担当営業所
江東営業所
運行区間・運行回数
系統・枝番 | 起点、経由地、終点 | 備考 | キロ程(往/復) | 平日 | 土曜 | 休日 | |||
→ | ← | → | ← | → | ← | ||||
亀21 | 東陽町駅~元八幡~亀高橋~大島駅~亀戸6~亀戸駅 | 7.580km | 53 | 52 | 46 | 45 | 45 | 46 | |
亀21折返-2 | 東陽町駅←元八幡←東砂4 | 3.780km | 1 |
現在
年表
系統 | 年月日 | 営業所 | 距離 | 概要 |
亀21 | S49. 5.10 | 深川 | 7.777/ 8.027km | 東陽町駅~亀戸駅が開通 |
亀21 | S52.12.16 | 江東 | 7.777/ 8.027km | 江東営業所に移管 |
亀21 | S62.12. 1 | 江東 | 7.827/ 8.027km | 大島駅→亀戸駅を平岩公園経由から水神森経由へと変更 |
亀21 | H 2. 7.21 | 深川 | 7.827/ 8.027km | 深川営業所に移管 |
亀21 | H12.12.12 | 江東 | 7.827/ 8.027km | 江東営業所に移管 |
亀21 | H13.12. 3 | 江東 | 7.580km | 亀戸駅~水神森の経路を統合、駅下ガード経由になる |
路線概要
亀戸駅と東陽町駅を大回りして、旧城東区の中を南北に縦断するように結ぶ。主に丸八通りを使っているのと、旧葛西橋から袖ヶ浦を経由して南砂までは、元八幡通りと呼ばれる昔ながらの狭い通りを走るのが特徴的と言える。
東陽町駅から亀戸駅(通り)に向かうには[都07]が最短距離だが、もう一つの路線、それが[亀21]である。
東陽町駅を出発すると永代通りを東へ進み、小名木川線の踏切を越えた交差点で、明治通りへと曲がって……と、[都07]と同じ経路をたどると思ったら、南砂3丁目を過ぎたら交差点を右折して細い道へと進むではないか。
この道は仙気稲荷通り、そして途中からは元八幡通りという名のついた古くからの道で、片側1車線で歩道にはガードレールもなく、大型バスがすれ違うのには多少苦労するような道幅、そして道の両脇にはさまざまな店が並ぶ……という昔ながらの風景も残る、趣のある道路である。
南砂三丁目のバス停の副名称が稲荷前となっていることからも分かる通り、仙気稲荷はバス停近くの明治通り沿いから少し入ったところにある。今は小さな祠が鎮座するのみで、失礼ながら副名称や通りの名までつくような稲荷にも見えないが、実は江戸時代後期の文化時代頃から疝気(せんき)の病(下腹痛)に効き目のある「砂村の疝気稲荷」として栄えたもので、本体は昭和42年に千葉県習志野市に移転したため現在は祠が残るだけとなっている。
またこの区間の停留所名も、学校前・元八幡・袖ヶ浦と味のある名前が並ぶ。袖ヶ浦というと千葉県の地名が有名だが、かつては風光明媚な海岸がすぐ近くまであったことを偲ばせるような地名だ。荒川のほうに歩くと甘い匂いが香ってくるときがあるが、製糖工場がすぐ近くにあるためである。
袖ヶ浦にて荒川放水路にもう少しで突き当たりそうなところで、バスは突然90度向きを変え、左折して北上する。かつての堀を埋め立てた道路であり、直線状の形もそう聞くと納得。
葛西橋通りを越えて旧葛西橋の丁字路にたどり着くと、左折して清洲橋通りを西へ走り出す。丸八通りとの交差する場所にある亀高橋で、今度は丸八通りを北上して亀戸駅を目指す。[都07]に比べて、[亀21]は砂町地区をこまめに経由していく姿が対照的だ。北砂七丁目の少し先は砂町銀座の入口があり、狭い商店街を歩いていけば明治通りに出ることもできる。
ここからの丸八通りは都市計画に基づいて昭和後期になってから作られた道路で、中央分離帯や直線的な線形にもそれが窺える。
さらに丸八通りを北上すると、都営新宿線との乗換駅である大島駅前に到着する。都営新宿線とでバス地下鉄乗継割引サービスの認証実験を実施していた(→コラム参照)。
さて、ここからは竪川大橋を渡って首都高小松川線の高架をくぐり、左折して京葉道路に入りラストスパート。終点の亀戸駅前のひとつ手前、水神森は商業施設と亀戸駅の改札が近いため多くの乗客が乗降する。水神森を出発し、再び明治通りとの交差点を右折、総武線のガードをくぐったら終点の亀戸駅である。
歴史
▲交通局報 昭和49年
