車庫の概要
大塚支所は、地下鉄茗荷谷駅の隣、春日通り沿いに位置する。周辺一帯は、車庫に隣接して跡見学園(高校・女子大)があるのをはじめ、お茶の水女子大学やその附属学校、拓殖大など多くの学校があり、文教地区となっている。春日通りを走る都市新バスグリーンライナーこと[都02]と、その裏通りを走る[上60]の2系統を所管している。かつては営業所だったが、再開発により敷地が幾分縮小し、規模縮小に伴い現在は支所格となり、平成27年3月をもって廃止された。かつては学バスを3系統も所管していたのも特徴であった。大塚の営業所の文字は「G」。戦後に品川から時計回りに付番したときに7番目の車庫であったためである。
基本データ
住所 | 大 塚…文京区大塚一丁目4番地2号 (昭和41年4月1日住居表示実施) |
開設期間 | 大 塚…昭和3年9月29日~ |
交通機関 | 大 塚…バス:大塚車庫 鉄道: [地下鉄]茗荷谷 |
基本配置 | 大 塚…旧基本車種:いすゞ(川崎重工)、旧合成音声機:レシップ、旧次停留所機:クラリオン |
沿革
年月日 | できごと |
T13. 1.18 | 上富士前派出所を開設 |
T13. 1. 28 | 大塚派出所を開設 |
T13. 8. 1 | 大塚派出所を上富士前派出所に統合 |
T14. 6.12 | 上富士前派出所を上富士前出張所に変更 |
T14.12.29 | 上富士前派出所を駒込出張所に移転改称 |
S 3. 9.29 | 駒込出張所を大塚出張所に移転改称 |
S 5. 8.27 | 大塚営業所に名称変更 |
S19.11.19 | 滝野川営業所を格下げ、大塚営業所滝野川分車庫とする |
S20. 6.16 | 練馬営業所を格下げ、大塚営業所練馬分車庫とする |
S21. 4. 1 | 大塚営業所練馬分車庫が練馬営業所に格上げ |
S24. 3.30 | 大塚営業所滝野川分車庫が滝野川営業所に格上げ |
S34. 5.27 | 大塚営業所志村分車庫を開設 |
S36. 1. 1 | 大塚営業所志村分車庫を大塚営業所志村支所に格上げ |
S41. 5.21 | 大塚営業所志村支所が志村営業所に格上げ |
S43. 2.25 | 大塚営業所巣鴨支所を開設 |
S46. 3.18 | 大塚営業所巣鴨支所を巣鴨営業所に格上げ |
H20. 4. 1 | 大塚営業所を巣鴨営業所大塚支所に格下げ |
H27. 3.30 | 大塚支所を閉所 |
歴代所管一覧
年月日 | 所管開始時の区間 | 所管開始 | 所管終了 | 備考 |
9 | 池袋駅東口~王子駅 | S21. 3.15 | S24. 3.29 | →移管(滝野川) |
10 | 王子駅~荒川土手 | S21. 3.15 | S25年度前半 | →移管(滝野川) |
8 | 王子駅~浅草寿町 | S22. 5.15 | S24. 5.31 | →統合(9) |
105 | 志村橋~東京駅北口 | S22. 6.25 | S24. 3.29 | →移管(滝野川) |
17 | 荒川土手~上野広小路 | S23.12.15 | S24. 7.31 | →移管(滝野川) |
105 | 志村橋~東京駅北口 | S22. 6.25 | S34. 5.26 | →移管(志村) |
50→学07 | 御茶ノ水駅~東大 | S24. 7. 1 | H19. 3.25 | →移管(巣鴨) |
51→学01 | 上野駅~東大 | S24. 7. 1 | H19. 3.25 | →移管(巣鴨) |
116 | 川口駅~上野~東京駅八重洲口 | S24. 8. 1 | S24. 9.30 | →移管(滝野川) |
117 | 上板橋~東京駅北口 | S24. 9.15 | S46. 3.16 | →移管(志村) |
127 | 志村橋~浅草寿町 | S25.11. 1 | S34. 5.26 | →移管(志村) |
54→学04 | 池袋駅東口~教育大学 | S26. 9.15 | S54.11.22 | 廃止 |
