担当営業所
品川営業所
運行区間・運行回数
系統・枝番 | 起点、経由地、終点 | 備考 | キロ程(往/復) | 平日 | 土曜 | 休日 | |||
→ | ← | → | ← | → | ← | ||||
反96出入-1 | 五反田駅~御殿山 | 1.360km | 11 | 5 | 4 | 3 | 4 | 3 | |
反96 | 五反田駅~品川駅高輪口~魚籃坂下~三ノ橋~六本木駅~六本木ヒルズ | 7.060km | 39 | 39 | 40 | 40 | 40 | 40 | |
反96出入-2 | 品川車庫~品川駅高輪口~魚籃坂下~三ノ橋~六本木駅~六本木ヒルズ | 5.855km | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 |
現在
年表
系統 | 年月日 | 営業所 | 距離 | 概要 |
100 | S22. 6.25 | 品川 | *** | 洗足池~平塚橋~五反田駅~赤羽橋~東京駅南口を開通、東急と相互乗入 |
100 | S22. 9. 1 | 品川 | *** | 赤羽橋経由から品川駅~田町駅経由に変更 |
100 | S23.12.15 | 品川 | 15.447km | 雪ケ谷~洗足池を延長 |
100 | S41.11. 1 | 品川 | 16.547km | 丸子橋~雪ケ谷を延長 |
東90 | S54.12.17 | 品川 | 9.157km | 丸子橋~五反田駅を短縮、東急との相互乗入を中止。東京駅のターミナルを八重洲口に変更 |
反90甲 | H 2. 6.30 | 品川 | 1.960km | 品川駅~東京駅八重洲口を短縮、反90甲とする |
反96 | H 2. 6.30 | 目黒 | 6.770km | 反96一ノ橋循環(反90の項を参照)を分割、五反田駅~魚籃坂下~一ノ橋~溜池~虎ノ門~新橋駅として反96とする |
反90折 | H 2.11.26 | 品川 | 0.650km | 品川駅~御殿山ヒルズ(現御殿山ガーデン)を開設 |
反90甲 | H 4. 3. 1 | 目黒 | 1.960km | 甲・折返ともに目黒に移管 |
反96 | H 9. 9.30 | 目黒 | 5.310km | 南北線の溜池山王延伸により溜池~新橋駅を短縮 |
反90甲 | H10. 4.17 | 品川 | 1.960km | 品99・田99と交換する形で甲・折返ともに品川に移管 |
反96 | H10. 4.17 | 品川 | 5.310km | 同上、品川に移管 |
反96 | H12.12.12 | 品川 | 9.660km | 反96その1(五反田駅~溜池)、四92(品川車庫~四谷駅)と反90甲を統合、五反田駅~品川駅~三ノ橋~赤羽橋駅~慶応義塾大学~高輪台駅~五反田駅とし、反96とする。 |
反96折 | H12.12.12 | 品川 | *** | 品川駅~御殿山ヒルズを反96折返に系統番号変更 |
反96出入 | H14. 2.25 | 品川 | *** | 五反田駅→御殿山を開設 |
反96 | H14.12. 1 | 品川 | 6.020/ 5.680km | 反96を分割、五反田駅~品川駅~三ノ橋~赤羽橋駅を反96とする。 |
反96 | H18. 4. 1 | 品川 | 13.410km | 五反田駅~麻布十番駅~六本木ヒルズ循環に変更延長 |
反96折 | H19. 6. 1 | 品川 | *** | 品川駅~御殿山ガーデンを廃止、貸切系統に変更 |
反96 | H25. 4. 1 | 品川 | 麻布十番駅~六本木ヒルズを往復とも六本木駅に変更 | |
反96出入 | H25. 4. 1 | 品川 | *** | 品川車庫~赤羽橋駅、赤羽橋駅→五反田駅を廃止し、赤羽橋駅発着を全廃 |
路線概要
五反田駅から六本木ヒルズを結ぶ。五反田駅を出てかつてソニー通りと呼ばれた道路への交差点を左折すると東五反田一丁目停留所に到着する。この停留所は以前「五反田駅前」という名で、都営バスでは珍しい同一停留所2回停車であった。
