都営バス資料館

港南支所・目黒営業所(廃)

車庫の概要

 品川駅の東側、港南運河沿いの東京港近くに位置する。東側には倉庫や発電所のある品川埠頭が立地するが、近隣は再開発や便の良さもあってマンションが激増しており、ちょうど住居地区と工業地区の境目にある。車庫に面して首都高が、また入口上にはモノレールが低空を走り、さらに車庫の奥には新幹線の大井への出入庫線や東海道貨物線の高架が走り、色々な交通機関が集まる面白い立地となっている。モノレールに乗っていると車庫の姿を上空から眺めることもできる。
 車庫の敷地には高層の都営港南四丁目第二アパートが建っている。アパートというよりはマンションといったほうがふさわしいたたずまいだ。
 車庫の開設は平成10年だが港南四丁目アパートが平成5年に完成したことからも分かる通り、当初はもっと前に車庫を開く予定だった。かつて目黒駅前にあった目黒車庫が平成初期の再開発で移転してくる予定だったようだが、予定は変更されて目黒と港南はしばらく併存していた。詳しくは後の「車庫の歴史」の項も参照のこと。
 100輌以上在籍していた目黒を移転する想定だけあって、それなりの広さの敷地が用意されているが、現在は紆余曲折の末はとバスに委託され、近隣の不採算と思しき系統の一部を所管しているので敷地をやや持て余している観がある。すぐ近隣に品川営業所があるが、品川とはエリア分けははっきりしておらず、担当エリアとしては城南から大井地区全体にかけての一部を所管している。経緯上所管が品川とシャッフルされているため、継続して持っている路線はほとんどなく、目黒時代から持っている路線としては[東98](東京駅南口~等々力)、[虹01](浜松町駅~東京ビッグサイト他)程度である。かつて目黒で持っていた目黒側の所管路線は廃止・移管され、品川や渋谷が所管している。

所管系統(H27.4現在)

系統番号   起点、経由地、終点 備考
都03 四谷駅~日比谷~銀座4~勝どき駅~晴海埠頭
日比谷→銀座4→勝どき駅→晴海埠頭
橋86 目黒駅~広尾橋~麻布十番駅~神谷町駅~御成門~新橋駅 平土朝夕のみ
目黒駅~広尾橋~麻布十番駅~神谷町駅~御成門~東京タワー
田92 品川駅港南口~高浜橋~藻塩橋~田町駅東口
出入 品川車庫→品川駅港南口→高浜橋→藻塩橋→田町駅東口 朝のみ
出入 品川駅港南口~港南四丁目
反94 五反田駅~明治学院~魚籃坂下~三ノ橋~赤羽橋駅 朝夕のみ
浜95 品川駅港南口~田町駅東口~浜松町駅~東京タワー◆
出入 品川車庫→品川駅港南口→田町駅東口~浜松町駅~東京タワー◆ 朝のみ
出入 品川駅港南口~港南四丁目
井96 大井町駅東口→青物横丁→天王洲アイル→南馬場→大井町駅東口
品97 品川駅高輪口~魚籃坂下~広尾橋~青山一丁目駅~新宿駅東口~新宿駅西口 平土のみ
品川駅高輪口~魚籃坂下~広尾橋~青山一丁目駅~歌舞伎町~新宿駅西口 休のみ
品川駅高輪口~魚籃坂下~広尾橋~青山一丁目駅 休夜のみ
出入 品川車庫→品川駅高輪口→広尾橋→青山一丁目駅→新宿駅東口→新宿駅西口 平早朝のみ
出入 品川車庫→北品川→品川駅高輪口→広尾橋→青山一丁目駅→新宿駅東口→新宿駅西口 平早朝のみ
井98 大井町駅東口~4号バース~(セントラルビル→)大井水産物埠頭 平土朝のみ
大井町駅東口~4号バース(←セントラルビル)~大井水産物埠頭 平土夕のみ
田99 品川駅港南口~浜路橋~芝浦埠頭~田町駅東口
出入 品川駅港南口~港南4(車庫)

基本データ

住所 港 南…港区港南四丁目7番1号
開設期間 港 南…平成10年4月1日~
交通機関 港 南…バス:港南四丁目(出入庫・品99) 鉄道:
基本配置 旧基本車種:日野自動車、旧合成音声機:クラリオン、旧次停留所機:レシップ

