都営バス資料館

×530

[530]

担当営業所

青戸支所

運行区間

系統 区間 距離 備考
東向島広小路~向島2~浅草寿町~上野広小路~須田町
青戸車庫~東向島広小路~向島2~浅草寿町~上野広小路~須田町

年表

系統 年月日 営業所 距離 概要
530 S44.10.26 青戸 都電30系統を代替、東向島広小路~須田町が開通
530 S46. 1. 1 青戸 *** 東向島広小路~須田町を廃止

路線概要

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 都電30系統の代替バス。都電区間と同じく須田町から上野・浅草経由で東向島広小路を結んだが、両端で路上転回ができないのでそれぞれループ状に折り返していた。
 東向島広小路から本所吾妻橋・浅草雷門・上野駅で須田町に向かう素直な線形だった。それぞれの区間については、[草39][上46][上23]の路線概要を参照のこと。
 両側の終点ともに折返所がないため、須田町側は外神田五丁目から右折し、中央通りの一本西の道路を走って昌平橋を渡り、淡路町・須田町・秋葉原駅経由で折り返していた。この区間は[錦37]の項も参照のこと。東向島広小路側は東向島広小路手前の東向島三丁目交差点から(東武)曳舟駅脇の向島郵便局前を通って曳舟川跡の道路に出て、京成曳舟駅を右に見ながら明治通り経由で東向島広小路に出ていた。なお、出入庫についてはこのような折り返し方法ではなく、直接水戸街道を直進して青戸車庫発着となっていた。

歴史

 本所吾妻橋から向島に向かう市電は昭和6年3月になってからの開業と、市電・都電の歴史を通じてもあまり古い区間ではない。戦前は三田~(日比谷通り)~小川町~淡路町~上野広小路~向島と、戦後の37系統(三田~上野駅)と合体したような姿で長らく運行されていた。昭和19年5月の全線改編を機に分離されて須田町~向島となり、東京大空襲による戦災の後昭和21年に上野広小路~向島として復旧、以後須田町まで延伸され、昭和25年12月には向島の終点が東向島広小路付近まで延伸。戦後は30系統として同じ区間を結んだ。東向島広小路というのはやや中途半端な終点で、その先の四ツ木橋も都電の延伸を考慮した車線構造になっていたが、結局これ以上軌道が延伸されることはなかった。
 下町の都電の中では比較的早めの昭和44年10月の路線撤去時に廃止された。水戸街道の道路交通の支障になっていたか、もしくはバスが並行して走っているため廃止しても影響が少ないと判断されたのかもしれない。昭和43年の廃止直前の調査では、向島(東向島三丁目)~本所吾妻橋は128回、そこから須田町までは100回弱となっている。
しかし、この路線は都電のネットワークの中の1系統だから意味があったのであり、バス代替系統として単独で切り出しても意義は少なかった。水戸街道には都心直通系統として[69][109](金町駅~東京駅北口・上野広小路)や[124](市川駅~上野広小路)が既に存在しており、中途半端な区間の[530]が生き残るのは無理な相談だったのだろう。結局、昭和45年末にわずか1年2ヶ月で全線廃止され、都電代替系統の廃止最短記録を打ち立ててしまった。

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