坂道を登り始めると御殿山小学校。かつて「ソニー前」と呼ばれ、付近一帯のビルはソニー関連で占められていたと言う。現在はソニー本社も港南口側に移り、ソニー歴史資料館やテクノロジーセンターが残るのみである。坂を上りきると御殿山停留所。道路を挟んで反対側に並んで立つビルは、森トラストの御殿山ガーデンタワー、通称御殿山ヒルズ。マリオットホテルやオフィスビル・高級マンションが入居しており、品川駅からここまで都営バスが無料送迎バスを運行している。これについては別項にて紹介しよう。
また品川方面の停留所側には立派な塀が続き、塀の内側にはうっそうとした森が見える。これは開東閣(かいとうかく)と呼ばれ、旧岩崎家高輪別宅があった場所。現在は三菱グループのゲストハウスとして使われている。残念ながら一般公開はされていない。
塀に沿って進むと八ツ山橋で第一京浜と合流、右手から京浜急行線が寄り添ってくると品川駅高輪口となる。ここでの乗客の入れ替わりは多い。元々別々の系統だった名残とも言える。ここまでは[反90甲]、ここから先は[四92]であった区間を走る。
品川駅高輪口を発車するとバスは第一京浜を走り、都営地下鉄浅草線泉岳寺駅が見えてくると交差点を左折して伊皿子坂を登る。この辺りは田町電車区の再開発とともに山手線の新駅が予定されているころで、数年後には見違える姿になっているだろう。
坂の途中には義士祭の時期は特に賑わう泉岳寺の入り口があり、坂の頂上には高輪一丁目停留所。
ここから魚籃坂を下った先にあるのが魚籃坂下(ぎょらんざかした)。知らないと読むのは難しそうな名だが、交通局自身も停留所名を魚藍坂下と誤記してしまうことがたびたびあった。
魚籃坂下から先で片側3車線の広い道路を一の橋方面へとバスは進む。この道路は都道415号高輪麻布線という名だが、これだけの広さにもかかわらず通り名はない。近年の道路愛称の増加の中でもつけられず、麻布警察は便宜的に谷町志田町線と命名している。
麻布十番界隈を抜け、新一の橋交差点からは首都高と併走するように坂道を登っていく。この坂道は永坂と言うが、坂の名前は坂道よりも麻布十番の蕎麦屋「麻布永坂更科本店」という店のほうが知名度としては高いかもしれない。
坂道を登りきったところで飯倉片町となる。ここは都営バスでは珍しく復活した停留所で、大江戸線改編以前の[田70][反96]が使っていたが、平成12年に廃止された。平成18年に[反96]の経路変更で永坂を経由するようになったときにはこの停留所は設置されていなかったが、住民からの要望があり復活したようだ。
飯倉の交差点を左折して、東京タワーを背景に進み
外苑東通りを六本木方向へ。いつも賑やかなアマンド前の六本木交差点を左折し六本木駅に到着。ここでは大幹線[都01](渋谷駅~新橋駅)と共用で、渋谷車の洪水の中、品川車は微妙に形見が狭そう。ここを過ぎると左手に見えてくるのが六本木ヒルズ。六本木六丁目の交差点を左折し、六本木ヒルズの駐車場アプローチ路をぐるりと回り、終点の六本木ヒルズに到着である。
麻布十番駅から六本木ヒルズまで、だいぶ遠回りをしている感があるが、以前は六本木けやき坂を経由するラケット状循環経路であったが、渋滞による遅延が酷いことやわかりにくい点から多少遠回りでも往復同じ経路をとることにしたようだ。
なお、かつての[四92]の名残で、始発最終の1本は品川車庫~六本木ヒルズの運転となる。
歴史
[反96]という系統番号は、歴史を経る度にどんどんその姿が変わり、当初から追うと途中で系統番号の交換も絡み、かなりややこしいことになっている。ここでは現在の[反96]を構成する区間についての歴史を中心に述べる。
もともと、この五反田から高輪・品川にかけてのエリアは民営が開設したもので、昭和初期に五反田駅~品川駅は池上電気鉄道が、五反田駅~高輪警察署~田町駅は目黒自動車運輸が開設した。その後東横乗合に統合され、郊外から五反田駅を直通して品川駅まで運行していたが、昭和17年の交通統制により市バスに一元化された。このときは五反田駅を通る系統として[2]田町駅西口~高輪警察署~五反田駅~品川駅という路線が設定された。