年表を見ても分かる通り、昭和49年5月と都内の路線にしては比較的開通が新しい。実はこの系統がメインで通る丸八通り自体が新しい通りであり、特に北砂七丁目以北は昭和40年代まではバスが通れるような道らしきものはなかった。兄弟系統として、古くから [東21](東京駅南口~築地~門前仲町~東陽町駅~元八幡~北砂七丁目)があったが、北砂七丁目という中途半端な終点は、そこまでしか道路がなかったという証でもある。それが都市計画道路として整備が進み、周辺住民の請願もあったようで昭和49年に開通したということである。そのため、開通時は東陽町駅~北砂七丁目は[東21][門21]の両方が並行して走っていた。なお、路線開設時の資料では、「東陽操車所~亀戸駅」と書かれた資料も存在するが、実際は東陽町駅発着だったようだ。
当初はそれほど本数が多くなかったようだが、長大路線で定時性が低下し、経路も大回りで運行効率も悪くなっていた[東21]から本数・乗客ともに移っていき、昭和50年代には[亀21]が元八幡通りの主役となった。開通時の昭和49年は[東21]が77往復、[亀21]が50往復となっているが、昭和57年には[東21]が53.5往復、[亀21]が67往復と逆転している([東21]は北砂七丁目~門前仲町・東陽町駅の折り返しを含む)。
それ以降は本数・区間ともに大きな変化はなかった。当初は大島駅→亀戸駅は京葉道路を通らず、サンストリート南側の京葉道路に並行する裏通りを走っていたが、道幅の問題もあって昭和62年に京葉道路に一本化された。また、亀戸駅の乗り場も現在の[錦11](錦糸町駅・亀戸駅~築地)が発車する亀戸公園の脇で、亀戸駅発車後は[錦11]と同様に駅から離れたガードをくぐって京葉道路に合流するという独自の経路を取っていたが、こちらも平成13年12月には乗り場が変更され、往復とも亀戸駅通りで曲がるようになった。同時期には同じエリアを走る弟分の[亀23](亀戸駅~南砂町駅)も開通し、利便性が向上したが、[亀21]の本数は[亀23]に譲る形となったのが、僅かに減少している。
むしろ歴史で特筆すべき部分と言えば、移管の多さだろう。深川・江東の両営業所から近いという事情もあり、所管系統数のバランスを取る目的で深川と江東を行ったり来たりしている。開通時は深川だったが、判明している限りで深川→江東→深川→江東と3回所管替えをしている。
2回目の深川担当時の平成10年頃に登場したのが平日最終の亀戸駅発亀高橋止まりである。折り返し回送入庫する便を有効活用して、終車が少しばかり遅くなった。亀高橋からは清洲橋通り・境川経由で深川車庫まで回送している。江東に所管が戻った際もこの便は引き継がれ、現在も運行されている。
元八幡通りのお祭り
袖ヶ浦から南砂三丁目にかけての元八幡通りは、もっとも[亀21]らしさを感じられる部分だろう。道も都営バスの走るところとしてはかなり狭いほうで、いかにもローカルバスという雰囲気が漂い、どことなくのんびりとしている。都営バスでは、最後までシンプルなダルマポールが残った区間でもあった。
ところで、この元八幡通りは、年に数回お祭りのために歩行者天国となる。バスも通行できなくなるため、[亀21]は元八幡から北上してトピレックプラザ前に出て葛西橋通りを通り、南砂四丁目から明治通り、という迂回経路を走る。元八幡~福島橋の各停留所は休止となり、迂回経路上に仮設されたり、[門21]の停留所を間借りしたりしている。しかし、年によって対応停留所が変わったり、仮設停留所が立つ時もあれば無い時もあったりで、どうもやり方が安定しない。迂回する道は変わらないのだが、元八幡から葛西橋通りに出る交差点がよく渋滞し、ダイヤは大幅に乱れることも。いっそのこと、東砂六丁目から葛西橋通りに入ってしまえば……とも思うのだが、そうもいかない事情があるのだろう。
元八幡の仮設停留所は当初は元八幡から北上するドイト脇の迂回路上にあったが、平成21年からは[陽20]の開通により、トピレックプラザ(江東図書館入口)を代替停留所とするようになったようだ。
ただ、「元八幡」のバス停が臨時バス停になるのは昔から変わっていない。このときの臨時停留所は水色帯の入ったダルマポールが登場する。水色は歩行者天国などでの迂回専用停留所を示すものだが、歩行者天国の迂回も少なくなり、今現役で水色帯を使っているのはここくらいではないだろうか。よく見ると、[東21]の表示がうっすらと透けて残り、昭和の時代から大切に使われていることが分かる。今後とも残ってほしいものだ。