都営バス資料館

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担当営業所

江東営業所

運行区間

系統 区間 距離 備考
市川駅~小岩駅入口~京葉交差点~錦糸町駅~浅草橋~東京駅北口 18.385km
市川駅~小岩駅入口~京葉交差点~錦糸町駅 13.250km

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
107 S22. 6.25 江東 18.250km 市川駅~京葉交差点~錦糸町駅~東京駅北口が開通、京成と相互乗り入れ
107 S25.10.29 江東 27.500km オートレース開催時に限り船橋駅~市川駅を臨時延長
107 S25.12. 1 江東 18.250km 臨時延長分を短縮
107 S26 江東 18.385km キロ程修正?
107 S45. 8.16 江東 *** 市川駅~東京駅北口を廃止

路線概要

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 市川駅から東京駅へと、主に現国道14号を経由して結んだ路線である。京成と相互乗り入れとなっていた。市川から都心方面といえば、平成8年まで残っていた[上34](上野広小路~市川駅)が有名だが、もう一つの相互乗り入れ系統が存在したのである。
 市川駅から市川橋を渡り、現江戸川交差点を左折し
て一里塚・小岩方面へと向かう。千葉街道を直進し、八蔵橋で左折し、京葉交差点を右折して京葉道路を直進し、亀戸駅通り、錦糸町駅、両国駅(入口)と総武線に沿って進み、浅草橋で左折して江戸通りに入る。室町三丁目で中央通りと交差するが、中央通りには入らず直進し、日銀前から呉服橋にショートカットして国鉄線をくぐり、東京駅北口を終点としていた。

歴史

 昭和22年6月に開通した都心・郊外を直通する相互乗り入れ系統の第一期生の7系統のうちの一つであり、唯一の城東方面への乗り入れ路線でもあった。京成ではその名も「東京線」と命名し、奥戸営業所が所管した。この当時、総武線中距離列車は両国駅をターミナルとしており、各駅停車でさらに秋葉原の乗り換えが必要であったため、東京駅まで乗り換えなしに直通できるこの系統の魅力は大きかったらしい。昭和22年7月には[107折]として東小松川~東京駅という路線が設定されており、都営独自に輸送力増強を図ったものと思われる。それだけ輸送が好調だったのかもしれない。
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▲昭和25年3月現在
 開業当初の停車停留所は、市川駅を出ると、一里塚・小岩駅通り・二枚橋・菅原橋・東小松川四丁目・小松川橋・亀戸七丁目・亀戸駅通り・錦糸堀(錦糸町駅)・緑町三丁目・両国駅(入口)・浅草橋・室町三丁目・東京駅降車口(北口)のみ停車となっていたが、段階的に停車停留所が増加し、昭和30年頃にはほぼ各停留所停車となっていた。ただし、都心側は東京駅北口の次は室町三丁目というのは廃止時まで変わらず、短距離輸送は都電に任せていたことが分かる。なお、当初は小松川橋~八蔵橋(江戸川区役所)は小松川橋から狭い旧千葉街道に直接入っていたようだが、昭和30年代に京葉交差点経由に変更されている。
 昭和25年の一時期には「オートレース開催時に限り船橋駅まで延長」という記載が残っている。そのまま市川駅から千葉街道を東に進んだと考えられ、都営バスの一般路線では最も東に達した系統と言える。残念ながらこの延長はワンシーズンで終わってしまったようだ。
 昭和40年では東京駅発着は都営担当分で45往復、特に小岩地区~錦糸町地区の乗客数が多かったが、渋滞等の影響もあったのだろう、昭和45年に廃止され、相互乗り入れ第一期生の中では最初に消えた系統となった。[128](小岩駅~新橋駅→[錦27])も並走しており、廃止しても影響は小さいと考えられたためであろう。
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▲バスルートマップ(運輸経済研究センター)
 このとき、京成は小松川以西を切り捨てたものの、市川駅~小岩駅入口~菅原橋(←大杉小学校、江戸川電話局→)江戸川区役所という形で路線を残し、後に[小74]という系統番号が付けられた。小岩駅を通っていないのに「小」はないと思うが……。しかし、沿線地域には小岩駅・新小岩駅へのバス便が発達しており、[小74]単独の停留所は東小岩三丁目と都営住宅付近(大杉小学校~江戸川区役所)だけである。わざわざ江戸川を渡って市川駅にまで出る需要はあまり無かったのであろう、結局、昭和54年ごろ廃止されてしまった。

アンヒビアン

 昭和22年の開通直後、9月15日~16日にかけて関東・東北に被害をもたらしたカスリーン(KATHLEEN)台風が東京の下町を襲った。台風の勢力自体はさほど強くなかったものの、前線との相乗効果手で歴史的な大雨が続き、埼玉県東村(現大利根町)の利根川堤防が決壊し、他数箇所でも決壊し、下流の町を呑み込んでいった。19日から20日にかけて下町が広く水没し、死者行方不明者あわせて1,900人以上、罹災者40万人以上、浸水387,000棟と甚大な被害となった。
 江戸川区内は1週間ほど数十センチの浸水が残り、バスの運行はしばらく休止を余儀なくされた。交通局は開通したばかりの[107]の復旧を重要視しており、秘策として米軍の保有する水陸両用のトラック(アンヒビアン)を借りて運行を再開することを検討した。しかし、浸水した亀戸駅~小岩駅で試験を行ったところ、運行自体は問題なかったものの、千葉街道の部分の道路幅が狭く、船状態のトラックが起こす波で民家の塀が壊れてしまい、残念ながら実用化には至らなかった。なお、このアンヒビアン自体は普通のバスとして使うことになり、船形の部分や水上走行用のプロペラ・排水ポンプ等は全て撤去され、大型のキャブオーバー(フロントエンジンだが運転席がエンジン部を覆う形状)バスに改造された。実用化されていれば水陸両用バスとして働いていたのかもしれないが、さすがにそこまではうまく行かなかったようだ。
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▲アンヒビアン水陸両用自動貨車
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▲アンヒビアンを用いたキャブオーバーバス(昭和23年)
(いずれも都バス50年史より)

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