沿革

年月日 できごと
T13. 3.16 目黒派出所(初代)が開所
T14. 6.12 目黒出張所(初代)に改称
S 3. 1.27 目黒出張所(初代)が浜松町出張所に移転
S 5. 8.27 浜松町営業所に改称
S 9. 3.31 目黒営業所(2代)が開所
S20. 4. 1 戦災被害により浜松町営業所廃止
S20. 6.15 戦災被害により目黒営業所廃止(2代)、渋谷営業所に吸収(→渋谷の項参照)
S30. 4. 1 渋谷営業所目黒分車庫(3代)を開設
S30. 6. 1. 目黒営業所(3代)に格上げ
S42.12.10 都電目黒営業所を廃止、敷地全てがバスの車庫となる
H10. 4. 1 目黒営業所港南分駐所を開設
H12.12.12 大江戸線全通改編により、品川営業所目黒支所に格下げ、港南分駐所は品川営業所港南分駐所に
H15. 4. 1 目黒支所(3代)を品川営業所目黒分駐所に格下げ
H17. 3.28 目黒分駐所(3代)を閉鎖、港南分駐所を品川営業所港南支所に格上げ
H20. 4. 1 運行をはとバスに委託

歴代所管一覧

年月日 所管開始時の区間 所管開始 所管終了 備考
62 四谷駅~霞ヶ関・新富町循環 S30. 4. 1 S41. 6.30 廃止
101 東京駅南口~桜新町 S30. 4. 1 S46. 8.31 →7に改番
113→東98 東京駅南口~自由が丘 S30. 4. 1 H17. 3.27 →移管(品川)
129→宿97 新宿駅東口~世田谷野沢 S31. 2. 1 S52.12.15 廃止
70→田70 田町駅~新宿駅西口 S32. 3. 1 H 4. 3.31 →移管(新宿)
71→橋86 目黒駅~東京駅北口 S32. 7.15 H17. 3.27 →移管(品川)
503 目黒駅~品川駅~飯田橋 S42.12.10 S44.10.25 →移管(品川)
504→橋99 五反田駅~赤羽橋~新橋駅 S42.12.10 S54.11.22 廃止
505→黒10 目黒駅~永代橋 S42.12.10 H12.12.11 廃止
534→橋85→都06 渋谷駅~新橋駅 S44.10.26 H15. 3.31 →撤退(渋谷)
7→東80 恵比寿駅~東京駅南口 S46. 9. 1 S52.12.15 廃止
黒77 目黒駅~千駄ヶ谷駅 S51. 3. 1 H17. 3.27 →移管(品川)
反96
五反田駅~一ノ橋循環 S57.12.26 H 2. 6.29 →反96
東15乙 東京駅八重洲口~住友ツインビル S63. 3.22 H 1頃 撤退、深川に移管
深夜06 渋谷駅~赤羽橋 H 1. 6.19 H14.10.11 廃止
反96
五反田駅~溜池~新橋駅 H 2. 6.30 H10. 4.16 →移管(品川)
反90甲 五反田駅~品川駅 H 4. 3. 1 H10. 4.16 →移管(品川)
反90乙 五反田駅~田町駅 H 4. 3. 1 H10. 3.30 →移管(品川)
虹01
田町駅東口~レインボーブリッジ H 5. 8.26 H 9. 2. 2 廃止
虹02
東京駅南口~レインボーブリッジ H 5. 8.28 H 7. 1.20 廃止
虹01
浜松町駅~国際展示場駅 H 9. 2. 3 H25. 3.31 廃止
速01(快速バス)
東京駅八重洲口~ホテル日航東京 H10. 3. 3 H12. 3.31 廃止
品99 品川駅東口~品川埠頭循環 H10. 4.17 H20. 3.31 →移管(品川)
田99 品川駅東口~港区スポーツセンター H10. 4.17 H14. 3.31 →移管(品川)
速01(快速バス)
東京駅南口~お台場循環 H12. 4. 1 H15. 3.31 廃止
虹02
品川駅東口~東京テレポート駅 H12. 4. 1 H13. 8 →撤退、移管(品川)
品93 目黒駅~大井競馬場 H17. 3.28 H20. 3.31 →撤退、移管(品川)
井96 大井町駅東口~天王洲アイル H17. 3.28 運転中
品98 品川駅東口~大田市場 H17. 3.28 H20. 3.31 →移管(品川)
田99 品川駅東口~田町駅東口 H17. 3.28 運転中
波01 東京テレポート駅~中央防波堤 H18. 4. 1 H20. 3.31 →撤退、移管(品川・深川)
反90 五反田駅~田町駅 H20. 4. 1 H27. 3.31 廃止
反94 五反田駅~明治学院~赤羽橋駅 H20. 4. 1 運転中
品97 品川駅~新宿駅西口 H20. 4. 1 運転中
井98 大井町駅東口~大井水産物埠頭 H20. 4. 1 運転中
東98 東京駅南口~等々力操車所 H20. 4. 1 H25. 3.31 廃止
橋86 目黒駅~新橋駅 H25. 4. 1 運転中
田92 品川駅港南口~田町駅東口 H26. 4. 1 運転中
浜95 品川駅港南口~東京タワー H26. 4. 1 運転中