46 | 御茶ノ水駅~虎ノ門 | S27. 7.29 | S29. 9.19 | 廃止 |
60→茶60 | 池袋駅東口~水天宮 | S28. 6.15 | H 2. 7.20 | →変更(上60) |
43 | 池袋駅東口~浅草寿町 | S33. 9.18 | S44.10.25? | →移管(巣鴨) |
104 | 成増駅~東京駅北口 | S37 | S46. 3.16 | →移管(志村) |
517→楽67 | 池袋駅東口~数寄屋橋 | S43. 2.25 | S57.12.25 | →短縮(池67) |
516→塚20→都02 | 大塚駅~錦糸町駅 | S46. 3.18 | H27. 3.29 | →移管(巣鴨) |
池67→都02乙 | 池袋駅東口~一ツ橋 | S57.12.26 | H20. 3.30 | →移管(巣鴨) |
上60 | 池袋駅東口~上野公園 | H 2. 7.21 | H27. 3.29 | →移管(巣鴨) |
上26 | 亀戸駅~上野公園 | H 2. 7.21 | H19. 3.25 | →移管(南千住) |
急行02 | 大塚駅~春日駅 | H12.12.12 | H14.11.30 | 廃止 |
車庫の歴史
▲小石川区全図(明治40.1 大倉書店)
大正13年の東京市バス創設時から現在地に近いところに車庫があり、都営バスの中でも有数の歴史を誇る営業所である。当初は上富士前・駒込と移転を繰り返したが、仮設のバス車庫だった事情もあるのだろう。昭和3年9月に現在地に移転してきて以来は、本設のバス車庫として、現在に至るまで位置は変わっていない。
実は、大塚の敷地は、バス車庫になる前の明治45年から大正3年までの間、市電の車庫として使われていた。市電は、明治43年に市電が春日方面から大塚窪町(現大塚二丁目)まで延伸され、大正2年には大塚駅まで延伸されている。そして、昭和3年に市電の車庫が大塚駅南口近くに移転し、跡地をバス車庫として転用したという具合である。ちなみに、大塚車庫という電停の名称も、車庫の移転に伴い大塚駅付近の新しい車庫前の電停に譲り、(旧)大塚車庫電停は文理科大学(→東京教育大学)へと改称された。
車庫の西側には、隣接して磐城平藩安藤家下屋敷の跡地を転用した陸軍用地があり、明治13年に陸軍病馬厩、明治22年に大塚陸軍弾薬庫(後に陸軍兵器支廠)があった。当時は通り沿いに陸軍用地の長い塀が連なっていたと言う。昭和7年にその地に東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)が、車庫の南側には昭和8年に跡見学園が移転し、文教地区の趣が色濃くなっていった。
▲火災保険特殊地図 小石川区(都市製図社、昭12)
▲国土変遷アーカイブ(陸軍撮影、昭11)
戦前の地図を見ると、車庫の敷地は春日通りに面した部分のみで、奥の部分は車庫の敷地ではないように見える。当時としてもかなり手狭だったのではないだろうか。昭和11年と昭和22年の航空写真では、現在と同様に春日通りに面して営業所の建物と南側の格納庫がある。敷地の東側に隣接して細長い車庫の屋根が見え、その右下は空き地となっている。上記の地図とは建物の配置が幾分異なっているのが気になるところだが、実際は南側の部分まで敷地だったのだろうか。
▲goo 地図(米軍撮影、昭22)
昭和30年の航空写真ではこの空き地が車庫と一体化しており、昭和20年代に拡張されたものと推測される。
開設当初は、城北方面唯一のバス車庫であり、本郷通り・春日通りの系統を中心に都心から北~北西方面の系統を所管した。昭和5年では[8](巣鴨駅~日比谷)、[10](東京駅~御茶ノ水駅~団子坂下~上野公園~須田町~東京駅)、[15](大塚駅~上野広厩橋~雷門)の3系統を所管していたが、昭和6年に開通した高田馬場駅~江戸川橋~東京駅、大塚駅~護国寺~江戸川橋~東京駅や昭和8年開通の[55](高田馬場駅~西大久保)も所管していたのが面白い。これらは昭和12年に小滝橋営業所が開設されると、そちらに移管されたものと思われる。
