都営バス資料館

田99

[田99]←[39乙]

担当営業所

港南支所

運行区間

系統 区間 距離 備考
品川駅東口~浜路橋~芝浦埠頭~田町駅東口 4.120/ 4.210km
出入 品川駅東口~港南四丁目

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
39丙  S42.10.10 品川 2.950/ 3.550km 品川駅東口~五色橋~田町操車所(現港区スポーツセンター)を開設
39乙  S44. 6. 1 品川 ***  系統再編により39乙とする
39 S44.10.16 [芝浦] ***  芝浦分車庫の開設により移管
39 S46.12. 1 品川 ***  芝浦分車庫の廃止により品川に移管
田99  S54. 7.25 品川 ***  終点を田町操車所から港区スポーツセンターに改称
田99  S54. 9.21 品川 2.950/ 3.010km 御楯橋~港南中学校の経路変更
田99  S63. 3. 5 品川 3.350/ 3.410km 芝浦3~田町駅東口間を芝浦工大前から藻塩橋経由の遠回りに変更
田99 H10. 4.17 [港南] 3.350/ 3.410km 目黒営業所(港南)に移管
出入 H10. 4.17 [港南] 0.840/ 0.930km 港南4(港南車庫)~品川駅東口を開設
田99 H12.12.12 [港南] 3.350/ 3.410km 目黒の営業所→支所格下げにより、品川営業所港南分駐所となる
田99 H14. 4. 1 品川 2.950/ 3.010km 品川に移管
田99 H16. 4. 1 品川 3.440/ 3.790km 終点を港区スポーツセンターから田町駅東口ターミナルに変更
田99 H17. 3.28 港南 3.440/ 3.770km 港南に移管、芝浦2~田町駅東口を往復とも港区スポーツセンター経由に変更
田99 H18. 4. 1 港南 4.120/ 4.540km 御楯橋~港南3を海岸通り経由から浜路橋経由に、五色橋~芝浦2を海岸通り経由から芝浦埠頭経由に変更
田99 H19. 3.26 港南 4.120/ 4.210km 浜路橋~品川駅東口を往復とも御楯橋経由に変更
田99 H20. 4. 1 港南 *** はとバスに運行を委託
出入 H20. 4. 1 港南 *** 港南4→品川駅東口の片道運行に変更
出入 H22. 7. 港南 *** [田99]の出入庫として品川駅東口~港南4を開設

路線概要

atozm_015  品川駅東口と田町駅東口を結ぶ。両駅を結ぶというよりも、途中の海岸通り沿いの芝浦地域と両駅を結んでいるイメージが強い。かつては朝夕のみ運転だったが、現在は昼間も運転している。[品99](品川駅東口~品川埠頭)の兄弟系統という扱いだったが、現在は所管も品川駅経路の付近も別々である。
 品川駅東口は[浜95](品川駅東口~東京タワー)と同じく、南側のインターシティー側の島からの発車となる。発車すると品川駅東口のターミナルを一周するように回り、御楯橋を渡って旧海岸通りと海岸通りの間の裏通りを走る。右手には港南四丁目アパート等の高層マンションがそびえ立つ。10年ほど前までは低層の古いアパートだったのが見違えるようだ。これ以外にも住宅が雨後のタケノコのように増えた地域を走っていく。
 直進して浜路橋(はまじばし)停留所を過ぎると、巨大な鉄道の高架橋が見える。これは新幹線の大井車庫への出入庫線と東海道貨物線がセットになったもので、運が良ければ新幹線の姿も見られる。 
 ここで海岸通りに合流し、五色橋を渡って港区海岸のエリアに入る。首都高が上に走り、住居は少なく企業の入居するビルや倉庫が多くなることもあってどことなく殺風景なイメージとなる。
 かつてはこのまま海岸通りを直進していたが、現在はすぐに海岸通りから曲がって芝浦埠頭の海岸沿いを経由するようになっている。海岸通り裏停留所はLOOP-Xビルやオンワード樫山のビルが目の前にあり、かつては都営バスが送迎でこれらのビルにも運行を行っていた。
 次の芝浦埠頭はヨコソーレインボータワーの目の前。[虹01]に乗ってレインボーブリッジを渡るときに目立つ直角三角形のビルである。企業とマンションの複合ビルとなっている。レインボーブリッジを徒歩で渡るときの入口にも近い。なお、ゆりかもめの芝浦ふ頭駅は次の埠頭公園入口のほうが近い。
 ここで芝浦埠頭を出て、田町駅東口近辺の芝浦地区を大きく回り込んで田町駅東口が終点となる。時代によって経路が異なるが、現在は[浜95]の品川方面と並走して、芝浦二丁目から大きく右折して一丁目のポートボウルとジュリアナ東京跡を見つつ直進する。田町駅東口のロータリー手前には港区スポーツセンターの停留所があり、交通局の寮が左手にある。1Fが空いているのはかつてここが操車所で[田99]の終点だった名残である。ここから田町駅東口の終点までは100mと少ししかなく、すぐに右折レーンに入って田町駅東口の終点となる。
 出入庫は港南四丁目~品川駅東口を営業運転している。停留所は港南四丁目だが、[品99]の停車する港南四丁目とは位置が全く異なり、港南車庫の出庫口に上屋つきの立派な出庫専用停留所があり、そこから発車する。港南車庫の目の前には海岸通りが走っているが、車庫~海岸通りの南行き車線としか行き来できないため、往復で経路は大きく異なる。
 港南車庫発は車庫を左折して出た後、すぐに右折して港南四丁目交差点を経由し、東京海洋大学の正門を通過して[田99]の乗り場につける。品川駅東口発は[田99]本線と同じように御楯橋まで来た後、マルエツプチのある港南三丁目の角を右折し、港南中学校の先に見える首都高が架かる海岸通りを右折して車庫に入り、入庫となる。なお、往復ともに途中はノンストップで途中は停車しない。
 現在は[反90]と組ダイヤになっている早朝のみ運転の港南車庫→品川駅東口も同じ経路となるが、平成23年3月までは開設当初のオリジナルな経路で運行していた。具体的には、東京水産大学を通過した後すぐに右折して御楯橋の停留所を通過し、前述のマルエツプチの角を左折して[品99]の品川駅東口行きのルートと合流し、ソニー・NTTドコモのビルの前を通って北側のアレア品川ビル(ファミリーマートのあるビル)側で降車となっていた。かつて[品99]を港南が持っていた時代の出入庫のルートでもある。

