担当営業所
巣鴨営業所
運行区間・運行回数
系統・枝番 | 起点、経由地、終点 | 備考 | キロ程(往/復) | 平日 | 土曜 | 休日 | |||
→ | ← | → | ← | → | ← | ||||
草64 | 池袋駅東口~西巣鴨~王子駅~荒川4~吉原大門~浅草雷門南 | 12.966km | 44 | 47 | 44 | 45 | 45 | 46 | |
草64出入-1 | とげぬき地蔵~西巣鴨~王子駅~荒川4~吉原大門~浅草雷門南 | 11.836km | 2 | 1 | 2 | 1 | 2 | 1 | |
草64折返-3 | 池袋駅東口←西巣鴨←王子駅←荒川4 | 8.096km | 3 | 2 | 2 | ||||
草64折返-1 | 王子駅~荒川4~吉原大門~浅草雷門南(臨時) | 8.883km | ** | ** | ** | ** | ** | ** |
現在
年表
系統 | 年月日 | 営業所 | 距離 | 概要 |
9 | S21. 3.15 | 滝野川 | 3.583km | 池袋駅東口~王子駅が開通 |
8 | S22. 5.15 | 大塚 | 8.472km | 王子駅~浅草寿町が開通 |
9 | S24. 6. 1 | 大塚 | 12.055km | [9]と[8]を統合、池袋駅東口~王子駅~浅草寿町に延長、9系統とする |
9 | S27. 6. 1 | 大塚 | 17.600km | 新宿駅西口~池袋駅東口を延長 |
9 | S30. 6. 1 | 大塚 | 11.815km | 新宿駅西口~池袋駅東口を短縮 |
9 | S32. 1.12 | 大塚 | *** | トロリーバス104系統の開通により池袋駅東口~浅草寿町を廃止 |
604 | S43. 3.31 | 戸山 | 13.456/12.917km | トロリーバス104系統(池袋駅~浅草)の代替で池袋駅東口~浅草雷門が開通 |
604 | S46. 3.17 | (昭和町) | 13.456/12.917km | [603](池袋駅東口~亀戸駅)の廃止により昭和町分車庫に移管 |
604 | S46. 6.25 | (昭和町) | 13.350/13.176km | 終点を浅草雷門から浅草寿町に変更 |
草64 | S47.11.12 | (昭和町) | *** | 新番号化、草64とする |
草64 | S55. 4. 4 | 北 | 13.350/13.176km | 昭和町分車庫・滝野川営業所の統合新設により北営業所に移管 |
草64 | S57.12.26? | 巣鴨 | 13.350/13.176km | 巣鴨営業所に移管 |
草64 | S61.12. 8 | 巣鴨 | 13.510/13.176km | 池袋駅東口の乗り場変更により終点ループを変更 |
草64 | H15. 1.14 | 巣鴨 | 12.766/13.166km | 浅草六丁目~浅草雷門を全て二天門経由とし、池袋駅東口~浅草雷門に変更 |
草64 | H15. 4.20 | 巣鴨 | 12.766/12.966km | 池袋方面のみ浅草雷門→浅草雷門南を短縮、浅草雷門南を起点とする |
草64出入 | H16. 4. 1 | 巣鴨 | *** | 西巣鴨~浅草雷門の出入をとげぬき地蔵まで延長 |
草64 | H20. 3.30 | 巣鴨・南千住 | *** | 南千住との共管とする |
草64 | H22. 4. 1 | 巣鴨 | 12.766/12.966km | 巣鴨の単独所管に変更、浅草側の始発停留所を浅草雷門南から浅草雷門に変更 |
草64 | H24. 4. 1 | 巣鴨 | 12.966km | 池袋駅東口→浅草雷門について、浅草雷門→浅草雷門南を延長 |
