管
亀24 S47.11.12 葛西 *** 新系統番号化、[亀24]とする
亀24甲 S53.12.21 葛西 4.966km 新宿線の開通により分割、新葛西橋(現葛西橋)~亀戸駅を[亀24甲]とする
亀24乙 S53.12.21 葛西 8.362/8.338km 東大島駅~亀戸駅~浅草寿町を[亀24乙]とする
亀24乙 H11.12.1 葛西 8.722/8.498km 東大島駅のバスターミナル移設のため一部経路変更
草24 H14.5.30 葛西 *** 亀24乙を草24として独立
亀24 H16.4.1 江戸川 *** 江戸川営業所に改称
亀24 H27. 8.17 江戸川 葛西橋方面の終点を葛西橋から東砂六丁目に変更
亀24出入 H27. 8.17 江戸川 *** 江戸川車庫~葛西橋を休止
亀24 H31. 4. 1 江戸川 葛西橋方面の終点を東砂六丁目から葛西橋に変更

路線概要

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葛西橋から亀戸駅へと向かう路線で、主に旧城東区の東端の番所橋通り・新宿線真上の新大橋通り区間と亀戸駅を結ぶ。都営新宿線と並行する区間も長いが、本数もそれなりに確保され健闘している路線である。
かつては浅草寿町~東大島駅も[亀24]を名乗っていたが、現在は[草24]に系統番号が分離して所管も臨海と別々になっている。
葛西橋を出発すると番所橋通りを北上。東砂六丁目交差点付近は荒川の土手と番所橋通りの間に船宿が今も何軒か営業している。(旧)葛西橋がかかっていた時代、この葛西橋がハゼ釣りの名所としてで釣り人の間では知られており、船宿の利用は今も目立つようだ。荒川の河口付近という立地条件かつ都心に近いという最高の立地条件の船宿では無かろうか。
第七砂町小学校停留所を過ぎると、通りの荒川側には新築のマンションが建ち並ぶようになる。朝方となると通勤の足として[亀24]の利用客数も増えつつあるという。
小名木川を番所橋で渡る。番所の名は江戸時代の船番所に由来する。小名木川は徳川家康が行徳塩田からの塩を江戸に運ぶべく運河として整備した川で、江戸時代は航路として賑わったという。旧中川との合流地点近くに番所が存在し、[亀24]が通る道路の通称にもなっている。まもなく東大島駅だが、駅構内ロータリーに入らず、番所橋通り上に東大島駅入口停留所を設けている。都営新宿線に乗る客はここで降りず、急行停車駅である大島駅で乗り換えることが多いようだ。
都営新宿線の高架をくぐり、交差点を左折して新大橋通りへ。ここからは東大島駅発の[草24]が亀戸駅まで同じ経路をたどるが、元々は同じ路線であった。しかし現在では[亀24]は直営、[草24]は管理委託路線となってしまった。運命のいたずらというのだろうか。
さて、バスは新大橋通りを西へ。都営新宿線に沿うように走っていくがこの区間の乗降は意外と多い。
丸八通りと交差点付近にさしかかると大島駅だが、[亀24]のそれは交差点を通り過ぎ、UR都市機構大島六丁目団地前に位置しているた。そのため、同じ大島駅前でも[亀21]が停車する停留所とは300m近く離れているため乗り換える場合は要注意である。
大島駅を過ぎると沿道にはマンションだけでは無く、商店も建ち並ぶようになってくる。大島三丁目停留所の前にはスーパーマーケットのダイエーが建っているが、イオン傘下となりダイエーの名称も消滅することが決まった今では都営バスとダイエーという組み合わせが撮れる数少ない店舗でもある。
西大島駅まで来ると右折し明治通りを北上、総武線のガードをくぐると亀戸駅前である。

