都営バス資料館

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担当営業所

杉並営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
阿佐ヶ谷駅~鍋屋横丁~新宿駅西口~四谷見附~隼町~銀座4~豊洲埠頭  20.967km
新宿駅西口~四谷見附~隼町~銀座4~豊洲埠頭  14.367km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
6 S32.12.15 堀ノ内 14.726km 阿佐ヶ谷駅~新宿駅西口~日比谷~築地3が開通
6 S38. 3.28 堀ノ内 18.343/19.543km 築地3~勝どき2~晴海アパート~豊洲埠頭(現豊洲駅)を延長
6 S38. 8.10 堀ノ内 19.543km 一部経路変更
6 S39.10.10 堀ノ内 20.943km 晴海埠頭入口(現晴海3)~晴海埠頭間を往復するように経路変更
6 S40. 6.10 堀ノ内 20.943km 麹町~三宅坂を半蔵門経由から隼町経由に変更
6 S41.11.30 杉並 20.943km 堀ノ内営業所の杉並営業所への移転改称に伴い、杉並に移管
6 S43.11. 1 杉並 21.192km 中野坂上~新宿駅西口を副都心経由に変更
6 S45. 3.27 杉並 ***  阿佐ヶ谷駅~豊洲埠頭を廃止

路線概要

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 豊洲埠頭(現豊洲駅)と阿佐ヶ谷駅を結ぶ。晴海通り・新宿通り・青梅街道と結ぶため、路線の大半が杉並の他系統と重複していた。そのため、[銀71](新宿駅西口~晴海埠頭:当時)や、[東75]・[304](晴海埠頭・東京駅南口~清水・東伏見)の項も参照のこと。杉並管内の一般路線では、最も東側である豊洲まで達するのが特徴であった。末期は本数が多いとは言えず、朝夕を中心とした運転だったようだ。
 豊洲埠頭の折り返し方法は当時どのようにして行っていたかは不明だが、晴海通りの路上からの出発となっていた。その後は晴海通りを上り、豊洲郵便局(現IHI)・晴海埠頭入口(現晴海三丁目)を通るのだが、ここで直接都心方面に向かわず、貿易センター(後のほっとプラザはるみ入口)・晴海埠頭を一旦経由して、埠頭内を一往復していたのは興味深い。
 ここからは勝どき・築地・銀座を経由する。[銀71]と重複する経路となるため、そちらも参照のこと。数寄屋橋の先では[東75]の経路と合流する。 [東75]と同様に、三宅坂~麹町の区間は半蔵門を通らずに、裏手の隼町を経由していたのは特筆すべき事項だろう。ここを過ぎると新宿駅東口経由で新宿駅西口に向かった後、青梅街道を下る。杉並車庫を過ぎると、現在の[渋66](渋谷駅~阿佐ヶ谷駅)と同じく杉並区役所で右折し、阿佐ヶ谷駅の南口ターミナルで終点となっていた。

歴史

 阿佐ヶ谷駅から青梅街道・新宿通りを経由して築地までの区間が昭和32年12月に開通した。昭和32年7月まで[6]を使っていた阿佐ヶ谷駅~代田橋が共同運行として[131]に変更されたため、空き番号となっていたのを流用したので、同じ阿佐ヶ谷駅を発着しているが相互の関連性は特にない。
 [304](四面道~晴海埠頭前、[東75]の項を参照)の補完として開通したと思われるが、この系統は急行運転を行っていたのが特徴である。阿佐ヶ谷駅~新宿駅東口までは各停留所に停車し、以降は新宿三丁目・四谷三丁目・四谷見附・日比谷・銀座四丁目・築地のみに停車だった。本数は限定的で、昭和35年の記録では阿佐ヶ谷→築地方面が12回、うち8時台に7回となっているので、朝夕ラッシュ時のみの運転だったのは間違いないだろう。他の系統と同じ一般系統枠なのが面白いが、[35](新宿駅西口~築地中央市場→[市02])も同じような急行だったことを考えると、一般急行系統は特に区別していなかったのだろう。
 昭和38年には築地から豊洲埠頭(豊洲駅)まで延長される。堀ノ内(杉並)所管としては最も東まで行く系統となった。この地区への通勤需要も兼ねていたと考えられ、昭和38年のデータでは6:30~9:15、16:00~18:00で阿佐ヶ谷駅発着と新宿駅西口発着が同数程度運転されていた。昭和39年には晴海埠頭入口(晴海三丁目)~晴海埠頭を往復するように変更されたが、これも通勤需要に伴うものかもしれない。この辺りより、停車停留所に新宿追分・麹町四丁目・麹町二丁目が追加されている。また。銀座四丁目から豊洲方面は各停留所停車となっていた。
 この後も系統の細かい経路変更は2回あり、昭和40年6月には麹町~三宅坂で[300][304]と同様に隼町を経由するようになった(→[東75]の項を参照)。[300][304]と同じ系統群という扱いだったのだろう。さらに昭和43年11月には新宿駅西口付近で副都心(中央公園入口)経由をするようになった。この経路については、[王78]の項を参照のこと。この系統が選ばれたのが謎だが、他に比べて本数が少なく、影響が少ないと思われたのだろうか。 この系統も、[300][304]と同じく、昭和30年代後半からは丸ノ内線の全通によって大部分が重複するようになり、長距離を走る意義は低下していたと思われる。それでも晴海・豊洲まで直通するというのは地下鉄にはない利点だったのだろうが、昭和43年2月に新宿~月島の都電を廃止した辺りで全停留所停車になり、大幅な急行運転という利点も失われてしまった。昭和44年のデータでは全線所要時間が75分となっており、通勤として使うにはいささか時間がかかる系統になっていた。結局、昭和45年3月の青梅街道筋の改編実施時に全線廃止されてしまった。

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