路線概要
池袋と浅草を明治通り経由で結ぶ。 [草63]より微妙に全線所要時間が短いが、区間需要が多い[草63]のほうが少し本数が多い。池袋駅東口~王子駅は[王40]の補完的役割も果たしている。
それ以外に、出入庫として西巣鴨で分岐するとげぬき地蔵~浅草の便もわずかに運行されている。大半の出入庫は、[草63]名義で池袋駅東口~とげぬき地蔵としして運転されている。
池袋駅東口~西巣鴨は[草63][草64]で同じように進むのだが、池袋駅東口近辺の経路が異なっており、乗り場はグリーン大通り側にある。すぐに交差点を左折し、以前は池袋駅(三越裏)と名乗った池袋駅東口(10番乗り場)を通る。現在はヤマダ電機が入居しており、そこを過ぎると明治通りへと合流し、三ノ輪付近まで明治通りをひた走ることとなる。都営バスに加えて他事業者の高速バスも行き交うため、様々な車両とすれ違う光景が見られる。
西巣鴨の少し先の交差点を右に曲がったところには、昭和55年廃止となった滝野川自動車営業所の跡地があるが、通りからその雰囲気を窺うことはできない。西巣鴨から飛鳥山までの区間は道路の中央に首都高速中央環状線が走るが、ちょうど首都高が高架区間から地下区間への移る区間であり、通りの反対側は全く見通せず、昔の面影は偲ぶことが出来ないぐらいに風景が変わってしまった。
飛鳥山の交差点を左折し、桜の名所飛鳥山公園を右に見ながら都電と併走し王子駅前。赤羽駅と並ぶ城北エリアの路線バス結節点でもあり、乗客の入れ替わりが激しい。
王子駅を出て、溝田橋の交差点を明治通りとともに右折し、今度は南東方向へとバスは走る。「都電もなか」で有名な和菓子屋「明美」がある梶原を経由し、尾久駅前に到着。地名は「おぐ」、JRは「おくえき」だが、都営バスは地名に配慮して「おぐえきまえ」。ただし、停留所のローマ字が一部okuになっているのは都営バスらしいと言えるかもしれない。都電の荒川電車営業所も徒歩数分の距離である。
バスは田端新町付近で東に向きを変える。この付近で唯一の東西方向を結ぶ交通機関のため利用客も多く、早朝でも座席が埋まっていることもしばしばある。京成線との乗換駅である新三河島駅を過ぎ、バスは宮地交差点へとさしかかる。ここで西巣鴨にて別れた[草63]と合流し、この先大関横丁まで同じ経路を走る。
三ノ輪二丁目で道路がようやく明治通りと別れ、通称土手通りを吉原大門、日本堤へと進んでいく。
吉原大門は江戸時代の遊郭街として名をはせていた吉原への入口に当たる門があった場所に由来している。なお、読みは「おおもん」。芝の「だいもん」とは違うのでご注意のほど。
日本堤も江戸時代初期に作られた水路の土手道を指したもので、そこから転じて地名となり、土手道としての「日本堤」は土手通りと名前を変えている。土手通りは馬道交差点で言問通りを過ぎると二天門。イベント会場としてもよく使われる都立産業貿易会館台東館の目の前に停留所があるが、実は浅草寺の最寄り停留所の一つであり、雷門まで行くよりも断然便利である。
二天門を過ぎ、リニューアル工事が完成してレトロな外観の浅草松屋が現れる。東武浅草駅が同居しており、停留所名称も時代によって東武浅草駅だったり浅草松屋だったり、スポンサー契約の有無で変わるようだ。吾妻橋交差点を右折すると浅草雷門となり、バスは雷門を左折して一つ先の雷門南が終点となる。ここで少し待機した後に鋭角にターンして江戸通りに入り、東武浅草駅(浅草松屋)で元の経路と合流して池袋方面に戻って行く。
歴史
▲最新大東京案内図(日本統制地図、S17.9)
トロリーバス104系統(池袋~浅草)の代替バスである。池袋駅を出発してから王子・尾久・大関横丁まで明治通りを経由し、三ノ輪町(三ノ輪二丁目)で右に入って南下し、吉原大門から浅草方面へと向かっていた。浅草で折り返す土地がないため、浅草寺のある一角を大きく一周するように折り返していた。