車庫の歴史

 都営バスにおける目黒の車庫は3回開設されている。初代は大正13年の市バス創業期に開設されたもので、市電の営業所が目黒駅脇にあったところに間借りする形であった。関東大震災の復旧事業として急いで開設する必要があり、敷地に余裕があったのではないかと考えられる。
 しかし、この初代の目黒車庫は市バスで独自の営業所を開設する流れの中で移転することになり、昭和3年に目黒から浜松町に移転し、現在の世界貿易センタービル辺りにある浜松町営業所(開設当時は浜松町出張所)を開いた。
 そして、昭和初期の事業拡張計画により再度目黒にも営業所が置かれることになる。昭和9年に市電の目黒営業所の隣に市バスの目黒営業所が開設され、目黒駅発着の路線の輸送を引き受けることになった。市電の車庫は線路が敷かれているのが東側半分のみで、山手線寄りの西側は余っていたことや駅に隣接しており、出入庫のアクセスが容易だったことがあるのだろう。
 その後も浜松町営業所は第一京浜沿いから都心方面に向かう系統を、目黒営業所は目黒駅から都心方面に向かう系統をそれぞれ所管した。当時の浜松町営業所の敷地がどこまであったか判然としないが、当時の地図を見る限り、現在の貿易センタービルの敷地も含んで浜松町駅に隣接した広大な土地を車庫として使っていたようだ。
昭和17年の交通調整による山手線内の市営バスへの一元化では、浜松町の南側に東京乗合自動車由来の品川営業所が市バスの車庫として開設された。このときに路線の持ち替えと再編が行われたが、戦中の路線の縮小再編、さらに空襲による戦災でいずれの車庫も所管路線がなくなり、昭和20年に廃止を余儀なくされた。浜松町はしばらく車体置場として使われていたが、GHQに接収された後は車庫として蘇ることはなかった。現在は交通局大門庁舎や都営大江戸線大門駅のB4出口の敷地として使われている。
 目黒営業所はしばらくバスの車庫としては使われない日々が続いたが、戦後の急速な路線の拡張とともに昭和30年に三たび開設されることなった。目黒駅前という立地の良さや品川・渋谷だけでは手狭になってきたことが挙げられるだろう。営業所記号は「M」が与えられた。Meguroの頭文字説が妥当だろうが、戦後すぐに地理順に割り振ったA~Lはともかく、目黒以前に開設された滝野川(N)、東荒川(R)、洲崎(S)はいずれも語呂合わせ的な要素が見られることを考えると、当初からMを目黒のために残しておいたとも考えられる。
 目黒の開設時は、今なお残る東急との相互乗り入れ路線である[113](東京駅乗車口~等々力→[東98])しかなく、目黒駅を経由する路線がそもそも1系統しかなかった。他には、渋谷駅よりも南側を経由する相互乗り入れ路線[101](東京駅乗車口~駒沢→[東80])が渋谷から移管され、その他官庁循環線[62](四谷駅~新富町循環)の3系統を担当するのみであった。なお、それぞれの路線のデータについては系統別データ集を参照されたい。
その後は路線網拡充に伴い、[70](田町操車所~新宿駅西口→[田70])、[71](目黒駅~日本橋室町→[橋86])、[129](新宿駅東口~野沢龍雲寺→[宿97])といった系統の開通でバリエーションが増えたものの、本格的な路線黄金時代が訪れるのは、昭和40年代の都電代替系統を受け持つようになってからである。
昭和42年12月の都電第一次廃止に伴って、目黒では3系統(品川駅~飯田橋→[四92])・4系統(五反田駅~銀座二丁目→[橋99])・5系統(目黒駅~永代橋→[黒10])の代替バス[503][504] [505]を担当し、一気に車輛数が多くなった。また、この廃止で都電の目黒営業所は閉所となり、東側にあった都電の線路も撤去されて一気に車庫の用地が拡張された。都電の出入庫口として使われていた目黒通りに面する出入口もバスの出庫口として転用されている。車庫はかつての用地買収の都合だったのか、目黒通りに面していた敷地は角の営業所の建物と少し離れた出庫口の部分だけだったので、普通のビルの間にぽっかりと空いていた出庫口は風変りな風景であった。
