都営バス資料館

×119

[119]

担当営業所

新宿営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
武蔵境駅南口~吉祥寺駅~永福町~新宿車庫~新宿駅西口~四谷見附~東京駅南口 26.510km
武蔵境駅南口~吉祥寺駅~永福町~新宿車庫~新宿駅西口
出入 武蔵境駅南口~吉祥寺駅~永福町~新宿車庫
系統 年月日 営業所 距離
119 S24.12.25 新宿 26.490km
119 S37. 6.10 新宿 26.510km
119 S45. 3.21 新宿 *** 

路線概要

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 東京駅南口から新宿駅西口を経由して武蔵境駅南口までを結ぶ長距離系統である。京王・小田急の3社局で共同運行を行っていた。
 東京駅南口を出ると都庁(現国際フォーラム)の脇を通り抜けて有楽町駅に停車し、そこから晴海通りを右折して日比谷に出る。昭和40年までは急行系統らしく、東京駅の次は日比谷となっていた。末期は有楽町駅にも停車したが、都庁前の停留所については廃止まで通過していた。日比谷からは内堀通りを経由して三宅坂、半蔵門を通り、半蔵門からは新宿通りを通って新宿駅東口経由で新宿駅西口に達していた。この区間も一部停留所は通過となっており、末期に都電が廃止されて代替されると各停留所に停車するようになった。
 新宿駅西口からは、現在が小田急単独で運行している[宿44](新宿駅西口~武蔵境駅南口)と同じ経路となる。ただし、新宿駅西口の乗り場は異なり、武蔵境駅行きは京王百貨店前の22番乗り場、東京駅行きはロータリーの島中の5番乗り場からの発車だった。
 甲州街道に出た後は代田橋まで直進し、そこから井の頭通りに入って水道横丁停留所に停車する。かつて和田堀給水所から新宿副都心になった淀橋浄水場まで送っていた水路の名残でもある。代田橋からここまでは停留所間隔が開いており、途中に「和田堀給水場」という停留所があったが、末期は廃止されていた。
 ここからは、ほぼ直線に引かれた井の頭通りを走る。段々と郊外の住宅街という趣になってくる。永福町では井の頭線の駅に接して京王バスの車庫が左手に見える。西永福からは他の系統の並行も少なくなり、浜田山駅入口で人見街道と別れ、都立西高校が左手に見える辺りでは、交差して荻窪・西荻窪駅に向かう関東バスの姿を多く見かけることができる。そして左手に小田急バスの吉祥寺営業所を通り過ぎ井の頭線の高架をくぐったところで吉祥寺駅南口の停留所となる。
 バスは左折して吉祥寺通りを進む。突然周囲の緑が深くなり、井の頭公園の中を通り抜ける。下連雀で右折して連雀通りに入り、武蔵境駅南口を終点とした。

歴史

 昭和24年12月に全線が開業した。当初から都営・小田急・京王の3社局での共同運行となっていた。都営と小田急は、もともとエリアの接点が他社に比べると少ないため相互乗り入れ系統も多くなかったが、その中でも有名な系統がこの[119]である。小田急バスの母体となった武蔵野乗合は、戦前に三鷹から調布一帯にかけてのエリアを運行していた中小規模の会社で、戦中の事業者統合の流れの中でもそのまま残った。終戦後は業績不振で国際興業の配下となったものの、国際興業側も傍系のバス会社のエリアを維持できるだけの余裕がなかった。そこで、まだ直営のバス部門がなく、沿線の路線開発をしたいが新たにバス会社を起こすことがエリア上困難だった小田急との思惑が一致し、昭和25年9月に譲渡され、社名を小田急バスとして小田急グループの一員となった。
 この路線は前身の武蔵野乗合時代に引かれた路線で、都心へ直通できるチャンスとして手を挙げたのだろう。ただし、武蔵野乗合のエリアと言えるのは吉祥寺駅までで、そこから新宿駅までは京王のエリアだったこともあり、都心への路線を強化したい京王の思惑とも一致して3社協定になったと思われる。3社協定での共同運行は、都営・西武・関東という組み合わせで既に例があったが、都営・小田急・京王は初であった。もっとも、長距離ゆえ本数はあまり多くなく、昭和27年度では3社局合わせて1日55回となっている。おおむね20分間隔での運転だったのだろう。
 路線廃止後も、新宿駅西口から西側は小田急バスが引き続き運行を継続した。沿線、特に新宿・渋谷といった大ターミナルの乗り入れは小田急にとっても重要な地区だったのだろう。昭和25年11月には小田急は京王と共同で新宿三光町~三軒茶屋(現[下61]北沢タウンホール~駒沢陸橋)を開通させており、新宿への乗り入れを推進していたことが窺える。
 開通後はほとんど変更がなかった。路線長25kmを超す長距離路線だったこともあったのかか、末期まで山手線内は急行運転を維持し続けており、新宿駅西口を出ると、新宿駅東口・新宿一丁目・新宿三丁目・四谷三丁目・四谷二丁目・四谷見附・麹町四丁目・麹町二丁目・三宅坂・桜田門・日比谷・東京駅南口の順に停車していた(昭和40年現在)。近距離でこまめに停まる役割は、並行する都電が担っていたのであろう。
 本数は30分に1本程度はあった模様で、出入庫はそのまま新宿車庫(現東京オペラシティ南)で打ち切りとなっていたようだ。しかし、渋滞には勝てず、長距離・相互乗り入れ路線の見直しが行われる中で、昭和45年に廃止されてしまった。丸ノ内線が新宿まで延伸した時期に東京駅から茅場町まで延長する協議もなされたが、結果的に不発に終わった。
 それでも、今でも新宿駅西口から先について武蔵境駅までそのままの形で路線が残っているというのはかなり珍しいと言えるだろう。路線廃止時に京王も手を引いて、小田急バス唯一の新宿駅西口発着の定期路線として残り続けている。それだけ新宿駅発着の地位は重要ということだろうか。
 今でも小田急ハルクの前、箱根に向かう小田急箱根高速バスが賑わいを見せる中、1日8本にまで減り車輛も小型化されて必要最低限だけ走っているとも言えるが、発車時刻が近くなると、どこからともなく乗客の列ができて、沿線の客に利用されている。
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