トロリーバス以前は普通のバス系統であった。そのため、バスからトロリーバスへ、そしてまたバスへという面白い転換を遂げている。
北側の明治通りの区間は、元々王子電軌(→27系統の項参照)のバス部門が古くから運行していた。昭和初期に池袋駅~王子駅の区間が、さらに昭和5年傍系企業として王子環状乗合自動車を設立し、王子堀ノ内(現溝田橋付近)~三ノ輪橋を開業し、昭和13年5月には王子~三ノ輪は王子電軌での運行となった。三ノ輪以南は市バスのエリアで、昭和10年頃に[21]が延伸されて三ノ輪車庫~吉原大門~東武浅草駅~東京駅方面という路線が誕生し、今の[草64]の区間にバスが出揃った。
昭和17年の市バスへの交通一元化で整理されたものの、[32]池袋駅~王子駅~荒川土手方面、[37]王子駅~尾久駅~三河島四丁目(現荒川四丁目)~坂本二丁目(現下谷二丁目)、[38](熊野前~三河島四丁目~三ノ輪~雷門)と三分割された状態であった(上図参照)。都電と並行していなかったこともあり、戦中の縮小改編を経て姿は少しずつ変わったものの3系統とも残っていたが、昭和20年4月の改編で王子駅~三ノ輪車庫を残すのみになり、それも空襲後の6月の改編で一旦廃止されてしまった。
ただし、終戦後の復旧も早かった。昭和21年3月に[9](池袋駅東口~王子駅)が開通したが、これが今の[王40](池袋駅東口~西新井駅)と[草64]の共通の先祖である。翌年には[8]王子駅~浅草寿町も開通し、昭和24年6月には両系統が統合されて、[9](池袋駅東口~浅草寿町)となった。ただし、このときは大関横丁~浅草は竜泉・公園六区を経由している。
さらに昭和27年6月には、池袋駅から明治通りを南下して新宿駅西口まで延長され、路線長は17kmと郊外都心直通並みの長大路線となった。だが、昭和30年6月のトロリーバスの池袋~千駄ヶ谷の開通で池袋駅発着に戻され、さらに昭和32年1月には全線でほぼ並行するトロリーバス104系統(池袋~浅草)が開通したことにより[9]は廃止された。このとき、池袋駅東口~王子駅は代替として西新井駅~王子駅の[10](→[王40])が池袋まで延長されている。
▲昭和24年頃の路線図
もう一回バス路線に戻されるのは、昭和43年3月のトロリーバス102~104系統の廃止代替バスとしてである。同時にトロリーバス車庫だった戸山・昭和町の各車庫もバス車庫へと転換されたが、このときの所管は戸山だった。昭和町はトロリーバス103系統(池袋~亀戸)の代替バス[603]系統を所管しており、それほど広い車庫でもなかったため、2系統も入れられなかったのかもしれない。昭和46年に[603]が廃止されると、[604]が昭和町へと所管が移った。
代替の[604]はトロリーバスの跡を継いで、三ノ輪~浅草は吉原大門経由で、また浅草警察署から南側は言問通り(観音裏)・国際通り・雷門・浅草松屋を一周するというループを描いており、昭和47年に系統番号が一新されて[草64]となった後も変化はなかった。なお、運行は浅草寿町で打ち切りだったため、乗り通しはできなかった。
ただし、昭和50年代に所管が2回変更されている。トロリーバス代替時は沿線にある滝野川営業所の配下の昭和町分車庫(尾久駅付近)が専門に所管していたが、昭和55年4月に閉鎖移転で北営業所に統合され、北に移った。このときは池袋・浅草から北車庫に出入庫が運転されていたそうである。そして昭和57年3月には志村営業所の廃止に伴い、志村から北に移管された系統に押し出されるように巣鴨に移管された。出入庫については、浅草方からの出入庫は西巣鴨で運行打ち切り、池袋方からは[草63]の扱いで池袋駅東口~西巣鴨~巣鴨車庫を運転していた。