また、この時代に一時期存在した分車庫として、田町分車庫を紹介しておこう。田町駅東口に隣接した現在の区立芝浦小学校の一帯はかつて交通局の敷地だったところで、ここまで都電の線路が引き込まれて資材倉庫等に使われていた。
▲東京都地図要覧 昭和35年度版(国際地学協会)
都電の廃止によりこれらの敷地も不要となったため、車輛数が増えた目黒の分車庫という役割で田町分車庫がその地に開かれた。都電代替の初代として入籍したN代(昭和42年度)車が中心に在籍し、[503][504]のほか、近隣を発着する[70]の操車・運用に使われていた。そのため、当時はこれらの系統は同じ代の車ばかりが運用に入っていたようだ。この車庫も昭和44年の春頃には閉鎖されたため、活躍したのは1年と少しと短い期間であった。その後、交通局の倉庫敷地の跡地に芝浦小学校が移転し、元の小学校の跡地には昭和49年頃に港区スポーツセンターが建設された(平成23年に芝浦小学校は再移転している)。系統の受け持ちについては、[503][504]は目黒本体が担当するようになり、[70]は向かいの交通局寮の下の田町操車所に一本化された。
さらに2年後の昭和44年の廃止により、3系統の代替バスを品川に移管する代わりに34系統(渋谷駅~金杉橋→[橋85]→[都06])の代替バスを担当することになった。長距離の相互乗り入れ系統が縮小されていく中で、うまく転身したことになる。
これらの代替バスにより、地下鉄の便に長く恵まれなかった白金・麻布の地域において、さらに稠密な路線網が築かれた。その中でも中心的役割を果たしたのが[橋85]で、地元密着の乗客数も成績も良い優良系統であり、平成元年には深夜バスが、また翌年には[都06]として都市新バス化されてグレードの高い車輛やバスロケーションサービスといった近代的な設備が入った。
逆に、相互乗り入れ系統については前述の通り縮小が進み、[101]は昭和46年に分断、さらに昭和52年の路線再編成によりその分断された残りや[宿97]も廃止され、[東98]を残すのみとなった。
この時代は他車庫との所管替えは多くなかった。営業所から離れていた[田70]は昭和57年から新宿・目黒の共管として、平成5年に目黒が撤退した程度である。これ以外では、五反田駅発着の路線は品川と目黒の境界線上にあたるためか調整用として使われ、平成4年には五反田駅発着の全路線を品川から移管している。
平成に入ってからも、路線の拡張が続いた。平成5年にはレインボーブリッジの開通により[虹01][虹02](田町駅東口・東京駅南口~レインボーブリッジ)が開通した。車庫の位置からすると品川のほうが近いが、目黒が所管することになったのは再開発計画と無関係ではないだろう。目黒営業所は目黒駅前という立地の良さから、バブル経済の頃からこの地を立ち退いて港湾部へ移る計画があった。現在の港南支所の敷地は元々都の所有だったようで、その地への移転を計画したが、うまく進まなかったようだ。回りがビルに建て替えられていく中で、駅前の一角に古い2階建てのまま残る営業所や平屋の車庫は、ある意味目立っていたと言えるだろう。この移転計画があったため、これらの系統については目黒に持たせたとも考えられる。
 さらに、平成9年には前述の[虹01]が発展的解消を遂げ、レインボーブリッジを渡り浜松町駅とお台場をダイレクトに結ぶ路線に再編された。
それ以外でも、平成10年には専用車で東京駅からお台場までノンストップで運行される快速バスも開設された。この時期が第二の黄金期と言えるだろう。