ほとんど今の[反90]・[反96]と同一の経路であり、相当昔から同じような設定だったことがうかがえる。所管は浜松町営業所であった。
しかし、戦時中の路線整理により、昭和18年6月の改編で[1]五反田駅~品川駅~新橋駅~東京駅乗車口と高輪側を切り捨てて他と統合して東京駅まで延長したものの、翌19年5月の改編で[1]品川駅~浜松町駅に短縮され、五反田駅から都営バスは姿を消した。
▲昭和26年現在の[100](濃色)・[122](薄色)
戦後の復旧は早かった。増え続ける郊外~都心間の需要を賄うために、都営と民営各社が相互に乗り入れる路線をGHQの指導もあって開設する運びとなり、昭和22年6月に乗り入れ系統一期生として[100]東京駅乗車口(南口)~五反田駅~洗足池という路線が東急と共同運行で開通した。当初は赤羽橋経由だったが、間もなく第一京浜・品川駅経由に変更となった。
その後、3年後の昭和25年5月には第二京浜を下る[122]東京駅八重洲口~五反田駅~久が原(現・池上警察署)が開通した。こちらは現在の[反90](五反田駅~三田駅)の祖先にあたる。[100]は昭和23年には中原街道を郊外に進み雪ヶ谷に、さらに昭和41年には丸子橋に延長され、細かい経路変更もあったが、基本的な形態は長い間変化がなかった。
昭和47年11月には新番号化され、[100]は[東90]となった。しばらくはこのままだったが、昭和54年末の改編で大きな変化が起こる。
中原街道や中央通りなど渋滞の激しいところも多く、定時性に難があったことや都営地下鉄もあって乗客は減少傾向で、昭和53年度は営業係数168、乗客は3,508人と当時の系統でも赤字が大きかった。長距離路線の見直しという波に[東90]も抗えず、分断されて都営は[東90](東京駅八重洲口~五反田駅)、東急は[品90](品川駅~丸子橋)という形に分断された。品川駅~五反田駅が重複したのは品川までの需要がそこそこあったためだろう。
[東90]は東京駅側の経路も同時に変更された。従来は中央通りを京橋まで来た後、鍛冶橋で外堀通り・山手線をくぐり、都庁前(現国際フォーラム)から東京駅南口で終点となるコースだったのだが、中央通りを直進し、八重洲通りを左折して東京駅八重洲口を終点とするようになった。同時に[東94](東京駅八重洲口~品川車庫)が廃止されたため、その代替という意味あいもあったのかもしれない。
しかし、分断した後も品川以北は鉄道とほぼ並行し、新橋から先は銀座の渋滞も激しかった。分断直後の昭和55年度は4,893人/日の乗車人員となるも、営業係数は204と大赤字であった。運賃値上げ前という条件があったにせよ、沿線に住宅地も少なく、常に赤字で見直し対象となっていたと言われる。乗客は減少傾向で昭和61年度には4,000人を割り、収支係数は常に140前後と慢性的な赤字だったことがうかがえる。
▲昭和58年現在 [東90][反96]
昭和末期になると五反田駅→品川駅止まりの便も設定され始めたが、全線通し運転が朝は10分、昼間でも15分おきで運転されていた。それが平成2年6月には[東90]は路線のほとんどの部分が切り落とされ、[反90甲]五反田駅~品川駅という短い系統になってしまった。品川以北の全廃は衝撃的だったと言える。 同時に五反田駅を発着していた[反96](初代、五反田駅~三田駅~芝園橋~一ノ橋~明治学院~五反田駅)のうち乗客が少ない三田駅~芝園橋~一ノ橋を切り捨てて、田町駅側は[反90乙]五反田駅~三田駅という路線に、また一ノ橋側は大きく延伸して二代目[反96](五反田駅~一ノ橋~溜池~新橋駅)という路線になった。初代の[反96]や[反90乙]については[反90]の項も参照。
一ノ橋から先、首都高下の飯倉方面へは昭和54年まで[東91](品川車庫~東京駅北口)が運行されていたが、久々の復活となった。さらに、新たな需要の創出ということでそのままアークヒルズ・溜池から新橋駅まで新規に伸ばしたる新規区間でも乗客が定着し、本数は変わらなかったもののまずまずの成功と言える。
へ