路線は永らく変化がなかったが、平成15年1月、 [草63]との棲み分けを行うためか、往復とも二天門・浅草松屋経由に変更し、浅草雷門止まりに変更された。このとき、浅草雷門の乗り場は雷門のはす向かい、浅草プラザホテルの向かいにあったが、わずか3ヶ月後には降車専用に変更され、雷門から少し駒形橋寄りに進んだところに「浅草雷門南」停留所を新設した。これにより、終点と起点の停留所が異なる珍しい系統となった。
具体的には、この図で言うと、
★J(浅草一丁目)→D(浅草寿町降車)…G(浅草寿町乗車)→6(浅草雷門)→R(浅草松屋)から、
★U(浅草松屋)→V(浅草雷門降車/乗車)→R(浅草松屋)へと変更され、その3ヶ月後にVは降車専用となり、V→8の間を回送して、8(浅草雷門南)から営業するようにしたのである。これと併せて、[草64]の方向幕も変更され、前面には「馬道廻り/二天門・浅草松屋前経由」の札を提げるようになった。[草63]が「国際通り」と掲示したのと対になっている。
翌平成16年4月には、巣鴨車庫停留所の「とげぬき地蔵前」への改称にあわせ、浅草方からの出入庫が浅草雷門~西巣鴨~とげぬき地蔵まで全区間営業するように改められた。
そして、平成18年春からは南千住が参入した。複雑な所管玉突きの結果だが、台東区・荒川区の路線がメインだった南千住が池袋まで出てくるのは従来にない面白い運用だった。およそ4割の本数が南千住所管となり、出入庫は主に三ノ輪二丁目~浅草雷門を営業運転したため、今まで見られない「三ノ輪二丁目」行きの表示を見ることができた。
しかし、平成20年春の改正で南千住担当の運用が減った際に、三ノ輪二丁目~浅草の営業運転は消滅して全区間回送になり、平成22年春には南千住が撤退して巣鴨単独に戻った。
浅草地区の停留所はその後も微調整が続く。平成22年春には、「浅草雷門南」を場所を変えずに「浅草雷門」に改称、名称上は起点と終点が揃えられた。しかし、平成24年春には、浅草雷門(降車)→浅草雷門(乗車)も営業運転するように改め、浅草雷門(乗車)は再び「浅草雷門南」に改称され、起終点とも「浅草雷門南」となった。走行経路が変わらないのにここまで取り扱いが変わる例も珍しい。行き先表示も「浅草雷門南」になったため、方向幕も再度作り直されている。
[草63][草64]は兄弟路線のような関係で、荒川区の明治通りをメインに走る[草64]と、千石・白山・団子坂・西日暮里と、文京区北部をうねうねと走る[草63]は性格も異なり、乗客の棲み分けもなされているようだ。どちらも比較的長距離を走り、かなりお得感がある。昭和50年代には[草63]を巣鴨駅止まりに、[草64]を王子駅止まりに短縮する計画もあったが、計画倒れに終わり、ここ40年ほどは同じような形で走っている。今後とも地域の重要路線として、ともに走っていきそうだ。
朝の始発
[草64]は、車庫から浅草方面に営業して戻ってくるのを待っていると池袋方面の始発が遅くなってしまう。そのため、巣鴨車庫から田端新町一丁目まで回送して池袋駅方面の始発として営業する便が3本ほど設定されていた。不忍通り・西日暮里駅から尾久橋通りに回送していたのだろう。
平成18年春の南千住との共管時は、このうち始発の1・2本目を南千住担当に変えて大関横丁まで延伸し、大関横丁→池袋駅東口として利便性を高めた。南千住車庫から大関横丁まではすぐであり、効率的な共管と言えるだろう。平成22年春に南千住が撤退した際も、巣鴨担当で大関横丁始発が継続されたが、始発から2・3本目になり、最初の始発は荒川四丁目始発に改められた。西日暮里駅から直進して回送出庫できる楽なポイントにしたのだろう。結局、大関横丁始発の利用者は少なかったのか、平成25年春のダイヤ改正で全便荒川四丁目始発となり、大関横丁始発の設定は消えた。なお、南千住の行先表示に大関横丁行きの設定は存在したが、使われることはなかった。