ただ、昭和15年現在でも[8](青山六丁目~新宿旭町~早稲田)という明治通り沿いの外周系統を渋谷と共管しており、小滝橋とのバランスを取っていたのかもしれない。それ以外は、以前とは路線が多少組みかえられたものの[17](大塚駅~雷門~向島)、[18](大塚駅~春日町~東京駅)、[19](巣鴨駅~帝大農学部~御茶ノ水駅~東京駅~大門)という本郷通り・春日通りの系統を所管しており、昭和16年4月の改編で[20](御茶ノ水駅~駒込坂下町(現千駄木三丁目))を所管するようになった。
▲市バス路線図(昭15.1)
昭和17年1月の市内交通一元化で、山手線内などの交通は電気局(交通局)が運行することになったが、管内には競合路線が少なかったこともあり、[11]大塚辻町(現新大塚)~池袋駅~新宿旭町を受け入れた程度であった。代わりに巣鴨駅~大門は巣鴨駅~新橋駅に短縮した上で浜松町営業所に移管している。
だが、戦争による物資不足とともに市電(昭和18年以降は都電)並行区間を中心にバス路線は大幅削減されることになり、春日通りを通る系統は真っ先に廃止対象となった。現文京区は都電が主要な通りに走っていたことから、昭和19年5月の改正では車庫の近辺を通る路線は全廃されていた。当時の大塚の担当系統は不明だが、可能性があるとすれば池袋駅~新宿旭町の系統くらいだろうか。
興味深いのは、営業所が閉鎖にならず、むしろ戦災等で他の営業所の機能を吸い取って城北の基幹営業所に転化していったところである。昭和19年11月には滝野川営業所(現北営業所)が、昭和20年6月には練馬営業所が大塚の配下になり、滝野川・練馬は分車庫格になった。山の手地区の空襲を経た昭和20年6月改正では都バスの運行系統は僅か12系統で、[4](練馬車庫~江戸川橋)を所管するのみだったと思われる。
昭和21年3月には路線の多少の復旧が行われ、練馬が営業所に復帰した。大塚は[9](池袋駅~王子駅)、[10](王子駅~荒川土手)の2路線を所管した。
戦後、昭和22年5月には[8](王子駅~浅草寿町→[草64])が、6月には初の都心郊外の共同運行路線として[105](志村橋~東京駅北口→[東55])が、昭和23年には[17](荒川土手~上野広小路→[東43])が、さらに昭和24年には学バスの[50][51](御茶ノ水駅・上野駅~東大→[学07][学01])が順次開通し、路線の復旧・開設が進んでいった。
昭和24年3月には滝野川が営業所格に復旧し、[105]はじめ車庫近辺を通らない系統が滝野川に年内に順次移管され、その余力で、昭和24年には[117](上板橋~大塚駅~東京駅→[東52])が、昭和25年には[127](志村橋~池袋駅東口~浅草寿町)が、それぞれ現在の国際興業との相互乗り入れ系統として開通した。この時点の所管系統は学バスの[50][51]と[117][127]のみであったが、昭和26年に学バス[54](池袋駅東口~教育大学→[学04])、昭和28年に[60](池袋駅東口~水天宮→[上60])、昭和33年に[43](池袋駅東口~浅草寿町→[草63])が順次開通した。
昭和34年5月には、大塚の配下として志村分車庫が開設され、 [105][127]は志村に移管された。昭和41年に志村は営業所に格上げされて独立したが、志村の詳しい歴史は志村営業所の項を参照されたい。また、昭和37年頃には、[104](成増駅~池袋駅東口~東京駅北口→[東50])を小滝橋から受け入れているが、共同運行路線中心というよりは営業所周辺のローカル系統を主に所管する営業所となっていた。
営業所としての役割が大きく変わるのは、都電廃止による代替系統の新設である。