所管営業所については二転三転した。初代・二代目の[反96]は当初から目黒で、[反90甲]になった後もしばらくは品川だったが、平成4年3月には全て目黒所管に統一された。それも数年しか続かず、港南車庫の開設による担当路線の交換を行うため、平成10年の3月から4月にかけて全て品川管轄に戻った。
また、[反96]は南北線の溜池山王延伸と銀座線の溜池山王駅開業に合わせ、渋滞することも多かった新橋駅側を平成9年9月に廃止し、五反田駅~溜池に短縮された。
平成12年12月に大江戸線改編でまたまた大きな変化が起きた。[反96]は一ノ橋(麻布十番駅)~溜池を切り落とし、さらに[四92](品川車庫~四谷駅)は赤羽橋から先を切り落とされ、[反90甲]とも合体して、[反96]五反田駅~品川駅~古川橋~麻布十番駅~赤羽橋駅~慶応義塾~明治学院~五反田駅という8の字路線が誕生した。これが三代目[反96]である。両回りの設定があったが、通し運転は双方とも1時間に2本程度で、多くは五反田駅~品川駅の運転であった。それに加え、朝夕を中心に品川駅回りの五反田駅~赤羽橋駅の折り返し運転が適宜挟まるようになっていた。なお、これらの記述で右に向かう方向を[反96甲]、左に向かう方向を[反96乙]とし、方向幕には全て記載が入った。今までの都営バスにはないパターンである。
[反90乙]五反田駅~三田駅については路線は変化がなかったものの、[反90甲]の消滅により、[反90]本線を名乗ることになった。いつの間にか[反90]の指す番号が変わってしまったことになる。
しかし、この[反96]が実際の流動に合っていたとは言いがたい。それぞれの系統の残したい部分をつなぎ合わせただけで、明らかに客が乗っているのは地下鉄では不便な品川駅~麻布十番駅の移動くらいで、品川駅をまたぐ流動もあまり多くなかった。特に品川駅から麻布十番方面は昼間で1時間に1~2本という冷遇ぶりであった。
また、五反田駅から高輪台方面で見た場合も、魚籃坂下を左折して麻布十番に向かわず、慶応義塾・三田五丁目を経由する大回りなルートになってしまい、本数も減らされて使いにくいダイヤになってしまった。
平成14年2月には五反田駅からの回送入庫を一部営業運転することになり、五反田駅→御殿山という短距離営業を開始した。全便ではないのが不思議である。かつては[東90]時代には五反田駅~品川車庫という営業運転があったので一部復活とも言える。
同時のダイヤ改正で、乗客の少ない五反田駅~明治学院~赤羽橋駅は1時間に1本と半減し、昼間でも半数は五反田駅~品川駅~赤羽橋駅の折り返しが走るようになった。結論から言えば、特に明治学院側は明らかな失敗であった。
結局、平成14年12月のりんかい線全通に伴う改編でこの区間は見直しが行われ、8の字は二分割された。[反96]は五反田駅~品川駅~古川橋~麻布十番駅~赤羽橋駅、となり、明治学院側の系統も古川橋経由になり、五反田駅~明治学院~古川橋~麻布十番駅~赤羽橋駅となり、[反94]を名乗った。これ以降は[反94]については[反94]の項を参照のこと。
[反96]は、開通時のオリジナルな区間とはほとんど関係ない部分でこの番号を名乗ることになった。この改正で方向幕の[反96甲][反96乙]表記に意味がなくなったため、幕の甲・乙表記だけシールで隠された。傍目から見ると少々間の抜けた修正にも見える。
さて、そのような中で行われたのが六本木ヒルズの乗り入れである。都営の麻布十番から六本木方面への路線は平成12年の[田70](港区スポーツセンター~新宿駅西口、新宿の項を参照)の廃止以来途絶えており、その不満を埋め合わせるかのように平成16年10月より港区コミュニティバス「ちぃばす(田町ルート)」が田町駅東口~六本木ヒルズで運行を開始していた。
このバスは15分等間隔での運転で、好評を博したことに刺激されたのかは分からないが、[反96]も平成18年4月の改正でほぼ全便を六本木ヒルズ行きに振り替え、現在の形になった。これと同時にダイヤ改正で平日は20~30分間隔に、土曜・休日は20分間隔に増便され、十数年ぶりの積極策が取られた。乗客も定着してきているようである。