浅草方面からの出入庫
[草64]が巣鴨担当になってからの出入庫は、ほぼ全便が[草63]池袋駅東口~巣鴨車庫(現とげぬき地蔵)での運転であり、始発最終時間帯のみ西巣鴨~浅草の運転だった。西巣鴨~巣鴨車庫は[草63]との乗り間違いのために回送としていた。これが平成16年4月の改正で改められ、とげぬき地蔵~浅草の全区間運転となった代わりに、日中の時間帯にもこの出入庫が出現した。
浅草側から直接車庫に出入りすることで、運用を減らしても浅草側の本数をなるべく減らさないようにする苦肉の策でもあったのだが、池袋側から見ると途中でとげぬき地蔵発が挟まるため、30~40分も車間が空いてしまうところが少なからず出てしまった。池袋から西巣鴨・王子駅までは[王40]が頻発しているため、[王40]に乗って乗り換えれば効率よく移動できる場合もあったが、そのような案内がある訳でもなく、池袋側の乗車は不便になった。
結局、平成20年頃から改正のたびに日中のとげぬき地蔵~浅草の出入庫が削減されて、平成24年7月の改正では土休日が、平成25年4月の改正では平日も始発時間帯を除き全廃された。車内にも池袋発着が増えて使いやすくなる旨の改正のお知らせが掲示され、かつ総本数はほぼ減っていないことから、かなり改善されたと言える。
なお、浅草発は終バス以外にもとげぬき地蔵行きが残っているが、こちらは王子駅~西巣鴨で[王40]に乗り換えることで池袋駅に行けることが乗客にも分かりやすいため、ムリをして減らすこともないのだろう。
浅草のイベント時の運行
浅草地区は何かと道路を通行止めにするイベントが多く、イベントによる運行変更の回数は、浅草地区が随一だろう。
通行止めのパターンとして多いのが、雷門前の一帯と、吾妻橋~二天門~馬道の区間が規制となるものである。この場合、[草64]については、かつては浅草地区で大きなループを描いており、途中止まりを設定しづらいことから、池袋駅東口→三ノ輪二丁目止まりが設定されていた。浅草の相当手前だが、道路を使って簡単に折り返せるポイントがそこしかなかったのだろう。かつては専用の幕表示もあったが、現在は設定が消滅した。
また、隅田川花火開催時は浅草六丁目止まりの設定がある。規制区間手前で止まり、路上Uターンする姿も場合によっては見られる。
平成15年以降しばしば設定されるのが二天門止まりと東武浅草駅(浅草松屋)止まりがある。二天門止まりは「吾妻橋~馬道が通行止めだがこの区間をイベントで使わない場合」に設定され、正月や三社祭などで比較的多く見られる。二天門の停留所自体は規制区間内にあるが、都営バスだけ特例で入り、都立産業貿易会館台東館前の正規の二天門で終点となる。かつては、ここから路上転回して北上したこともあったが、現在は左折して台東館の脇・花川戸公園を抜け、江戸通り・言問通りと回って浅草六丁目に戻っている(左図)。
東武浅草駅止まりは、「通行止め、かつイベントで使う場合」で、サンバカーニバル等が該当する。このときは浅草六丁目から言問通りに左折し、言問橋の手前で右折して江戸通りに入り、[東42甲]の東武浅草駅付近で終点となる。バスは吾妻橋・言問橋を使って元の向きに折り返すというものである。
これらの行き先は別個に用意されており、それぞれ専用のLED表示もある。かつては「浅草雷門」幕で紙貼りの行き先というのが定番だったが、LED車が大半になり、行き先のバリエーションを多く設定できる利点を活かしているのだろう。二天門行きは近年になって「浅草・二天門」という行き先表示になり、分かりやすさも目指しているようだ。