そして、平成10年3月には、計画が中座したままだった港南車庫がようやく開かれた。この時点では港南分駐所として扱われ、目黒は営業所のまま残った。車輛も一体で管理され、2つの車庫を持つ営業所となった。このときに品川駅東口~港南方面の路線を品川から移管し、逆に五反田駅発着の路線を品川に移管することでバランスを取った。
平成12年には快速バスがリニューアルされて観光バス車体での運行となり、さらにお台場へのアクセス改善として[虹02](品川駅東口~東京テレポート駅)が新たに開通する。この時期が目黒の最後の輝きと言えるだろう。
しかし、平成12年の南北線・三田線の延伸、大江戸線の開通で状況は大きく変わる。地下鉄のなかった麻布地区が一気に整備され、この地域をメインとしていた目黒本体の所管路線は再編の結果、大きな影響を受けた。廃止や短縮とともに、品川の支所に格下げされてしまい、奥行のあった車庫も空きスペースが目立つようになってしまった。
目黒のメイン系統だった[都06]も段階的に渋谷への移管が行われ、平成14年には深夜バスも廃止され、その半年後の平成15年3月をもって[都06]は渋谷へ完全移管された。
同時期に、かつて活路を見出したお台場もりんかい線全通の影響を受け、快速バスや[虹02]は廃止された(廃止時には[虹02]は品川に移管済)。この廃止と同時に目黒支所は分駐所に格下げされ、営業所記号としてのMは消滅し、所属車輛は全て品川の「A」に張り替えられたが、車輛配置は従来と同じく品川とは完全に別扱いだった。
その後の目黒分駐所は目黒駅発着路線を細々と受け持つのみになっていたが、ついに平成17年3月に目黒は閉鎖され、港南分駐所が残るのみとなった。
▲現在の港南車庫(Yahoo!地図より)
これにより港南は支所に格上げされ、品川・目黒・港南で所管路線がシャッフルされた。支所への格上げで港南は営業所記号を与えられたが、元々の「M」ではなく「Y」となった。「Y」は昭和57年まで志村営業所が使っていた文字だが、復活をとげたのは初めてである。普通に考えればMを復活させそうなものだが、違う文字を与えたのは意図があってのことだろうか。
このときの改編で元の目黒で持っていた路線は品川に、また品川の一部が港南に移管された。[品93](目黒駅~大井競馬場)のように品川・港南の共管系統も誕生した。このときの港南は、お台場・港南方面の路線以外は[品93]や[品98](品川駅東口~大田市場)というもので地理的な必然性は薄く、所要台数から決めた側面が大きそうである。このときは乗務員は品川と共通の体制が組まれ、周期的に品川と港南を行き来して双方の系統を乗務するようになった。
 しかし、この体制も長くは続かず、平成20年には港南がはとバスに運行を委託されることになり、再び所管系統がシャッフルされた。移管されるかどうかは収支を基準に決定されているため、[虹01][田99]のように続けて港南で担当する路線や[東98]のように一旦目黒から品川に行きながら戻ってきた路線など、出自は様々である。これにより、昔の目黒時代から継続して担当している路線はなく、かつての目黒との関連性は薄くなっている。
 現在の目黒は建物も壊され、時間貸の駐車場になっている。ただし、元々のバス車庫であった西半分のみ使用され、東半分はフェンスで覆われて特に使われていない。角にある自販機コーナーが「Auto Merci」と名乗っているが、Merciは都営地下鉄の売店のブランド名。他にも駐車場出入口の看板や敷地境界を示す交通局紋の刻まれた石など、都営交通の敷地である手がかりは数少ないもののいくつか残っている。

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