赤羽橋駅発着に関しては、始発の品川車庫→赤羽橋駅、赤羽橋駅→五反田駅のみが残り、それ以外でも[橋86]の出入庫として赤羽橋駅~品川車庫を営業運転するようになったため、品川駅~麻布十番は少し前よりは本数が多くなった。
ただし、これも平成25年度から[橋86]が港南に移管する際に改められ、赤羽橋発着は全廃となった。また、麻布十番から六本木けやき坂が慢性的に渋滞することもあり、麻布十番駅→六本木ヒルズも六本木駅経由に改められて往復で経路が統一された。
本数も大江戸線改編直後に比べると微増傾向となっている。近年の山手線内の系統では珍しく積極的な改編で乗客が定着している例と言えるが、欲を言えば平日ももう少し本数があればいいのだが。
御殿山ヒルズ
[反90甲]への短縮後、平成2年11月には独立した枝線として[反90折返]品川駅~御殿山ヒルズも開業した。高級マンションとホテルラフォーレ東京が合体した森トラストの再開発ビルへのアクセス路線だが、1km程度の非常に短い路線で、品川駅発は途中停留所もない。[東90]の短縮した余力で組数を確保した。
出入庫でない独立した系統としては東京でも一二を争う短い系統であり、同じ車が行ったり来たりを繰り返していた。通勤需要を考慮したのか、平日の朝夕のみの運転だったが、この区間で一般系統と同じ運賃というのも今考えるとなかなかのもの。
平成12年の改編で親の系統番号が変わり、[反96折返]を名乗ったがダイヤは相変わらずであった。朝方はそれなりに使われていたようだが、ホテルの送迎バスとしては機能していなかった。
平成18年に終点が御殿山ガーデンに改称されても特に変化はなったが、平成19年5月末で[反96折返]は廃止された。と言っても翌日から都営バスの車で運行する送迎扱いのバスが同一区間に運行され、朝夕の本数は倍増し、昼間や土休日も終日運行するようになった。運賃も無料となり、利用者も急激に増えたように見える。最初からこうしておけば良かったような気もするが……。
平成25年12月には御殿山ガーデン全体がリブランドして「御殿山トラストシティ」としてリニューアルした。新たなホテルとして東京マリオットホテルがオープンし、行き先表示にも同時に手が加えられた。ホテル名まで詰め込んでいるため、都営バスで最も文字の詰まった表示となっている。
幻の田90
平成2年6月の改編では歴史の項でも記した通り、[東90][反96]→[反90甲][反90乙][反96(新)]と3分割になったが、交通局の予定では本当は違っており、[田90](五反田駅~品川駅~高輪警察署~三田駅)という系統が走り始める予定だった。[東90]を短縮した余裕で通し55往復、五反田~品川が50往復と潤沢な本数で運行される予定で、一部の停留所ではフライングで[田90]表示の停留所に書き換えられ、シールを剥がすだけとなっていた。
しかし、蓋を開けてみれば実際の運行は五反田駅~品川駅・三田駅となった。地元の理解を得られなかったかは謎だが、[田90]は幻の系統となってしまった。[反90乙]が[反96](旧)から分離したにも拘わらず、なぜ90番を名乗っているのかはこれが理由だろう。
品川駅~田町駅は後年になってちぃばす高輪ルートができて、品川駅の求心力の高まりとともに[反90]は本数がどんどん減って平成27年に全線廃止されたのは皮肉である。もしこの通りになっていたら、今頃はもう少し違った路線網になっていたかもしれない。
御殿山発着
出入庫として平成14年2月から運転されている。最初は入庫のみだったが、後に平日のみ御殿山始発も営業運転するようになった。御殿山到着後は回送表示になり、品川車庫に至る。かつて[東90]時代は品川車庫まで営業運転していたことを思うと、全線営業しても良さそうだが、そこまでの需要がないのだろう。
本線の本数を補うように運行されているが、最終便近くは回送になったり、そもそも本線の時刻と連続していたりとどれだけ有効に走っているかは謎である。
ソニーの跡地に誕生したガーデンシティ御殿山は品川駅・五反田駅に送迎バスを走らせており、朝は5~6分間隔で、昼間も15分間隔と高頻度で運行しており、[反96]の需要をむしろ少なからず食っている。