春日通りの都電は、16系統(大塚駅~錦糸町駅)と17系統(池袋駅~数寄屋橋)があったが、昭和43年に17系統が、昭和46年に16系統が廃止され、それぞれバスによる運行となった。いずれも本数の多い系統であり、バス代替にあたり90両もの車輛を必要とした。このため、 [104][117]は志村に、[43]は昭和43年新設の巣鴨(後述)に押し出され、残ったのは学バス3系統と[60]の4系統のみとなった。それでも、志村を分離した直後の昭和35年度末の一般車は66輛だったのが、昭和45年度には131輛と倍増している。車庫の面積自体は変わっておらず、かなり窮屈に車を詰め込んでいたのだろう。なお、昭和40年代に車庫内の細長い屋根の格納庫が廃止され、大部分が露天になっているが、これも多くの車を格納させる目的もあったのかもしれない。なお、昭和45年の住宅地図を見ると、車庫の敷地の奥には交通局の大和寮があったようだ。
都電代替系統中心の所管となったためか、他の営業所と異なり、昭和50年代の大規模な廃止・短縮が行われた時期にも所管路線はほとんど変化していない。都電代替の[516](→[塚20])、[517](→[楽67])がは大塚管内の二枚看板として君臨していた。だが、前者が昭和61年に都市新バス化され、トップクラスの乗客数を誇る看板路線として君臨し続けているのに比べ、後者は昭和49年の有楽町線の開業以降落ち込みが激しく、昭和57年に [池67](池袋駅東口~一ツ橋)に短縮、平成2年に文京区役所(現春日駅)以南をほぼ切り捨てて [都02乙]となるなど、その後の歩みは対照的である。
これ以外では、平成2年に[茶60]が [上60](上野公園~池袋駅東口)に組み替えとなったほか、やや車庫から離れてはいるが[上26](上野公園~亀戸駅)を新たに所管するようになった。
平成12年12月、都営大江戸線の全通によって、路線の半分以上で並行する[都02]にも大きな影響を受けることが予測されたが、減便のみで乗り切っている。このとき、大江戸線との連絡を目論んで平日朝夕に[急行02](大塚駅~春日駅)が開業したが、乗客数が振るわなかったのか2年弱で廃止された。
このように[都02]を中心に安定した歴史を歩んできた大塚に転機が訪れるのが、茗荷谷駅周辺地区の再開発計画の進展である。平成3年に茗荷谷駅前地区第一種市街地再開発事業の準備組合が設立された。当初の計画文には都バス車庫の高度化という一文もあり、車庫と一体での高層化なども構想していたものと思われる。しかし事業は遅々として進まず、平成16年にようやく都市計画決定となった。大塚車庫についてはL字型の敷地のうち道路から奥まった部分が再開発用地に供出され、車庫は細長い敷地を残すのみとなった。
これに伴って系統移管が順次進められることとなり、平成19年3月で[学01][学07]が巣鴨に、[上26]が南千住に、平成20年3月には[都02乙]も巣鴨に移管され、現在も残るのは[都02]と[上60]の2系統のみとなっている。車輛数も減少したことから、平成20年4月からは巣鴨の支所に格下げとなった。巣鴨が大塚の支所として誕生したことを思うと、立場が入れ替わったことになる。
再開発は順調に進み、中核の高層マンションも含めて平成23年に完成した。交通局も春日通り沿いに2階建ての「茗荷谷交通ビル」を完成させ、新たが跡見学園関連の施設などがテナントとして入居している。
春日通り側から車庫を見ると、古くからの営業所の建物や格納庫がそのまま残っており、眺めはさほど変わっていない。変わったところと言えば、近年の春日通りの拡幅で、歩道から営業所の(旧)定期券売り場窓口がなくなったことだろう。しかし、平成19年に交通局が公表した巣鴨自動車営業所活用の検討の中で、大塚を廃止することが明言され、そして平成25年に発表した「経営計画2013」では、大塚支所は平成29年度に利活用開始予定とされた。
通りから見える営業所やその奥の建物の竣工は昭和4年頃となっており、開設時からの建物がそのまま使われていたが、平成27年3月29日限りで所管系統は巣鴨に移管し、80年以上刻んだ歴史を閉じた。平成28年度は解体が進んでいる。