都営バス資料館

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担当営業所

目黒営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
世田谷野沢~下馬一丁目~中目黒駅~渋谷駅~北参道~新宿駅東口 10.744/10.984km
世田谷野沢~下馬一丁目~中目黒駅~渋谷駅~北参道~新宿追分 プロムナード

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
129 S31. 2. 1 目黒 (10.592km) 野沢龍雲寺~渋谷駅~新宿駅東口が開通、東急と相互乗り入れ
129 S34.11. 1 目黒 10.744/11.190km 経路変更、新宿駅付近の経路を新宿三丁目経由の大きな循環状とする
129 S37. 8.15 目黒 10.744/10.984km 一部経路変更
宿97  S47.11.12 目黒 *** 新番号化、宿97とする
宿97  S52.12.16 目黒 *** 世田谷野沢~新宿駅東口を廃止

路線概要

atozm_025  新宿駅の東口エリアから渋谷駅を経由して世田谷野沢(現野沢龍雲寺)まで至る。時代によって終点の名称は世田谷野沢だったり野沢龍雲寺だったりと統一感がないが、廃止時の都営バスの路線図では世田谷野沢となっているため、その名称に従うこととする。
東急エリアに大きく入り込んでいることから分かる通り、東急との共同運行路線であった。
 新宿側は新宿駅東口が起終点という扱いになっているものの、折り返しスペースもないため、循環するように戻っていた。新宿行きは明治通りを経由して新宿追分(現伊勢丹)に停車した後、次の靖国通りを左折して歌舞伎町に停車した後、大ガード手前でさらに左折してアルタ前の新宿駅東口で終点となる。東口発は、新宿通りを直進して新宿追分を過ぎ、世界堂ビルのある新宿二丁目の交差点で左折して新宿三丁目に停車、そこから左折を繰り返して明治通りに戻るという塩梅になっていた。双葉の一筆書きのような経路である。
 新宿からは現在の[池86](池袋駅東口~渋谷駅)と同じく明治通りを南下する。トロリーバスが廃止されて[池86]が代替で開通するまでは、長らくこの区間を走るバスはこの系統だけであった。
 [池86]とは異なり宮下公園以南も明治通りを南下し、渋谷駅では渋谷東映側と駅ターミナルの2か所に停車していたところが面白い。
 渋谷駅を貫通して明治通りを過ぎ、並木橋で右折して東横線をくぐる。渋谷駅の喧噪が嘘のように雰囲気が変わり、代官山駅入口を通る。現在はこの区間は東急バスの[渋71](渋谷駅~洗足駅)でトレース可能である。
 鎗ヶ崎の交差点で駒沢通りと合流し、低地に下り目黒川を渡り正覚寺(しょうがくじ)。ここで右折して東横線の駅に吸い寄せられるように進み、中目黒駅に到着する。ここからは現在の東急バスの[黒09](目黒駅~野沢龍雲寺)と同じで、山手通りを東山一丁目まで進んだ後、左折して上目黒の住宅街を進み三宿病院から下馬一丁目へ。現在でも鉄道はやや不便な地域のため、東急バスが渋谷駅から頻発している。
 現在の[黒09]はここで左折して、野沢龍雲寺までは下馬営業所・学芸大附属高校を経由する循環状のルートとなっているが、この時代は往復とも直進して世田谷観音を経由するルートであった。
 西澄寺を右手に、進んで世田谷観音を左手に見ながら住宅街の狭い片側一車線道路を進むと、環七の龍雲寺交差点にぶつかって道路は終点となる。ここが世田谷野沢の終点で、正面に見えるスーパーサミットストアがかつてはバスの折り返し所だった。

歴史

 東急バスとの相互乗り入れ系統として誕生したこの系統であるが、都心を目指さず、副都心である新宿を目指したという点がたいへん特徴的である。
 東急にとっては、新宿は特別な地であったらしい。昭和の初期、鉄道で新宿に延伸しようとするも失敗し、戦後のバス路線相互乗入で、初めて新宿乗り入れを果たすこととなった(戦時中の大東急時代を除く)。都営と東急の相互乗り入れとして[宿97]以外にも環七を経由した[宿91](新宿駅西口~大森操車所)が新宿を終点としたが、それ以外にも京王と手を組んで、[宿50]目黒区役所~(山手通り)~初台~新宿駅西口という系統も運行していたのである。計3路線も乗り入れていたのは、なかなか面白い現象だと言えるだろう。
新宿線のベースとなっているのは昭和20年代に開通した東急バスの渋谷駅~野沢龍雲寺である。といっても現在の[渋32]の三宿経由野沢龍雲寺循環とは異なり、渋谷駅から出て、現在のトランセ代官山線に近い形で鉢山町などを経由していたようだ。
 それが昭和31年に相互乗り入れすることになり、明治通りを経由して新宿駅東口まで伸びることになったわけである。ちなみに新宿駅の折り返し方法は、初期は伊勢丹まできた後に靖国通りを左折し、新宿駅の大ガード手前で左折して東口駅前に入り、直進して明治通りとクロスする、現在でいう伊勢丹と丸井の角を右折して渋谷へと戻っていた。後の昭和37年?に改められたようで、最後の新宿追分から北参道側へ右折できなくなったためか、経路概要に述べた通り、世界堂・新宿三丁目を回って戻るようになった。
 しかし、代々木駅付近ら新宿伊勢丹と新宿駅東口付近は全体的に渋滞地帯で、定時運行はかなり難しかったのではと思われる。そこまで新宿まで乗り通す需要が少なかったということなのか、昭和52年に短縮され、都営バスとしては廃止され、以後は東急[渋70]として渋谷駅東口~世田谷野沢という系統に一本化された。
 短縮後も渋滞や路線集約化の波には勝てず、昭和59年に朝ラッシュ時のみ中目黒駅止まりとなって[中目01](中目黒駅~世田谷野沢)という路線が誕生し、昭和63年には全便が中目黒止まりとなる。ローカル路線に落ちてしまったためか、本数も1時間に3本程度と多いとは言えなかった。
 しかしこれでは終わらなかった。平成5年には野沢折返所が廃止されたために、下馬一丁目~野沢龍雲寺が現在の[渋32]と同じような循環経路になり、平成15年には目黒区役所移転によるアクセス強化のため、中目黒駅から山手通り方面に延伸し、目黒駅まで延長して[黒09]に進化したのである。まさかもう一度山手線の駅を発着するとは思いもよらなかったであろう。こうして現在、オリジナルとは似ても似つかない路線になっている。
 東急の新宿乗り入れは昭和59年の[宿91]分断とともに終了したが、今度は東急東横線と地下鉄副都心線が相互乗り入れして渋谷から新宿・池袋へとつながろうとしている。夢よもう一度、といったところだろうか。

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