歴史

 [田99]は昭和42年に開業した系統で、[浜95]がカバーしていなかった芝浦・港南地域への足として走り始めたものである。公共交通のない地域だったため、意義深かったことであろう。当時は[39丙]、後に再編により[39乙]と改められた。
 開通当時は、港南中学校~港南一丁目に架かる新港南橋が存在しなかったため、御楯橋を往復とも経由した。また、品川駅東口は今のようなターミナルがなくループ状の経路で折り返していた。
 田町側も芝浦三丁目を経由しているのが今と異なり、田町駅東口から伸びる芝浦工大の前の道路を通っていた。田町駅東口も現在のようなターミナルが完成するのはかなり後の話で、駅で折り返しができないため、田町操車所(港区スポーツセンター)にて折り返していた。元々はこの辺りは都電の貨物線が引かれており、交通局の敷地でもあった。現在も交通局寮があるのはその名残であるる
 最初の変化が訪れたのは昭和54年である。新港南橋が完成したことにより、港南中学校から港南一丁目まで直進できるようになったため、品川駅側は大きなループを描くように経路変更された。また、田町操車所は港区スポーツセンターに改称された
 次いで昭和63年、今度は田町駅側に変化が訪れる。[浜95]の項でも述べたが、田町駅東口~芝浦三丁目の道路が[浜95][田99]ともバスが通らないようになり、藻塩橋を経由するの大回りな経路になった。
 この時代は全ての曜日で朝夕のみ運転という珍しい形態で、都営バスの中でもかなり影の薄い系統だったと言える。主に通勤需要のみ考慮していたのだろう。
 平成10年に港南車庫の開設に伴って品川から港南に移管され、出入庫として港南四丁目~品川駅東口が営業運転されるようになった。
 平成13年に現在の品川駅東口新ターミナルが完成した。しかしながら[田99]の乗り場は現在の[品99]が発着する離れであり、経路は今までとほとんど変わりがなかった。平成14年には[田99]が品川に再移管されたが、車と乗務員ごと移管したような感じで、ほぼ同じ車での運行であった。方向幕も一部の車にしか入っていなかったようである。[田99]は収支の扱いも[品99]の枝線扱いで一心同体だったが、ここでついに別々の道を歩むようになった。
 それが変化するのが平成16年4月のことである。高層マンションが建ち並ぶようになって人口も増加したこともあったのか、[虹02](品川駅東口~東京テレポート駅)の廃止および[田92](品川車庫~品川駅東口~高浜橋~田町駅東口、いずれも)の開通に合わせて終日運転へと拡大し、同時に品川方・田町方とも経路変更を行った。
 具体的には、品川駅東口では乗り場を変更して、今までとは反対側の品川インターシティー前に停留所を設置した。その結果、港南中学校→品川駅東口の経路が大きく変更され、芝浦下水処理場などに停車しなくなった。
 田町側は田町駅東口にターミナルが新設されたことで港区スポーツセンターにあった操車所が廃止され、田町付近は大きく循環して折り返すように変更された。ただし、田町駅東口で運行を打ち切るため、乗り通しはできなかった。
 しかし、この形態もわずか1年で見直され、平成17年3月の改正では芝浦二丁目~田町駅東口が往復とも芝浦一丁目経由に改められた。行きと帰りで使える停留所が違うのは不便だという意見が多かったのかもしれない。
 平成17年3月より再び港南管轄となり、同時に緑色地の方向幕となった。起終点が同じ[田92]と区別するためだろう。
 これで安定するかと思ったら、また1年後の平成18年4月に経路変更が行われた。今度は芝浦埠頭部分で埠頭を回るように、また港南三丁目~御楯橋では浜路橋を経由するように変更された。どちらも海岸通り沿いに比べて高層マンションや事務所の多い地域であり、海岸通りから外れてこまめに客を拾おうとする意図がうかがえる。地味だった[田99]も、沿線にマンションが増えてきた。港南地区唯一の港南小学校の児童数は、平成6年度の144人を底として平成17年度は373人、23年度は641人まで増えてきている。
 これで経路がようやく現在の形になったが、近年のちぃばすの芝浦港南ルートの開通で多少なりとも影響を受けていると思われる。100円と運賃勝負では不利であるが、ルートが大回りで迂回が多いことや、カバーエリアが微妙に違うことから現状では棲み分け状態になっており、本数も今の所は減少していないようだ。

toeibus.com
都営バスの"非公式"総合ファンサイト。

※趣味的な事柄に関する現場(営業所等)への問い合わせは
 業務の大きな迷惑になりますので、お止め下さい。
Return Top