歴史

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▲昭和17年現在(配布路線図)
 亀戸駅から大島地区・江東区東部の番所橋通りを結ぶ系統である。原型は昭和15年12月に開業した[31]東京駅~(新大橋通り)~大島七丁目(現・大島九丁目)と考えられる。現在の西大島駅以東の新大橋通りにバスが走るのはこれが初めてであり、既に戦争体制に向けた燃料不足等が出てきた時期に開通するのはやや珍しい。昭和18年11月には(旧)船堀橋を渡る形で亀戸駅~城東区役所(現・西大島駅)~大島七丁目~船堀町が新設されてそちらに引き継がれ、東京大空襲後の、昭和20年4月にも亀戸駅~船堀橋~三角として生き残ったが、同年6月の改編で廃止された。
 戦後は昭和21年3月に[15](錦糸町駅~大島七丁目)として復活するも数か月で廃止されてしまう。改めて昭和24年4月に[28](錦糸町駅~大島七丁目)の開通により復旧、6月には船堀橋まで延伸され、ほぼ戦前のルートに近くなった。当時の船堀橋は現在の大島第五小学校から川方向に直進した先にあり、橋のたもとが終点となっていたようだ。当時は日本科学工業の小松川工場があり、そこへの通勤の足としても使われていたのだろうか(昭和49年に移転)。
 さらに、昭和25年1月にはターミナルを亀戸駅に変更するとともに浅草寿町~亀戸駅を延伸した。戦前は総武線の駅と浅草・上野方面を結ぶ系統は多くなく、蔵前橋通り・春日通りをジグザグに通りつつ戦前の休止免許を一定区間活かして新たな路線を設定したと言える。なお、当初は往復とも駒形橋・浅草雷門を経由して浅草寿町を終点としたが、昭和27年7月に浅草方面を吾妻橋経由に変更し、現在に至る横8の字ルートとなった(臨海の草24の項も参照)。
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▲昭和38年現在(goo地図)
 亀戸駅をスルーして総武線の南北を直通運転するというのは[28]の特徴であった。日本橋方面には[36](→[錦28])があり、繁華街である浅草への直通便を確保しようとしたのだろう。
 この形が10年ほど続いたが、昭和42年に船堀橋の終点を廃止し、番所橋通りを南下して新葛西橋(現・葛西橋)を終点とするようになった。延伸区間の沿線は戦後もバス路線に恵まれておらず、昭和36年に[26](秋葉原駅~(旧)葛西橋、臨海の[秋26]参照)が番所橋通り経由で北砂十丁目(現・東砂二丁目)まで延伸されたのが最初である。これを組み換え、番所橋通りの区間を[28]が継ぎ、[26]も新葛西橋終点とするようになった。手近な国電駅とつないだ方が利便性が高いということだろう。これで路線の形が完成した。
 なお、延伸後も中川大橋(船堀橋)~亀戸駅が朝ラッシュ時に運行された。現在の中川大橋西詰にこの枝系統専門の「中川大橋」停留所が設けられており、昭和44年のデータだと朝のみ2~3分おきで頻発していたようだが、昭和48年頃に廃止されたようである。
 停留所名は記録によって一定せず、番所橋通り上が「大島第五小学校」、折り返し専用が「中川大橋」だったようだが、昭和46年の配布路線図(右)だと、それぞれ「中川大橋」「船堀橋」になっている。大島第五小学校は昭和40年頃は「中川大橋西詰」で、改称が激しかったようだ。
 開業以来所管は江東営業所だったが、都電代替による受け持ちのバランスを考慮して昭和47年の葛西開設時に葛西に移管され、以後はずっと川向こうの営業所が持つようになった。
 昭和45年8月改正では新葛西橋~浅草が95往復、新葛西橋~亀戸駅が64往復、船堀橋~亀戸駅が16往復となっており、亀戸駅以南は頻発していたことが分かる。[亀21](亀戸駅~東陽町駅)もなかったことから、大島付近の乗客が全てこの系統に集中し、朝ラッシュ時は満員通過が恒常化していたほどであったという。
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▲昭和47年現在(配布路線図)
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▲昭和50年現在(配布路線図)
 そして、昭和53年11月の都営新宿線の岩本町~東大島の開業時に、[亀24甲](亀戸駅~葛西橋)、[亀24乙](浅草寿町~東大島駅)に2分割された。都心部で多くの系統が整理統合されていったこの時期に、地下鉄並行区間が廃止短縮されるわけでなく、分割といっても重複区間が大きい形で変更されたのは珍しい。大島地域から浅草方面への需要がそれだけ強かったということだろうか。[亀24乙]は新たに東大島駅に設けられたバスターミナルに乗り入れたが、[亀24甲]についてはそのままとされた。なおこのときに新葛西橋→葛西橋への改称も行われている。
 運行区間や車輌の運用は完全に2系統に分かれたものの、旅客向けの案内はどちらも[亀24]であり、停留所の時刻表も1枚に両系統が混ぜ書きされてあった。これ以降の[亀24乙]については臨海の[草24]を参照のこと。
 さて、分離して約5kmの路線となった[亀24甲]は、以来35年あまり全く姿を変えていない。都営新宿線との並行区間も長いが、亀戸およびJR駅への需要は強く経路の渋滞も少ないというメリットもあるのだろう。平成に入ってから減便が目立つ [亀24乙]→[草24]を後目に日中5本/時程度と利便性を確保している。なお、平成14年に分かりやすくするため系統番号が[24乙]が[草24]に改番、平成16年に[草24]は臨海に移管されはとバス委託路線となったが、[亀24]は直営のまま江戸川所管となっている。
 江東区議会の近年の要望では、東大島駅ターミナルへの乗り入れや、葛西橋から番所橋通りの延伸区間の整備とともに江東高齢者医療センター方面への延伸などがあったが、いずれも組数増につながることもあってか実現していない。今後もこの姿が続いていきそうだ。

各種出入庫と江東区花火大会

 [亀24]の出入庫として、江戸川車庫~葛西橋が運行されている。葛西橋から旧葛西橋を回り、葛西橋上に出て車庫まで直進する。どこの鉄道駅も通らず乗客は多くないが、昔からの伝統というべきか、原則全便営業運転となっている。葛西橋を下りたところの旧葛西橋への右折が「路線バスのみ右折可」となっている事情もあるようだ。系統番号は本線に合わせて[亀24]を名乗っている。
 葛西営業所時代は、[亀24乙]に加え[門21][錦28]用に東大島駅~旧葛西橋~葛西車庫が運行されていた。本数はあまり多くないものの、駅接続のため一定数は乗客がいたようである。また、東大島駅・葛西橋での休憩用に葛西橋~東大島駅の短距離運行もあった。現在は臨海に移管されたため、[両28](両国駅~葛西橋) の休憩用に後者が残るのみとなっている。
 しかし、現在の江戸川にも葛西橋→東大島駅の表示が残っている。毎年夏で葛西橋にて打ち上げられる江東花火大会の観客輸送用に運転される臨時便で、専用表示が葛西の方向幕時代以来ようやく復活となった。
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